第十八話 野生を失ってるな

 その夜、俺はなぜか学校にいる。

 シノが泊まると決まり、あとはラフェに任せて帰ろうとしたら成瀬先輩に「ちょっと待ってて」と止められた。しばらく待ちぼうけしていると、成瀬先輩が一枚の紙を戻って帰ってきた。そこには「合宿申請書」と書かれていた。

 俺は「パン焼き同好会」なる団体に所属し、その合宿として今晩この校舎に宿泊することを許可された、らしい。もちろんこの学校にそんな団体はないし、俺も宿泊許可が欲しいなんて一言も言ってない。十分かそこらの時間でそれだけの偽装をやってのける管理委員の恐ろしさを身に染みて感じつつ、まあ、見張りを押し付けられた形だ。着替えは常に一式持っているし、パン焼き同好会ということで調理室を自由に使えて、強引な外泊なのに困る要素がほとんどないことに腹が立つ。

 調理室で適当に夕ご飯を作って食べ、俺はラフェ達がいる部屋に向かった。どうせ泊まらないとなら、見張りとしての役目を形式上は果たしておくか。

「部屋で大人しくしてたか?」

 ラフェ達が振り向く。

「おお、日生じゃないか」

「またあなたですか」

 シノは嫌そうな視線を向ける。その時、ラフェがクンクンと匂った。

「日生、お前いい匂いがするぞ」

「あー、さっきカレー食べたからそれかな」

「カレー!?」

 ラフェは目を輝かせた。

「なんだそれは! 内緒で食べるなんてひどいじゃないか!」

「内緒でって……ラフェはクリームパン食べたんだからお腹空いてないだろ」

 魔界は一日一食が普通らしく、ラフェには毎朝特製クリームパンを用意している。

「それはそうなんだけど……匂いを嗅いで今食べたくなった!」

 確かにカレーって匂いの引力が強いよな……街で歩いててカレーの匂い嗅ぐと無性に食べたくなる。それが魔人にも通用するなんてな。

「待ってくださいお姉さま!」

 シノが口を挟んだ。

「これはこの男の策略かもしれません! 『かれー』という食べ物の中に何かを仕込んでいて、それで私達を従わせムグゥ!」

 ラフェは得意気に話すシノの口を押さえた。

「食べたい! 持ってきて!」

「……はいはい」

 俺は調理室からカレーライスを二皿盛り付けて、部屋に持ってきた。

「ほら、どーぞ」

 そしてラフェの前に一皿を置いた。

「おおう……これがカレーか……実物は一段と魅惑的な香りだ。それじゃあ、いただきまーす!」

「お、お姉さまっ!」

 シノの制止も聞かず、ラフェはカレーを口にした。

「んんんー!」

 嬉しそうな声をあげ、頬に手を当てる。

「なんだかよく分からないけどすごく美味しい!」

「よく分からないって……」

「だって辛かったり、甘かったりいろんな味がしてよく分からないんだよ……ハッ!」

 何かを閃いたようなラフェは決め顔で言った。

「これ……クリームパンにも合うな」

「合うか!」

 そうだった。凡人の俺に魔王の娘の味覚は難しいんだった。

「あ、う……お姉さま……」 

 オロオロとラフェの様子を見ているシノの前にもう一皿を置く。

「いらないのか?」

「シノはあなたから施しなんて受けません! こんな美味しそうな匂いで食欲を刺激してきて、魔界から出てくる準備で昨日から何も食べてないシノは……」

 苦しそうに眉間に皺を寄せる。すっごく食べたそうなんだけど…

「シノ、疑ってもいい事ないぞ。日生の作る食べ物は何でも美味しいんだ」

 俺から施しを受けまくってるラフェが言った。野生を失ってるな。

「今これを食べたら、私と『お揃い』だな」

「くぅぅ……!」

 シノは震える手でスプーンを手にした。

「いただき、ます」

 そしてひとさじ掬って、口に運ぶ。

「お、おいひぃ……!」

「だろー?」

 なぜか得意気にラフェが言う。シノは俺を睨みつけた。

「これで勝ったと思わないでください!」

 どうしても認めたくはないらしい。


「はぁ……」

 泊まる教室に戻った俺は布団にドサッと倒れこんだ。

今日はいろいろあって疲れた。明日、本当にシノは魔界に帰ってくれるだろうか。そこはラフェを信用して任せるしかないけど……もしかするとシノの説得に負けてラフェも一緒に魔界へ帰る、なんて可能性もある。なんだか胸の奥の方がざわっと冷たくなった。

 まただ……最近こういうことがたまにある。カレー食べ過ぎたか……?

 その時、廊下からヒタヒタと足音が聞こえた。……おかしい。ラフェ達がいるのは下の階だし、俺たち以外に人はいないはず……

 その足音は段々と速度を増し、この部屋に近づいてくる。そして、ゆっくりと扉が開く音がした。恐る恐る扉の方に目を向けると、白い布団のようなものから二本の足が出た生物が立っていた。

「ぎゃあああ!」

「日生、夕方ぶりだな」

 布団の脇から顔を出したのは高木先輩だった。

「用具室から布団を一式借りてきた。今晩は俺もここに泊まる」

「……心臓に悪いんで、もっと普通に来てくれませんか?」

 夜の学校っていうお決まりのシチュエーションなんだから、もう少し配慮してほしい。

「? なんか悪いな」

 状況を理解していない高木先輩は首を傾げながら言った。

「そう言えば夕方は様子がおかしかったですけど、大丈夫なんですか?」

「ああ、もう大丈夫だ。ついさっきまで勉強して来たからな」

 今度は俺が首を傾げた。

「ラフェの従妹の様子はどうだった? 明日帰りそうか?」

「まだ分かんないですけど、ラフェに心酔してるみたいなんで上手く説得すれば帰ると思いますよ」

「そうか。まあ俺達の仕事は明日の朝からでいいだろう……今日は明日に備えて早く休もう」

「そうですね」

「……なあ、日生」

 高木先輩が神妙な面持ちで切り出した。

「なんですか」

「なんでお前はラフェやその従妹と普通に話せるんだ」

「なんでって……」

 質問の意図がよく分からない。

「言葉は通じるし、すぐに危害を加えてきそうな感じもないし……会話が成立するからですかね」

「そういう事じゃなくてだな……俺が聞きたいのはどうして女子と普通に話せるのかってことだ!」

 よく見ると耳まで赤くなっている。いつも仏頂面だけど、そんな一面もあるんだ。

「高木先輩、かわいー」

「うるさいっ! お前に聞いた俺がバカだった!」

 そう言って布団に入ってしまった。電気を消し、俺も自分の布団に入る。

「ラフェとは普通に話してるし、そもそも高木先輩には成瀬先輩がいるじゃないですか」

「ラフェは俺の姉に似てるんだ。だからまあ、大丈夫。乙女はもう女子とかじゃないからなぁ……」

「それ、絶対成瀬先輩に言ったらだめですよ?」

 最初に二人を見た時から、何となく成瀬先輩は高木先輩のことを好きなんじゃないかって思ってた。高木先輩はそういう風に見てないみたいだけど。

「ああ。特別だって言っておいた」

「うわぁ……」

 天然って凶悪だ……

「日生は俺のことをからかえるくらい、女子に慣れてるんだな」

「慣れてるっていうか……多分他人に興味が薄いんです」

 小さい頃からいろんなことに巻き込まれてきて、男も女も関係なく、裏の嫌な顔をたくさん見てきた。だから俺は、表面上は普通に振る舞いつつも心の中では無意識に距離を取ってきたんだろう。

「俺には関係ないって思ってるから、女子とも適当に相槌をうって話せるんです」

「そうだったのか……俺は随分ラフェに肩入れしてると思ってたんだけどな」

「そんなこと、ないですよ」

 思いもよらない指摘にうまく返せなくて、俺は思考を遮るように目を瞑った。

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