第2話

 ええ、先にも少しお話しいたしましたわね。そのとおり、夫は王族です。あ、今は帝室と言うべきかしら。でも、帝王の地位をバビルン王家の者が今後も継ぐかどうかわかりませんものね。バビルン王家、と言っておきましょう。バビルン王家から他の家へと帝位が移れば、あるいは国の名が変わるのかも知れませんし、変わらないかも知れません。


 夫はバビルン王家の直系嫡子で、レオニード・バビルンとおっしゃいます。バビルンが帝国となった際に、お世継ぎとして指名を受けられましたので、皇太子でいらっしゃいますわ。

 あれは何度思い出しても素晴らしい皇太子任命式でした。バビルン王家の男子は黒髪が多く出るのですが、レオニードも少しうねりのある黒髪に黒瑪瑙オニキスの目をしております。典礼用の黄金の鎧と深い赤のマントは、精悍で凛々しい彼の魅力を大いに高め、最後の戦いで初陣を済ませたばかりの皇太子に、若き獅子の如き威厳を与えておりました。


 二年経ち、今や彼は名実ともに帝国軍部を統括し、下手をすれば皇帝陛下を凌ぐ権力をお持ちの皇太子殿下となられました。

 わたくしは、今日彼の妻となり、皇太子妃になったわけです。


 レオニードとは幼い時から交流があり、子どもらしく文通や、身内の絵画鑑賞の会や音楽会などで交流を深め、年頃になってからは贈り物を手渡しし合ったり、互いの衣装を見立て合ったり、野外観劇に出かけたり。お互いにお互いしか見えない状態で、そのまま結婚まで順風満帆に参りましたの。

 もちろん、喧嘩らしきものもいたしましたけれど。

 なんとなくわかるのです。お互いに相手を一番に思っている、と。ですので、喧嘩も長くて数日。可愛らしくも初々しい恋の、素敵なスパイスとなりました。


 裕福で愛に満ちた家庭で育ち、相思相愛の婚約者とお互いを慈しみ合い、戦争ばかりしていた国も帝国となった機に内政へと重心を移しつつあり、わたくしの幸福は、翳りを帯びる気配すらなく。


 今日の結婚式も、それはもう、帝国の威信をかけた素晴らしいものでした。

 式典は、帝都から丘を登ったところに新たに建てられた、カトレ教の大聖堂で行われました。バビルン王家は信徒ではありませんが、バビルンは国教としてカトレ教を保護しておりますので、大聖堂で結婚式を行うのが伝統なのです。


 大聖堂は、巨大なドームとアーチの多用が特徴的なのですけれど、さらに今日は堂内に蜜蝋燭を贅沢に並べて、天井や壁の金地の象嵌装飾の細部まで明るく照らし出されており、どこを見ても綺羅綺羅しいばかり。

 その光を法衣が集めて照り返すので、司祭たちが文字通り一番輝いていましたわ。結婚式の主役より目立つこと目立つこと。目が潰れそうでしたが、おかげで、結婚証明書に指輪の印章を捺す時にも、視野はくっきりはっきり明瞭でした。


 そういえば、笑顔を浮かべるふりをして、目を細めて司祭たちの眩しさをやり過ごすという技を教えてくれたのは、レオニードです。こそこそと耳打ちをされるので、聞こえてないかと案じましたが、司祭様方はご高齢なので問題なかったようです。

 皇太子夫妻が満面の笑顔だったと、列席者にたいへん好評価だったようですわ。よかったですわね。


 結婚式の後は、六頭引きの黄金の馬車で、大聖堂のある丘から帝都へ、そして帝都の中をゆっくりぐるぐると、二時間かけてお披露目に練り歩いたのです。そこで、大聖堂には入れなかった者たちからも、直接言祝ぎを受けることができましたのよ。


 国民も、家臣たちも、皆が笑顔で祝福をくれました。

 意外に思われる方も多いかもしれませんが、レオニードはバビルン王家にあっては異質な穏健派ですのでね。彼がわたくしの実家を通して豊かな穀倉地帯を押さえ、地位を盤石にできれば、今後数十年の穏やかな治世が約束されるのです。皆、大きな期待をかけてくれているのでしょう。

 これまで戦争戦争で息をつく間もなくて、さすがの戦闘民族も少し疲れているというだけかもしれませんが。それでもわたくしたちの結婚に、この国の豊かな未来がかかるものと、責任を感じずにはおれません。

 皇帝陛下は、次はどこぞを攻めようと、時折思いついたようにおっしゃるようですが。このところ、起きていらしても夢の中のご様子ですので、実現することはないでしょう。


 祝福は嬉しいものです。

 ただ、青空の厳しい日差しの中、鎧かと錯覚するほどに重量のある総刺繍総キルトのドレスで手を振るのは、軽い拷問です。けれど、伝統とあらば勝手に拒否するわけにもいきません。大汗をかきながらも、やり遂げましたとも。

 振り返れば、ところどころ記憶がない気がするので、命の瀬戸際だったかもしれません。

 あと、あの汗まみれの衣装は、次はどなたが着るのでしょうね……。


 こほん。

 ええ、わかっております。かなり余談でしたわ。

 許してくださいませ。それだけ順調、むしろ快調に人生を送ってきたわたくしも、少し緊張をしているのです。

 なにしろ、今いる部屋は、皇太子宮で最も高貴な寝室です。


 あ、バビルン王家が帝国を建て、その帝国名をバビルニア帝国としたのは申し上げましたかしら。それに伴い、遷都も計画されまして。ともかく、まず新たな宮殿が必要だと、それはもう急いで建造を進めたのです。

 執政宮と本宮が完成した一年前に遷都いたしました。階の上から見た、あの京都です。その半年後に皇太子宮も完成しましたが、他の宮はまだ土台段階ですの。


 ええと、なんでしたっけ。

 そう、寝室……。

 お察しの通り、わたくしとレオニードは、恋にとっぷりと浸り、ふたりで同じ甘い蜜を楽しみながらも、そういう関係には至っていないのです。

 レオニードがあまりに手を出さないので、両親にまで心配されたりして、ちょっとあれは、勘弁してほしい口出しでしたわね。もう。


 口づけはしましたわ。

 でも、あとは軽い触れ合いです。手を握ったり、頬を撫でたり、耳に触れたり。鼻を齧ったり、うなじを噛んだり、二の腕を吸われたり、そのくらいです。

 ……普通なのですよね? レオニードがそう言って……。そ、そうですわよね。よかったですわ。


 でも、ご相談したいのは、そのことではないのです。

 実は……。


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