第9話 小麦と砂糖と牛乳とバターの価格を求めよ
「すごいですね……」
「マルケータ先輩は、甘いものがお好きですか」
コンラート様に問われて、少し恥ずかしいが頷く。
「お恥ずかしながら、大好きでして……。頂いてもよろしいでしょうか」
「もちろん。俺は菓子には疎くて、どれがおすすめですか?」
「私はやわらかい焼き菓子が特に好きです……ですが、どれも美味しそう」
いかにもしっとりと焼き上げられた黄金色の焼き菓子を取ってもらい、包み紙越しに暖かさを感じながら一口、二口。花の国風の、ぜいたくに使われた小麦と牛乳のバター、そして砂糖の味わいをかみしめる。塔の国では乳といえばヤギだが、牛の乳の方が癖がなく濃厚だ。
はふ、と一息。
「美味しい……」
「気に入って貰えて何よりだ、マルケータ殿」
「素晴らしいお菓子ですね。小麦や砂糖も、今は確保が大変だったのではありませんか」
「……なぜそう思う?」
……たいていの場合、失言は口に出してから気付くものだ。
レオシュ殿下の視線を受けて、思わず目を逸らす。隣のコンラート様もなぜか真剣な表情をしていた。
「いえ……ええと。今、西方で起きている戦いの影響で、西方からの品物で質が良いものは入りにくなっているのでは、と」
「ふむ。武具ならばわかるが、戦争と菓子の材料に関わりがあるのか?」
何やら楽しそうな、レオシュ殿下の問いかけ。周囲で頷く貴族たちからも視線が集まるのを感じ、思わず視線を伏せる。
「数字がそのように連動していたので……」
「数字が?」
「で、ではなくっ……。戦争となると多くの人とモノが動きますから、穀物のようなかさばるものや、砂糖のように生活に必須ではないものは後回しにされてしまうのではないかと」
ズミノー伯爵の言葉が脳裏に蘇る……『君の仕事は計算することだろう? 余計なことを書くような余裕があるとは』……下級貴族の娘が生意気なことをと言われないだろうか。
次の質問が来ないので、伏せていた視線をゆっくりと上げる。
何やら、コンラート様が周囲を自慢げに見回していた。
「くく……コンラートが推すわけだ。仰る通り、厨房の連中は値段が高かったとずいぶん文句を言っていたよ。とはいえ」
レオシュ殿下が笑って見せる。
「これは秘密だが、俺はまあまあ金持ちでね。マルケータ殿、君の推測は大いに正しいが、今日は遠慮せず菓子を楽しんでいってくれ」
「は、はい……! 大変失礼を、申し上げました……」
「先輩、失礼なのはわざわざ聞いてきたレオシュ殿下の方ですから」
コンラート様の一言でさざ波のように小さな笑いが起き、菓子を囲んでの雑談に移っていく。心底から安堵が溢れて、詰めていた息をゆっくりと吐き出す。
私の発言がきっかけとなってしまったか、話題は西方の戦争についてだ。
「花の国と森の国の小競り合いも、もう何度目だか」
塔の国の西隣に位置する領邦国家、森の国。さらにその西、大陸の西海に面した大国、花の国。両国は歴史的に仲が良かったり悪かったりしており、ここ百年は険悪な時期が続いている。国境線をめぐっての小さな戦が何度も起きているようだ。
「今回はどうも長引いている様子だぞ」
「恐ろしい話ですわ。殿方は戦争のお話がお好きね」
「好きでやってるわけじゃあないが……連中はどうかな。森の国からは援軍の要請が来ているようでな。次の御前会議で、ドシェク公爵の一派が森の国に援軍を送るとか、そういう提案をするそうだ」
びくり、と身が震える。
ドシェク公爵家――ユリウス様と結婚し、嫁入りするはずだった家。
コンラート様が私を見て、だが何も言わずに微笑んでくれていた。その反応で、ああ、知っているのだと改めて理解する。
名も知らぬ感情、羞恥に似たもやもやが胸に苦しい。
「マルケータ殿はどう思われるか? 貴女の数字は、戦の勝敗まで占えるものかな」
先程行き会った、辺境伯の長男から問われる。
胸につかえるような感情を飲み下そうと、曖昧に微笑んでグラスを傾ける。酒が喉を滑り、しかし言葉は……出てこない。
何かを言おうと焦る思考が、ますます形にならず渦巻く。
「あ、の……」
「先輩」
声と共にコンラート様の手が背に触れた。
大きく、硬く、暖かい。
思わず見上げると、赤銅塔で見るのと同じ、人懐っこい印象の笑みがあった。ただ呼びかけただけでこちらを見つめる表情に込められた感情は――期待、だろうか。
ふっと、息をするのが軽くなる感覚。
赤銅塔で計算をしている時のように頷く。
「失礼。……女の身では、戦のあれこれはわかりませんが……」
戦争に関わる数字ならば、読める。
「国全体の資産は、花の国の方が多い。一方で、国境沿いの領地で見れば、森の国の方が馬と武具を揃えているものかと思います。今の戦いが小規模なものなら、一時的には森の国が有利ではないでしょうか。ただ……」
「ただ?」
「花の国の品物が、我が塔の国に入ってきています。商人は空の馬車では帰りませんから、他国の品物が花の国へと入っているということでもあります。森の国が本気で戦争をする時は、その往来を許さないのではないかと思うのですが……いかがでしょう?」
戦争も、商売も、実際にはしたことがない。私が見ているのは、結果としての数字だけ。
だから結論を出すことは難しく、最後は問いかけるかたちになってしまった。
ふむ、と皆が考えるような間。
「一理あるな。あくまで小競り合いであって、国同士のつながりを断つほどの意思はない、か」
「花の国の貴族と文を交わしておりますけれど、戦争の話題は聞きませんわ」
「勝敗が我が国に影響するほどの戦争ではない、ということか。なるほど、何とも赤銅塔らしい意見だ」
そう言って、辺境伯のご令息が笑う。多少の参考にはなったようで、良かった、と吐息した。話題は流動的に移っていき、どれもが頭を使う刺激的な雑談だ。
私にとっての計算のように、彼らには軍事や政治や社交の知恵と経験がある。その輪の中で様々なことを話すのは、楽しかった。
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