第10話 酔った淑女に優しい馬車の速度を求めよ

「先輩、大丈夫ですか?」

「だ……、大丈夫です。ご心配……なく」


 口数を少なくするために普段よりも多くお酒を飲んでしまったためか、夜会がお開きになる頃には酔いが随分と回っていた。歩けないほどではないが、寄り添ってくれるコンラート様が頼もしい。

 とはいえ、今日はずっと頼りっぱなしだ。せっかく招待してもらったのに、あまり情けないところは見せられない。いつも以上に細く感じるヒールを地面に突き立てるイメージで、コンラート様の腕に触れたままゆっくりと歩く。

 庭園の門の外に停まった馬車までの数分。灯りに照らされた美しい庭園の中を歩くのは、どこか夢のような心地だった。


「……今日はありがとうございました」

「こちらこそ、先輩」


 馬車まで辿り着き、ドレスのスカートを摘まんで礼をする。

 コンラート様も軽く礼を返して……馬車に乗るのを手伝ってくれる手に甘えて客室キャビンに乗り込む。

 ――なぜか、コンラート様も乗り込んできた。


「……はぇ?」

「随分酔っているようですから、しっかり帰宅するのを見届けようかと」


 無邪気な笑顔のままそんなことを言うコンラート様の頬も少し赤く見える。

 馬車の中で距離を取るように後ずさり、無意味に手を伸ばして振った。


「い、いえ、いえっ、大丈夫……! 大丈夫ですから……!」

「……本当に大丈夫ですか?」


 その手を握られて、ぐいと引かれる。軽い動きに見えて、力強い。僅かに開いた距離はすぐに埋められ、ドレスと服が触れ合う近さでじっと見つめられる。

 これは、まずい。

 なにがまずいかわからないがとにかくだめだ。


「ま……っ、待って、ください……! 待って!」

「酔いが覚めるまで待つわけにはいかないと思いますよ、先輩」

「そうじゃなくてっ……!」


 脳裏に、父から届いた手紙の文面がちらつく。『余計なことをするな』。

 更に距離が近く。コンラート様が『先輩』と呼ぶ声が、すぐ近くに聞こえて。私は思わず瞼を閉じて……。数秒。


「……申し訳ありません、俺も酔ってるようです。ご迷惑をおかけしていますね」


 恐る恐る目を開くと、あまり申し訳なさそうではない、何やら楽しそうないつくしむような味わい深い笑みが見えた。

 いえ、とか、その、とか、意味を為さない言葉を口にして取り繕う。じりじりと下がって距離を取るが、今度は引っ張り戻されはしなかった。

 コンラート様はそのまま馬車を出て、ゆっくりと扉を閉める。


「お気を付けて、マルケータ先輩」

「……はひ」


 頷く以外に、何ができただろうか。

 王都別邸タウンハウスに到着し、御者から苛立たしげに扉を叩かれるまで、私は茫然としていたのだった。

 頬が熱いのは――お酒のせいにしておこう。


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