第4話
すべてを知ったレオニードは、それでも変わりませんでした。
悪いことばかり考える根暗だと疎まれる様子もなく、話してくれて嬉しいと、不安を引き受けてあげると、抱き締めてくれましたの。
わたくしの胃は、かつてない安寧の訪れに、一気に沈静化いたしました。完全にストレスのせいでしたのね……。
これほどわたくしを受け容れ、愛してくれるレオニードとの結婚生活が始まったのです。
わたくし、決めました。
前世は前世。今世は今世。今世のこの順調ぶりを、不安がるよりも堪能すべし、と。
とても晴れやかな気持ちですわ。
ご相談をお願いしましたのに、わたくし一人で決めてしまい、申し訳ございません。
でもみなさまにお話しする機会があってこそ、わたくし、昨夜のことをしっかりと理解できた気がいたします。決意もまた、はっきりといたしました。
みなさま、わたくしのお話を聞いてくださって、ありがとう。
わたくし、存分に今を生きますわね。
…+*+..+*+..+*+..+*+..+*+…
その後、わたくしは男の子と女の子を出産いたしました。レオニードは浮気もせず、おそらく夫婦仲睦まじい方かと思いますわ。
やがて、初代バビルニア皇帝であられたレオニードのお父様が亡くなられ、レオニードが即位し、バビルニア皇帝レオニード一世と名乗りました。
わたくしは、皇妃となりました。
ええ、あの朝から、わたくしはなるべく心穏やかに、ただ感謝と共に幸運を受け止めるよう、心がけて参りました。生臭くなりがちな帝位を継ぐ王家にありながら、ごく普通の幸せに満ちた家庭を得て、国を導く為政者の一員として民に寄り添いながら、誠心誠意つとめを果たし、生きている意義を感じて、精一杯真剣に今世の人生を歩んでいるつもりです。
まあ、体調の関係などで、どうしても不安が蓄積してはち切れそうな時は、なぜかすぐに察するレオニードに寝室で吐き出させられてはおりましたけれど。
さて、運命の神は、そんなわたくしの怠慢を見過ごしてはくださいませんでした。
そう、怠慢です。わたくしのあの日の決意、決心は、怠慢と責められても仕方のないものだったと、今になって思うのです。
後悔とは、いつもいつも、取り返しのつかない時に襲ってくるのです。そんなことすら、忘れておりました。怠惰であり、堕落だとしかいいようがありません。
遠い東方の国から突如として襲い来た騎馬の民族が、帝国の領土を飢えた狼のごとき獰猛さと執拗さで攻めてきて、レオニードと息子ビクトルが、これを迎え撃つために軍を率いて出立することになったのです。
わたくしは、かつては今か今かと待ち構えていた恐るべき災難に、なすすべもなく、ただ気が遠くなる思いでした。
なぜ! わたくしは、疲れたなどと腑抜けたことを言って、不安から目を逸らし、備えることを放棄したのか。
なぜ! わたくしは、ぬるま湯の幸せに浸りきって、そのかけがえのない無形の宝が脆く崩れやすいことを見ないようにしたのか。
打てる手は、あったはずなのに。
なぜ、なぜ、なぜ!!!
災難も不運も、一人ぼっちではやってこない。
東方からの侵略は、前触れに過ぎない。
それを、前世の私は知っていたはずです。
…+*+..+*+..+*+..+*+..+*+…
「皇妃陛下」
火の消えたような皇宮執政宮の玉座の間で、わたくしはただ、静かに座っておりました。
そのわたくしに、無遠慮に声をかけてきたのは、キルケ議員でした。
議員とは元老院の一員です。元老院は、バビルン王国時代からの世襲の組織で、王の助言機関です。助言らしきことはせず文句ばかり言っている、老害の集まりとでも言いたくなる実情ですけれど。
かつてバビルン国内の氏族の長老の総意を宣言する会から始まったものですが、今や、有名無実なのです。幾人かの議員に至っては、その肩書きを悪用して、目が届きにくい地方で犯罪まがいのことをして私腹を肥やす堕落ぶりとか。
あら、堕落している、という点では、警戒心を失っていたわたくしも同じね……。
いけません。つい、自虐してしまいます。
とにかく、キルケ議員という男は、わたくしの敵なのです。
いまだに一定数おります領土拡大派の代表と言ってもよい、戦闘民族の鑑のような壮年の男で、穏健派のレオニードとはいわば政敵です。皇帝と一介の議員とでは勝負にもなりませんけれど、かといって皇帝といえど議員の思想を強権で弾圧をすることはできません。
金の髪と睫毛の目立つ派手な顔立ちで、年齢の割に若く見えることを誇ってか、むやみに自信満々で鼻につきます。さらに、皇帝であるレオニード相手には殊勝な顔をして、その裏で、ことあるごとにわたくしを貶めようとしてくるのです。
帝国内に、皇妃は慎重が過ぎて優柔不断で臆病者、という悪口が広まったのは、こいつが原因だと、わたくし知っていますのよ。臆病者は事実ですけれど、悪口を広められるのは、腹が立ちます。
大嫌いな男です。けれど、こうして皇妃であるわたくしの静かな時間を邪魔することができるほどの、それなりの権力を持っております。
ほんとうに、うざったい。
「夫君とご子息が戦地にて奮闘しておられる折のご心痛、お察しいたしますぞ。もしや玉座で居眠りされているのかと、見紛いましたが、ははは、まさかでしょうな」
「まあ」
いつも面倒ですので、これで済ませます。
おわかりでしょうか。わたくしが毛嫌いするわけが。この無神経ぶりが。
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