会社

 私が今働いている会社は、温和な人が集まっている。ヤバい価値観の人とかたぶんいない。分かんない。出会ってないだけかも。でも少なくとも私の周りにはいない。それがどれだけ稀有なことか、今の私には分かる。それは、私がおかしな常識がはびこる職場を転々としてきたからだ。

 一社目は、怒鳴り散らす上司がいた。他にも、堂々と不正を働く上司がいた。なんだったんだろう。ヤバいなと思っていた。でも当時の私は、小説の糧になることならどんなヤバい環境もどんとこいみたいな無謀な精神を持っていて、だから怖くなかった。それどころか難しい仕事を手を抜いていて、今から考えると私自身の何もかもがヤバかったんだろうと思う。

 二社目は、他社の人が常にこちらを監視しているという異常な環境だった。わけわからん。私のいた会社は強く言えなかったらしい。怖い。もう大人なのに、大人に監視されている恐怖。そして同僚がどこか子どもっぽい人ばかりだった。だから監視に甘んじていたのか?とにかくこっちの会社も、前社とは違うヤバさがあった。

 ここで私は体調を壊し、一年弱休養していた。さすがにヤバさの天丼は耐えられなかったみたいだ。当たり前だろ。私は私を実態よりも強いと考えていたので、無茶をしまくっていた。弱いよ。いい加減にしろ。そして就労移行支援事業所に通うことになる。うん、それくらいの慎重さが必要だね。そこではライティングをやっていたのだが、一緒に働いていた人たちは色んな事情を抱えながらも、優しい人たちばかりだった。なんか、弱くて優しいから体調壊しちゃうのかな。それとも、世の不条理を優しいから一身に背負ってくれているのだろうか。まぁ私もそうか。なんかそういうところだった。まともな人たちばかりだった。

 そして支援を受けながら、現在の会社に就職。ここは天国である。地獄を見てきたからこそそうしみじみと思える。いいところだ。不正はしていないし、温和な普通の人たちばかり働いているし、噂話もなく、監視してくる人もおらず、仕事に一生懸命な人たちばかり。マジ天国。だからここに骨を埋めようと思う。ありがとう、事業所。ありがとう、お父さんお母さん兄弟。私は小説家になりたいという野望を抱いていたのだが、こんな幸せな生活を送れるんなら、夢を放棄してもいいと感じている。ハングリー精神の喪失なのかもしれないが、別にそれでいい。小説は書くけど、商業小説家になりたいというあのアイデンティティをかけたギリギリの願いが薄れていっているのを感じる。それでいい。大丈夫、私は生きていけるさ。今ならそう言える。今にして思えば、ああいうヤバさのある職場を転々としていたのは、私がそういう場所を求めていたからではないか。ヤバい人とばかり付き合ってきたし。自分をヤバい環境に置くことによって、この世は地獄であり試練を乗り越えることによってこそ価値が生まれるのだというそれ自体が地獄みたいな価値観を持っていたからではないかと思う。その執着が薄れた結果、今の職場に巡り会えたのではないか。ご縁に感謝である。ありがとうございます。心からそう思う。

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