第十九話 あなただったんですね

「じゃあ、電気消すぞ」

 パチンと電気を消して布団に入ると、先に中へ入っていたシノがすり寄ってきた。

「えへへ、お姉さまと一緒のお布団、嬉しいです」

「そうか」

 そんな風に言われるとちょっと照れる。

「せっかく二人きりになれたので、会っていない間のお話聞きたいです。お姉さまはこの百年くらい、どうやって過ごしていたんですか?」

「ほとんど眠っていたんだ」 

 私は目覚めるまでのいきさつを説明した。

「そう、だったんですね……」

「父さんやソーマ達を撒くのに魔力を使っていたし、魔界から入り口を開くのでもかなり消費したからな。魔力を一度使い切るとそれから回復するには普段よりも時間がかかるみたいだ。覚えておいた方がいいぞ」

「お姉さまが言ったことは一言一句、全て頭に焼き付けています」

「全て覚えておく必要はないんだが……まあいい。そう言えば、よく一人で魔界から出てこられたな」

 前に会った時は物を浮かせるくらいしか魔法は使えなかったはず。

「しばらく会っていない間にシノも成長したんですよ。エッヘン!」

「そうだったのか。偉いな」

 私はシノの頭を撫でた。

「……すいません見栄を張りました。本当はお姉さまのパパの力をお借りしました」

「正直に言えて偉いな」

 しくしくするシノの頭を撫でてやる。

「うえーん、お姉さまが優しいですぅ……やっぱりあやつらに何か変な薬を……」

「じゃあ、やめておくか?」

 私は頭から手を離した。

「嘘です嘘ですぅ!」

 そう言って私の手に頭を押し付けてくるから、再び撫でてやる。

「でも信じてください! シノは別にお姉さまのパパに言われてここに来たわけじゃ……」

「分かってるって」

 父さんはシノが私を説得するって分かってたから手助けしたんだ。シノに泣きつかれたらなびくかもしれないと思って。

「シノは私がどうして魔界を出てきたか、知ってる?」

「人づてに何となくは……お見合いの話、ですよね?」

「そう。父さんに勝手にお見合い話を進められて、しかも母さんも認めてるみたいな言い方するから腹が立って出てきたんだ。それに、この世界での生活はなかなか楽しい」

「楽しい、ですか?」

 シノは信じられないという顔をした。

「シノだって、さっき今まで知らなかったものを食べて感動してただろ? ここには私の知らなかったものがたくさんある。それを教えてもらったんだ」

「……もしかして、尻尾についた匂いの人間にですか?」

「……え?」

「お姉さまなら匂いなんて魔法で簡単に消せるはず。どうでもいい人間ならなおさらです。……でもそれをしないってことは、それだけお姉さまがその人間に心を開いているってことです。悔しいですけど」

 飛躍した考えだけど、知らないものを教えてくれたのも尻尾に匂いがついているのも日生だから答えだけはあっている。

「魔法で匂いを消せるってことを忘れてただけで……」

「それが心を開いてるってことです! お姉さまは嫌なことなら何としてでも排除しようとするはずです! それで、それはいったい誰なんですか!?」

「そ、それは……」

「それは?」

「秘密で……」

 それからしばらくシノからの追求が続き、私は寝たふりをした。


 翌朝、ラフェ達のいる部屋に向かうと、中からは言い争う声が聞こえた。高木先輩が急いで扉を開く。

「もういい加減、魔界に帰れ!」

「いくらお姉さまのお願いでも嫌です! 帰りません!」

「私はシノを巻き込みたくないんだよ!」

「シノはそんな風に思わないって、何で分からないんですか! お姉さまの……お姉さまの頑固者!」

 そう言って部屋を飛び出した。

「ちょっとシノ!」

 追いかけようとするラフェを高木先輩が手で遮った。

「そっちは頼んだぞ」

「分かりました」

 俺はシノを追って部屋を出た。


 廊下の先にはシノの姿が見える。思ったよりも足が速い。急いで後を追う。

 突き当りの階段の踊り場でシノの背中に手が届くところまで追いついた。捕まえようと手を伸ばす。

 その時、シノは階段で足を滑らせ、体がふらついた。このままじゃ落ちる……

「あっぶない……」

 俺はギリギリのところでシノの体を抱きかかえた。

「あなた、ですか……」

 腕の中のシノが振り向く。俺は手を離した。

「なんだ、人間からの施しは受けないってか? 今回は仕方ないだろ。怪我するところだったんだから」

「いえ、その……ありがとうございました。助けてくれて」

「お、おう」

 素直な反応が返ってきて意表を突かれた。

「あれ……この匂い……」

 そう言って近づくと俺の匂いを嗅いだ。もしかして朝ごはんに食べたカレーの匂いか?

「……あなただったんですね」

「え、なんか言った?」

「いいえ、何でもありません」

 シノは俺を見て微笑んだ。

「お姉さまのこと、最後まで責任を持ってくださいね」

 最後までって……ちゃんと魔界へ帰せってことか。

「ああ。もちろん」

「この言葉、シノはしっかり聞きましたからね!」

 そう言うと、シノは大人しく部屋へと戻っていった。


 潔と部屋で待っていると、日生がシノと一緒に戻ってきた。

「シノは魔界へ帰ります。」

 急に心境の変化があったのか、シノはそう宣言した。潔が日生の方を見る。

「日生、どんな手品を使ったんだ?」

「いや、俺は何も……」

「そうか」

 潔と日生のやり取りを聞くに、何かをしたわけではないらしい。

 シノは私の方を向いた。

「お姉さま、シノが帰るのは魔界でやることができたからです」

 そして私の耳元で囁く。

「お姉さまのパパとママに、『お姉さまにはこの世界に心に決めた人がいるのでお見合いはやめてください』って、シノがしっかり言っておきますから」

 は、はぁ……!?

 シノは耳元から離れ、満面の笑みを見せた。

「ですので安心して魔界へ帰ってきてくださいね。それではお姉さま、ちょっと手を貸してください」

 そう言ってシノは私の手を取った。そして私の力を借りて魔界への入り口を開く。

「みなさん、ごきげんよう」

 シノはお辞儀をして、魔界へと入っていく。

「ちょ、ちょっと待て!」

 私は入口から飛び出たシノの足を掴もうとするが、伸ばした手は空を切り、入り口は完全にふさがった。

 シノが魔界へ帰ったことを確認した潔は、「乙女に報告するから」と言って部屋を出て行った。

「シノのやつ……!」

「ラフェ、シノからさっき何を言われたんだ?」

 日生が近づく。

「うるさいっ! 別にお前のことなんかじゃないからなっ!」

「はい?」

 日生は首を傾げた。

 シノは魔界に帰ったら真っ先に自分の両親に今回のことを話すだろう。そうなればシノの親伝いに私の親にも筒抜けだ。「人間の男が好き」だなんて父さんが知ったら、発狂して倒れるかもしれない。もちろんそんなことは嘘なんだけど、シノの誤解だって早く伝えないと……!

 それに……日生を見るとなんか調子が狂う。前みたいに上手く話せない。この心のざわざわしたものが何かはっきり分かってしまったら、もう後戻りできなくなりそうで、怖い。

「日生……私は魔界へ帰る」

「本当、なのか……?」

 日生は変な顔をした。意外だ。喜ぶかと思ったのに。

「ああ。でもその前にこの世界でやっておきたいことがある。手伝ってほしい」

「分かった」

 今日は準備があるから、実行は明日ということになった。

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