第18話 結論を告げよ

 円卓会議は、名の通り、円卓を囲んで行われる。

 波の国の古い伝承に由来する文化だ。上座・下座を設けず、全ての参加者が等しい立場で意見を交わすことを示す。

 御前会議は玉座から始まり厳密に席次が定められているのとは対照的だ。


 今、私はその円卓に座っている。

 傍らには推薦者としてコンラート様。

 卓には揃えてきた書類の束。

 胸元には家宝の紫水晶。ドレスは空色を基調とした控えめなAラインのシルエット。『胸元の紫を引き立たせつつ清楚さと可愛らしさを強調する』とクラリスと針子が苦心してくれたドレスだ。

 さりげなく目元に触れる。目の隈が化粧で上手く隠れているといいのだが。


「では、次の議題は……森の国への援軍に関してだな。花の国との戦いに我々の助勢が必要だ、と要請が来ている」


 進行役は会議の招集者でもある、王位継承権第二位のレオシュ殿下。円卓に上下がないことを示すためか、会議でのレオシュ殿下はほとんど自らの意見を出すことなく、進行役に務めているように思えた。

 ある貴族が先陣を切って手を挙げる。


「意見の推挙がある。こちらのユリウス殿からだ」

「発言を許す」


 貴族の隣に座っていたのは、元婚約者、ユリウス様。発言の許しを得て、こちらをあからさまに睨んでから立ち上がる。私が赤銅塔の上層に例の書類を上げなかったことは、すでにバレているようだ。

 円卓会議ではこのように、参加者に推挙されることで一時的に発言が許される。本来の参加者でなくとも、承認されればその言葉は円卓の全員に平等に届くのだ。


「ドシェク家のユリウスだ。森の国は隣国であり、今、花の国から理不尽にも侵略を受けている。隣国が助けを求めるならば救うのが騎士の道というものではないか」


 ユリウス様は拳を握って訴える。演説は勇ましく、力強い。流石に騎士の家系という印象だ。

 円卓についた皆は……私も、隣に座るコンラート様も……静かに言葉を受け止めている。


「それに、森の国は我が国よりも広大で国力がある。今は関係は悪くないが、いつ牙を剥くか分からない相手だ。精鋭を派遣し、武威を見せ付けることが我が国を守ることにも繋がる。……以上だ」


 拍手がないことを不満に思ったのか、一度円卓を見回してから、ユリウス様が座る。

 他の参加者からもいくつかの意見が出される。賛成も反対もあった。コンラート様が、堂々と手を挙げる。


「議題について、こちらのオルサーゴヴァ家ご令嬢マルケータ殿の意見を推挙します」

「発言を許す、マルケータ殿」

「ありがとうございます」


 私もまた一時的とはいえ承認を受けた。しがない子爵の娘の言葉は、しかし公爵家の若き騎士と同じく、平等に届く。

 私が数字に嘘をつかないように、円卓はその理念を守るのだ。


「私はマルケータ・オルサーゴヴァ。赤銅塔で計算をしている者です。森の国と花の国の戦いについて、私見を述べさせていただきます」


 席から立ち、丁寧に礼をする。

 赤銅塔という言葉に参加者が少しざわつく。財務カネの話でもないのに何を、と言う雰囲気だ。

 侍女のルジェナが他の参加者に紙を配ってくれるのを待ち、続ける。


「お配りした資料は、戦争に関する両国と我が国の数値です」


 ……息を吸う。吐く。それだけの行為も、意識して行わなければ失敗しそうだった。

 胸が苦しい。ユリウス様の険悪な視線が突き刺さる。緊張していると自覚しても楽になるわけではないが、呼吸を止めるなというのがクラリスのアドバイスだった。

 クラリスに頼ったのはドレスだけではない。理解されやすい言い方、伝わる声の出し方、良い印象を与える振る舞い――私の失敗で数値まで咎められないようにするための手段を教わったのだ。


「まず両国の資産は見ての通り、花の国の方がやや有利です。しかし今、戦いは国境線のごく一部で起きているようなので……」


 声を出す……進行役のレオシュ殿下、の、お隣の方へ向ける意識で。クラリスが言うには、『殿方の意識を奪うには、ちょっと妬かせるのがコツ』だそうだ。難しい。

 噛まないように、詰まらないように、何度も練習した内容をゆっくりと語り掛けていく。


「森の国のバルシェット領が消費できる戦費は推定三百万クラウ。これは花の国側の二百万クラウよりも多いですが、もし国境線を突破したとしても、行軍を維持できるのは一週間程度となりますから……」


 赤銅塔だけでなく、外交を司る青玉塔、技術を司る白石塔の資料までひっくり返して、大急ぎでまとめた数値だ。おかげで指はインクまみれ、目にはうっすら隈ができてしまっていた。

 その甲斐はあった。数字と計算によって、紙の上に戦場を見た。


「花の国が勝っても、森の国が勝っても、大きな戦争には発展しないでしょう。両国とも、その準備をするだけのお金を動かしてはいません。だからこそ長く続いているのだと思われます――」


 結論を告げようとして、喉が詰まる。

 緊張もある。高揚もある。……恐怖も、あった。


(私の矜持は、数字にこそある)


 だが、もし……間違えていたら?

 数字から読み取った世界が、ただの世間知らずの妄想だったら?

 計算を誤り、桁の違う数字を見て語っているだけだったら?


「先輩」


 コンラート様が、小声で私を呼ぶ。

 思わず視線を向けてしまう。視線をあまり動かすのは……特に手元や隣を見るのは……不安だとバレてしまうとクラリスに注意されていたのに。

 視線が合ったコンラート様は、微笑んでいた。


「大丈夫です」


 信頼を、感じた。

 根拠になる数値も、検算できる記録もない、ただの信頼。

 数値による信用とは異なる、――絶対の信頼が、悔しいけれど、とても嬉しかった。

 深呼吸をひとつ。

 ユリウス様を真っ直ぐに見つめて告げる。


「――森の国の狙いは、我々塔の国を巻き込むことで戦争を拡大することです。今の、勝っても負けても意味がない規模から、一気に攻め込むつもりなのでしょう。その時前線にいるのは、我が国の騎士たちです。森の国との関係は重要ですが、援軍ではなく露払いをさせられる程の関係ではないはず。何よりも、そうなれば……」


 沈痛そうな溜息を零してみせる。

 十五の頃から、溜息をつくことだけは得意な私の、迫真の演技だった。


「騎士の身代金は、平均三百万クラウ。ドシェク公爵家の血縁なら五百万クラウは下らないでしょう。武威を見せ付けるための金額としては、少々高くつくのではないでしょうか」


 東辺境伯の長男、夜会でも話した男性が、くつくつと声を上げて笑う。視界の端ではレオシュ殿下も愉快げに唇をゆがめている。

 ユリウス様は一瞬遅れて意味を理解し、憤怒で頬を紅く染めていた。

 私とコンラート様が、ドシェク公爵家の暴走を諫めるために選んだ理屈がこれだ。


 さもあらん、私は――財務を司る赤銅塔の計算役なのだから。


「以上です。女の身で差し出がましい事を申し上げたこと、お許しください」


 淑女の礼カーテシーを、最大限の丁寧さで見せて、そっと席に腰を下ろす。

 円卓の下で、コンラート様が手を伸ばしてくれた。

 震える指先で、暖かく大きな指先をそっと握る。


「……ありがとうございます」


 共にいてくれて。

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