第十七話 シノ、襲来

 最近ラフェの様子が変だ。「魔力回復ツアー」の後から、俺に対する態度がおかしい。妙によそよそしいというか、何というか。

「ラフェ、大人しくしてたかー」

 放課後、俺がいつものように部屋に入ると、ラフェは飛び退った。

「お、おお! 日生じゃないか! えっと……どうしたんだ?」

「いや、いつも来てるだろ」

「そ、そ、そうだったな」

 こんな調子が数日続いている。

「お前さぁ、最近変だぞ? 俺何かしたか?」

「そ、それは……」

 ラフェは目を泳がせた。その時、視界の端に黒い点が現れた。

「え……?」

 そっちに顔を向けると、その点はどんどん広がっていく。

「お、おいラフェ! お前、魔法使ってるのか!?」

「違う! 私じゃない! でもこの穴はきっと……」

 ラフェがそう言いかけた時、穴から薄茶色の猫耳が飛び出した。ん? 猫耳……?

「よいしょっとぉ!」

 そう言って穴から現れたのは、頭に猫耳のついた小学生くらいの女の子だった。

「お姉さまぁっ!」

 そう言ってラフェに抱きついた。え、妹?

「ちょっと、シノ! 一人で来たの!? パパとママは?」

「内緒で来ちゃいました!」

 ラフェは俺に目を向けた。

「ごめん、日生。この子は従妹のシノ」

 シノというその子は俺を横目で見た。

「いたんですか?」

 ラフェに対するのとは違う冷たい声。前にもこんなことあったな……

「まあ、とりあえず分かった。高木先輩達を呼んでくるから、この部屋から絶対に出すなよ」

「うん…また厄介なことになった。


「ねえ、お姉さま」

「なに?」

「しばらく会わない間にお姉さまは尻尾と角がしまわれてしまったんですね。シノもあと百年くらいしたら同じようになるのでしょうか」

 そう言って自分の耳を触った。私の角と尻尾がしまわれるようになったのは、魔界から出てくるちょっと前くらいだったな。

「そうだな。じきにそうなるんじゃないか」

「そしたらまた、お姉さまとお揃いですね! でも、シノはお姉さまのふさふさで美しい尻尾の感触が忘れられないのです。わしゃわしゃさせてもらえませんか?」

 そう言って純粋な瞳で見つめてくる。ぐぅっ……そうやって見られると弱いんだよな……

「分かった。じゃあ、日生が戻ってくるまでな」

 私は角と尻尾を出した。

「……それなら一生戻ってくんなですよ」

「なんか言った?」

「いいえ! 久しぶりのおさわり嬉しいです! それじゃあ、失礼します!」

 そう言って尻尾に抱きつく。

「ああ~この触り心地ですぅ……ふさふさで柔らかくて、艶やかで、お姉さまの香りが一杯に……ん?」

 シノは動きを止めた。そして、私と目を合わせる。

「お姉さまの尻尾から知らない匂いがします……誰かに触らせましたか?」

 ドキッ!

「いやぁー、シノの勘違いじゃないかぁ? もちろん触らせたりなんかしないもんね?」

「いいえ、勘違いではありません! 明らかにお姉さまとは別の誰かの匂いがします! 誰ですか! お姉さまの高貴で麗しい尻尾に触れる不届き者は! シノがけちょんけちょんにしてやりますっ!」

 そう言って私の尻尾をぎゅっと抱きしめた。

「高貴で麗しいかは別として、シノも昔から触ってるだろ」

「シノはいいんです! だって特別だから! ……はっ!」

 シノは何か思いついたように顔をあげた。

「もしかして、お姉さま……心に決めた人がいるのですか!?」

「ちっ、違う違う! あれはつい流れで……じゃなくって! あ、そうそう! この世界で知り合った、女の!知り合いとな、偶然ぶつかった時があったからそれかなぁ? あはは……」

「むぅぅ……!」

 シノは不満そうに口を尖らせた。

「もし男だったら八つ裂きにしてやるところでした」

「あっははは……」

 目が冗談に見えないんだよなぁ……とにかくシノを日生に近づけないようにしようと思った。


「高木先輩達もすぐ来るってさ」

 部屋に戻ると、ラフェはシノを自分の膝にのせて抱っこしていた。

「仲いいんだな」

「う、うん。まあな」

「そう言えば、この子はなんでずっと猫耳が出てるんだ? 女、だよな……?」

「ああ。女子も小さい頃は耳や尾が出たままになっているんだ。だから見ても大丈夫」

「よかった……」

 何となくこの子からは俺に対する敵意を感じるから、そこは確認しておきたかった。

 その時、ラフェの服についた黒い塊が目についた。

「ラフェ、なんかゴミついてるぞ」

「え……?」

 気づいてない様子のラフェの代わりに、俺はごみをつまんだ。

「ほら……」

 取ってやろうとしたが、何かに引っ張られるみたいに取れない。よく見てみると、黒いロープのようなものが繋がっている。

「ごみとは何ですか! しかもシノの尻尾を無遠慮に触って!」

 シノはそう言って立ち上がった。

「え、尻尾?」

 そう言われて改めて見ると、ゴミだと思っていたものはハートを裏返したような形をしていて、そこから伸びた黒いロープだと思ったものはシノの腰のあたりに繋がっている。

 というかその尻尾の形、見覚えがある……

「もしかしてサキュバス?」

「サキュバス違う!」

 荒い息を吐きながらシノは俺に迫ってくる。

「あなた、一体何なんですか! 失礼なこと言ってくるし、そもそもお姉さまと二人っきりでこの部屋にいたのがまずおかしいです!」

「いや、それは……」

「もしもお姉さまを誑かす、わるーい人間だったら……」

 シノの尻尾が伸びてきて、ハートの部分で俺の顎をクイッと持ち上げた。

「お仕置きしちゃいますよ?」

 あ、この目はマジなやつだ。体がじっとりと汗ばむ。

 その時、扉が開いた。

「お待たせー! ラフェちゃんの従妹ってどの子?」

 シノの尻尾がするすると短くなり、俺は扉の方を振り向いた。

「タスカッタ……」

「ええ!? 日生君、どうしたの? 何があった?」

 カシャンと物が落ちた音がして、見ると床にメガネが落ちていた。

「猫耳……」

 それだけ呟いた高木先輩は目を覆ってしゃがみ込んだ。

「もうなにも見たくない……怖い……」

「高木先輩!?」

 成瀬先輩が隣にしゃがむ。

「どうしたの潔!?」

「死因が猫耳なんて嫌だ……」

「潔、猫耳は凶器じゃないよ」

「俺のアイデンティティが崩壊する……っ!」

「んー?」

 成瀬先輩は微笑みながら首を傾げた。そして立ち上がり、俺達に目を向けた。

「潔は具合が悪いみたいだから、帰らせるね。話は私一人で聞くよ」

 そう言って高木先輩を外へ追い出し、扉を閉めた。

「それで、従妹ちゃんはどうしてここへ来たの?」

「もちろんお姉さまを連れ戻しに来たに決まってます! あなた達がどんなに酷いやり口でお姉さまを引き留めているのか知りませんが、このシノが来たからには必ずお姉さまを救ってみせます!」

「んー?」

 成瀬先輩は微笑みながら首を傾げた。

「日生君、ちょっと」

 招集がかかったので、急いで駆け寄る。成瀬先輩は小声で抗議した。

「日生君、どういう事!? お姉さまを引き留めている!? 全然違うよね! 私達、必死で帰そうとしてるよね!?」

「おっしゃる通りで……」

 どうやらこの厄介な従妹は、俺達が大好きなお姉さまを閉じ込める悪者で、自分は救い出しに来たヒーローだとでも勘違いしてるらしい。悪者扱いの俺らの話なんて聞く耳を持たないだろうし、この誤解を解くのはなかなか面倒そうだ……

「シノ、それは違うぞ」

 その時、ラフェが口を開いた。

「私は魔界から自分の意思で逃げてきて、自分の意思で今もここにいるんだ。日生や乙女は私を魔界に帰そうとして一緒にいる。それに食事や衣服を用意してもらったり、色々と世話になってる。だからそんな言い方はするな」

 ラフェの言葉を聞いて、シノはシュンと縮こまった。

「そんな……だってシノはお姉さまのことを思って……」 

 ラフェはシノの頭を優しくなでた。

「うん。シノが私を心配してくれたのは分かるよ。ありがとう」

「お姉さま……!」

 うっとりとラフェを見つめたのもつかの間、シノはハッと目を見開いた。

「お姉さまがこんなに優しいのは不自然です! やはり、あやつらに薬でも使われているのですか!?」

「……ラフェ、お前随分ひどいこと言われてるぞ」

「久々の再会だから優しくしてただけなのに……」

 ラフェは肩を落とした。

「シノは心配してるんです! さあ、シノと一緒に魔界へ帰りましょう。シノのパパとママも、お姉さまのパパとママも、お姉さまの帰りをずっと待っています!」

「魔界へはシノ一人で帰りなさい」

「どうして……っ!」

「さっきも言ったけど、私は自分の意思でこの世界に残っているんだ。自分の運命を変えるために」

「魔界にはパパもママも……シノもいるのに、ですか?」

 シノは悲しそうにラフェを見つめる。これはキツイだろう。

「ごめん……」

 ラフェは苦しそうに顔を逸らした。

「じゃあ、シノもここにいます!」

 シノは叫んだ。

「お姉さまがいない魔界へ戻るなんて嫌です! この百年間、ずっと寂しかった! 会いたかった! だからお姉さまと一緒にいられるならシノもここに残ります!」

「いやいやいや!」

 俺は思わず口を挟んだ。

「勝手に決めないでくれます? こっちはラフェ一人帰すのにこんな苦労してるのに、もう一人追加とか無理だって……」

 成瀬先輩も加勢した。

「そ、そうだよ!これ以上、魔界の都合に振り回されるのはこの世界代表として困るよ!」

 シノは俺達の抗議を気にもせず、ラフェにしがみついた。

 ラフェは困ったように俺達を見た。

「ごめん……シノは思い込みが激しいタイプなんだ。一度決めたら簡単に曲げようとしない。私が説得して明日には帰らせるから、今晩は泊めさせてくれないか?」

 ラフェも苦労してるみたいだ。俺は成瀬先輩と目を見合わせた。先輩が頷く。

「分かった。でも、いるのはこの部屋の中だけね」

「ありがとう」

 こうしてシノのお泊りが決定した。

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