第6話 双子鷹の紋章が捺された招待状の重さを求めよ

 数日が経っても、コンラート様の教育係という大変に名誉な仕事から解放されなかった。

 財務を扱う赤銅塔が最も忙しくなるのは、秋の収穫期と、春の交易期だ。春から短い夏へ向かう今の時期は、そこまで忙しくはない……もし多忙な時期だったら、コンラート様にいちいち仕事を教えている余裕はなかっただろう。


「コンラート様、次はこの書類から村の男衆の人数を抜き出して地域ごとに足し合わせてください。小さな村も多いので単位は十人ではなく一人でお願いします」

「わかりました。ですが、各領主から領地ごとの人数は来ていたように思いますが……」

「領主の仕事は領地を守ることであって人数を数えることではありません」

「ああ……計算結果が信用できない、と……?」


 正しくは『誤っていることを信用している』だ。

 計算自体はそう難しい技術ではないとはいえ、全ての領地で赤銅塔並の計算役を育てるのは無理だろう。

 赤銅塔で計算役だった女子が結婚した後、領地運営で夫を支える、という話もよく聞く。


「文字や数字が誤っている可能性もあるので、不明な点があれば私へ回してください」

「わかりました。ところで、俺のことは呼び捨てにしてもらえませんか、先輩」

「恐れ多いことです。余計なことを仰る暇があるなら早く計算に取り掛かっていただけませんか、シャレク侯爵ご子息閣下」

「くく……っ。失礼しました、すぐに」


 何がおかしいのか、私の皮肉の棘を笑って受け止めたコンラート様は、隣の席で計算を始める。最初は筆算の方式もあやふやだった彼のペンは、今や淀みなく動いて数字を紡ぐ。

 やはり聡明な方だ。

 横目に見守りながら思う。教えたことはしっかりと理解し、自らのものとする、大貴族の子弟にふさわしい知性。傲慢さの薄い、気品ある振る舞い。少し癖のある金髪が柔らかい印象を与える美丈夫でもある……彼のせいで若い娘が何人か使い物にならなくなっている程度には。


 年齢は二十二、秋生まれだという。私には興味のない情報だが、彼が勝手に伝えてきたのだ。なお私の方は年齢を聞かれなかった。例の婚約破棄で知れ渡っているのだろう。

 問題はたった一つ。


「……なぜ私に声をかけてくださるのかしら」

「何か仰いましたか、マルケータ先輩!」

「独り言です。計算に集中してください。三行前、数字を読み違えていますよ」

「うわ。失礼しました」


 彼が赤銅塔の下層にいるのは、将来的に上層で働くためだろう。視察のようなものだ。ただ計算することと、数字から国の状況を読み取ることは、全く違う能力であり……上位の貴族に求められるのは後者だ。

 少なくとも、こんなところで計算しか取り柄のない下級貴族わたしに構う理由はないはずなのだが。


「……できました! 先輩、確認をお願いします」

「拝見します。では、こちらの検算もお願いできますか」

「はい!」


 書類を交換し、数字を指先で……書いたばかりのインクに触れないように……なぞっていく。

 彼の文字は性格を示すように大ぶりで読みやすい、素直な筆致だ。時折省略が入るのは私の趣味ではないが、気さくに話しかけてくるような印象を受ける。技巧を凝らした流麗な詩ではなく、楽しく歌うような詩が似合う、気持ちの良いペン捌きだった。

 一方で、数字は几帳面に正しいかたちで記されている。これは明らかに私の指導通りだった。人間は正しく書いても読み誤るのだから、正しくかつ見やすく記せ、と。


「……うん。問題ないですね」

「こちらも、完璧でした。さすがマルケータ先輩ですね」

「偶然ですよ。ミスがないのは運が良かっただけです」


 なぜか微妙な顔をする相手へ書類を返し、別の書類に取り掛かる。

 ここ数日はこうやって彼に仕事を教え、合間に話しかけられたりしながら過ごしていた。夕暮れの鐘が鳴り、私もペンを置く。


「お疲れ様でした、先輩」

「コンラート様もお疲れ様でした。何か説明が不足していたところはありませんか」

「マルケータ先輩の解説はいつも完璧ですから」

「光栄です」


 お世辞を言われる立場になるのは結構久しぶりで、それを優しい笑顔で言われるのだから、多少嬉しくなってしまうのは仕方ないだろう。そんな言い訳をしながら、表情が緩まないように頬に力を込める。

 では、と礼を交わして今日も『雑務』へ向かおうとしたところで、コンラート様に留められる。


「先輩、一つお願いがあるんですが」

「……なんでしょう?」

「実は明日、ちょっとした夜会がありまして。友人たちだけの気楽な会なのですが――」


 このやりとりもすでに三回めだ。社交辞令にしては熱心に誘ってくれる。申し訳ないのは、私がそもそも人付き合いを厭うという点だった。彼の友人となればどうせ大貴族の子弟ばかりだろう。話が合うとも思えない。

 穏便に断るべく明日の予定を思い出す前に、彼が続けた。


「先輩の話をしたら、是非来てほしいとホストから招待状を預かっていまして。もしご都合がつくようならお付き合いいただけませんか」


 懐から取り出した封筒を丁寧に手渡してくる。咄嗟に受け取った封筒の封蝋を見た瞬間、私の思考と身体が硬直した。

 コンラート様はとっておきのいたずらが成功した少年のような笑顔を浮かべる。

 視界の端で、コンラート様に声を掛けようと機を伺っていたらしき令嬢がふらりと揺れて、『無邪気な笑顔も素敵……』などとのたまっていたが……こちらはそれどころではない。


「あくまで男爵個人としての招待とのことですので」


 封蝋には、王族を示す二羽の鷹の紋章。

 王位継承権第二位、レオシュ殿下からの招待だった。現在は男爵という一貴族としての爵位を持っているが、将来は王になっても不思議はない立場だ。


「つっ……謹んで……お受けいたします……」


 断れるわけないじゃないですか……!?

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