第8話 黄金の焼き菓子に含まれる砂糖の量を求めよ


「これは……お美しい。赤銅塔での先輩も美しいですが、今夜は格別ですね」


 私を出迎えたのは、コンラート様の歯が浮くような台詞だった。

 夜の庭園。

 蝋燭に薄布をかぶせた灯りがぽつぽつと置かれた庭園は美しく、華やかに着飾った男女が歓談している。

 コンラート様も赤銅塔で着ている落ち着いた印象の服ではなく、艶のある黒の夜会服姿だ。飾りは少なく、華美ではないが、姿勢の良さと合わせて目を惹く。


「恥ずかしくない格好に見えているなら、安心しました」


 コンラート様がさりげなく差し伸べて下さった手に手をそっと乗せ、導かれるまま庭園の中へ歩き出す。並ぶ机にはお酒のグラスが並び、幻想的な灯りを受けて揺らめいている。

 ダンスホールではなく庭園での夜会という形式は、少なくとも伝統的ではない。場所も王城ではなく、あくまで男爵としての招待であり、『気楽な集まり』としたクラリスの推測は正しいようだった。


「おや、コンラート。そちらのお美しい婦人はどなたかな?」

「まだ主催ホストとの乾杯も済んでいないから、後ほどご紹介しますよ。いえ、その後もあなたには秘密にしたいな」

「お前から奪ったりはしない……いや、わからんな。お嬢さん・・・・、是非後でご挨拶させてくれたまえ」

「は、はぁ……恐縮です……」


 ――国の東部を守護する辺境伯の長男で、私ですらその武勇を聞く英雄とか。参加者は普通の下級貴族の集まりでは見ることのない面々だったけれど。

 私はできるだけ俯いて、しずしずと歩く。そんな様子に気付いたのだろう、コンラート様のエスコートはゆっくりと柔らかく、歩調を合わせてくれた。きっとダンスも上手いのだろう、と現実逃避をするのも束の間、ついに辿り着いてしまった。


「コンラート、遅かったじゃないか」

「主役は遅れてくるものですよ、殿下」


 黒髪の青年、レオシュ男爵。王位継承権第二位、正真正銘の王子様である。

 社交の場における序列というのは複雑なものだが、王族が絡むと更に複雑になる。下手に出るべく礼をしかけたところ、コンラート様が軽く肩に触れて動きを留めた。さりげなくも的確なタイミングで触れる指先に、少し胸が高鳴る。


「マルケータ先輩、ご紹介します。こちらは鷹の如く高い志と鋭い翼を持つ、レオシュ男爵」

「よろしくお願い申し上げる」

「男爵閣下、ご紹介します。こちらは赤銅塔の才媛、頼もしき先輩であるオルサーゴヴァ子爵家ご令嬢マルケータ殿です」


 スカートを摘み、できる限り丁寧に淑女の礼を示す。家格が下の者から挨拶するのが通例だから、この場ではあくまで男爵として扱え、ということだろう。


「ま、マルケータ・オルサーゴヴァと申します。お招き、感謝いたします、男爵閣下。どうぞお見知り置きください」

「くく……そう固くならず、マルケータ殿。コンラートからも聞いているだろうが、今日は本当に友人ばかりの集まりだ。面子はともかく酒は良いものを揃えたから、楽しんでいってくれ」

「ありがとう、ございます。身に余る光栄で……」


 ああ、もう。

 クラリスならもう少し気の利いたことを空気に合わせて返せるだろうが、社交を厭っていた私には、こんな特殊な場で使える語彙がない。クラリスから借りた胸元の真珠に思わず触れる。力を貸して。というか代わって。

 その手に、冷たいグラスが触れた。


「どうぞ、マルケータ先輩」

「あ……ありがとうございます」


 コンラート様が差し出してくださったグラスをそっと摘み、少し掲げて乾杯とする。

 その後は、その場にいた人たちに紹介され、コンラート様の影に隠れながらの雑談となった。


「赤銅塔での修行はどうだ、コンラート?」

「刺激的ですね。数字の書き方から教えてもらっています」

「お前らしい。こいつはしつこいから相手をするのは大変だろう、マルケータ殿」

「いえ、その……大変聡明でいらっしゃいますので……」

「先輩の教え方がいいので。毎日目を開かされる心地ですよ」

「ふむ……こんな美人を捕まえて先輩と呼ぶとは羨ましいな。俺も赤銅塔に入り直すか?」

「殿下は青玉塔で大人しくしておいてください。貴方が動くと大抵大騒ぎになるんだから」


 青玉塔は外交を司る。四方を他国に囲まれた塔の国にとって、外交力はなくてはならない力だ。その分実力者が揃う青玉塔でも存在感を示すレオシュ殿下は、やはり有能なのだろう。なのに、軽い冗談で笑っている青年たちは、まるで市井の若者たちのように気負いがない。

 私も曖昧に微笑んで、酒を含む。良い酒を揃えたというのは本当のようで、爽やかな味わいが美味しい。


「ん……」

「先輩、その酒が気に入りましたか」

「ええ、とても。大変美味しいです」


 ほんのり甘い酒精の味と、口を開かない言い訳を求めてグラスを傾ける。

 レオシュ殿下とコンラート様、そしてそれぞれの友人たちは、本当に気兼ねのない友人として付き合っているように見えた。女性のパートナーを連れている人がほとんどだ。

 ふと、通りかかる女性と目が合った。華やかなドレス、自信に満ちた微笑み。その視線がはっきりと私を見ていた。

 ……んん?


(まさか……コンラート様のパートナーだとか、勘違いされていないでしょうね……)


 受け答えに精一杯で意識する暇がなかったが、今夜はずっとコンラート様にエスコートしてもらっている。それだけでなく、酒や軽食、話題の振り方まで、細々気遣ってくれているのが伝わってきていた。コンラート様は私を招待した者として世話を焼いてくださっているだけに違いないが、その誠実な人柄を知らない人には勘違いされてしまうかもしれない。

 万が一そんな勘違いがあれば、コンラート様に迷惑がかかる。何しろ私は婚約を破棄されたばかりという、とびきりの曰くつきなのだ。


 思わず、半歩横にずれる。

 たったそれだけの動きで気付かれたらしい。


「お疲れですか、先輩」

「いえ、大丈夫……です」


 気遣わしげな声が憎い。

 庭園での夜会では、壁際で誰かを待つ振りもできないし、『夜風に当たりたい』という定番の言い訳も使えない。思ったより厄介だ。


「ふむ。狩りの話題はご令嬢には退屈か」

「レオシュ様の自慢話ばかりだからでしょう」

「違いない。ではご婦人方が好きな話をしよう」


 レオシュ殿下が軽く合図をすると、使用人たちが各テーブルへとお盆を配り始める。現れたのは、色とりどりのお菓子だ。


 良い香りを立てる、黄金色の焼き菓子。

 可愛らしい色の飴細工。

 艶やかな色合いのジャムが載ったクッキー。

 クリームの層が見えるように小さく切られたケーキ。


 ほう、と、主に女性たちからとろけるような吐息がこぼれた。私もその一人だ。

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