第17話 友人と語らった十五年の結果を求めよ

 お恥ずかしい話だが、三十年生きてきて、私が本当の意味で頼りにできる人は三人しかいない。一人は幼い頃から私を支えてくれている侍女のルジェナ。一人はコンラート様。

 もう一人は、腐れ縁のクラリスだ。

 卓には侍女のルジェナが最高級の茶葉で淹れてくれた紅茶と、お茶菓子が少し。私とコンラート様とクラリスだけが卓についている。

 翌日の午後に庭園に呼び出し、コンラート様と共に事情を説明したところだ。クラリスは腰を浮かせて私を睨みつけた。


「本気?」

「本気よ」

「やめときなさい、バカ」


 心外――とも言えなかった。

 クラリスの表情と声に籠る力から、こちらの身を案じてくれているのがはっきりと伝わってきたからだ。心の機微というものに疎い私でもわかるほどに歪んだ表情は、反対されるだろうと考えていたよりも、辛そうだった。

 座り直し、紅茶を一口飲む時間を置いて、クラリスは続けた。


「ドシェク公爵に逆らって、何の得があるっていうの。ユリウス様が最低ってのは同感だけど、相手は金も権力も持っていて……プライドを削られるのが何より嫌いな手合いよ」


 恐らく、クラリスの心配こそが正しいのだろう。

 我がオルサーゴヴァ子爵家は、ドシェク公爵家と比べれば塔と枯れ木、吹けば飛ぶような力関係だ。指示に従わないこと自体がプライドを刺激してしまうだろうし、目を付けられれば私も実家もただでは済まない。


「わかってる、クラリス。……貴女の半分くらいかもしれないけれど、ちゃんとわかってる」


 決意は既にある。胸の奥に、しっかりと。

 決意したことを、今は言葉にしなければならなかった。コンラート様は拙い表現でも理解して、応援してくれた。だがクラリスはそうではない。

 きちんと納得してもらって……そして助けてもらう必要があった。


「それでも、私は数字というものに責任を持ちたいの。望んで手にしたものではなくても、計算は私の仕事だから。私の……」


 ――十五で社交界に出た時、ただ緊張と不安だけがあった。

 コルセットは苦しく、お酒は不味く、挨拶も踊りも上手くできず、他のご令嬢は皆輝いて見えた。


『なんて顔してんのよ。それじゃ男が寄り付かないでしょ』


 壁にもたれかかって俯いていた私に声をかけてくれたクラリスは、あれから十五年経った今でも、社交場で一番美しい。


 嗚呼。

 助けてもらう必要がある、だけではない。


「私の十五年は、そんなに安くない。貴族として、赤銅塔を支える計算役として……私の矜持は、


 クラリスに認めてもらいたいのだ。貴女の友人は、一人で立てるようになったと。

 彼女は暫く無言だった。紅茶を飲み、庭園のそこかしこに視線をやり、コンラート様を見て、何度も溜息をついて……私を睨んだ。


「アンタがそんなことする必要、ないじゃない」


 涙の滲む声が告げたのは事実だ。

 しなければならない――では、ない。

 すべきである――でもない。


「私が、そうしたいから」

「そんなだから結婚できないのよ」

「それは関係ないと思うんだけど……」

「あるわ。だって、……アンタは私たちと違うものを誇るというのでしょう。母が、祖母が、女たちが踏み作ってきた『幸せになる道』ではない道を行くのでしょう」

「……ええ。……そうね」

「……辛いわよ」


 確かに辛いかもしれない。

 でも、やはり関係ないのだ。なぜなら――


「そのおかげで、私はコンラート様と出会えたわ。……結婚できるかどうかはわからないけれど」

「絶対にします。オルサーゴヴァ子爵も説得して見せますから」

「はいはい。ありがとうございます」


 そのやり取りがどう見えたのか。ふん、と鼻を鳴らして、クラリスは程よく冷めた紅茶を飲み干す。


「コンラート・シャレク閣下」

「はい、クラリス殿」

「こいつは本当にバカだからね。私に乗り換えるなら今のうちよ」

「く、クラリス!」

「先輩は塔の国で……いえ、大陸で随一の知性の持ち主ですよ」

「コンラート様……!?」

「……なら、幸せにしてあげてね」

「絶対に」


 クラリスは美しく流れる自分の髪をぐしゃぐしゃに乱して、あーあ、と大きく嘆いた。そして、笑う。力が抜けた微笑みは、……やはり美しかった。


「良いわ、男にここまで言わせるならアンタの矜持とやらは本物ってことよ。手伝ってあげる。どうせドレスが決まらないとかでしょ」

「……ありがとう、クラリス」

「結婚式のドレスは私が決めるからね。それが条件。めちゃくちゃ可愛いやつ着せてやるから覚悟しなさい」

「え、ええ……その……お手柔らかに」


 安堵してコンラート様を見ると、何故か難しげな表情を浮かべている。口元に手をやり考えている姿は、それはそれで絵になる。……ではなく。


「何か気になることがありましたか、コンラート様?」

「はい……少々。失礼、モンフォール家は伯爵位でしたね」

「ええ、それが?」


 伯爵は、爵位としてはオルサーゴヴァ家が任じられている子爵のひとつ上だ。

 何を気にしているか分からず、クラリスと二人で首をかしげる。


「なのに、マルケータ先輩はクラリス殿を呼び捨てにしている。俺のことは相変わらず様を付けてしか呼んでくれない。これは不公平ではありませんか?」


 …………。

 夕暮れの部屋で一度だけ名を呼んだ後、関係を公表するまでは外に知られるわけにもいかないと、今まで通りの呼び方をすることにしていた。やっぱり恥ずかしいし。コンラート様も普通に先輩と呼んでくれていたので、自然とそうなっていたのだが。

 気にしていたのか。不公平ってなんだ。


「……いえ、呼び方は……そのうち……」

「今ここには我々しかいません。この場では呼んでくださって良いのでは?」

「もっと大事な話を……」

「俺にとっては重要です。お願いします、先輩」


 クラリスは、あははは、と高く笑った後、涙を拭って……理不尽なことに私の方を見て……冷たく言い放った。


「他所でやれ」

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