ストーリー④ 人狼
――夜一〇時。
多くの生徒は寮室で就寝の準備をしているだろうが、しかしもしかしたら一人、二人ぐらいは学生寮の外を歩いているかもしれない……という微妙な時間帯。
日堂院スカラは校舎の屋上にうつ伏せになり、対面にそびえる学生寮をナイトスコープで監視していた。
スコープで、生徒会メンバーの寮部屋を次々に確認していく。
しばらくの間監視を続けるが、怪しい動きは見られない。
「……何も動きがねェですね」
普段は一時間に一人程度、何かしらの用事を伝達しに学生寮を出入りする教師がいたり、気晴らしなのか寮の玄関口に出てくる生徒がいるのだが、今日はそういう人物の一人すらいなかった。
「…………」
スカラの心に焦りが生まれる。
様々な調査をしてきたが、未だに侵入者の目途すら立っていない。
広報委員会はもちろんのこと、それ以外の生徒会や風紀委員会、そして学生寮への立ち入りが多い教師陣などを監視・尾行してきたが、未だに怪しい人物の一人すら見つけられていないのが現状だった。
「やはりもう、これしかありませんね」
大きく息を吸い込むと、彼女は拳銃を内ポケットに入れて屋上から退出した。そして校舎の玄関を通り、深夜で誰もいない校庭を一人で歩いていく。
――自ら囮になる。
監視を続けても効果がなかった以上、より積極的な策を実行する必要があった。
そのまま彼女はまずは人目につきやすい学生寮の付近を歩き回り、その後、人通りが少なく死角にもなりやすい倉庫近辺を周回した。
小一時間ほど歩き回るが、しかし、何も起こらない。
「ただ深夜にウォーキングしただけになっちゃいましたね。今日は大人しく、監視カメラだけ回収して帰るとするですか」
諦めて帰ろうとしたそのとき、背後から足音が聞こえた。
咄嗟にスカラは身体を回転させる。
「っ!」
彼女の右腕の皮膚が、強靭な爪によって抉られたかのように出血した。
スカラは長年の経験を活かして、大きく後退してから姿勢を低くして周囲を確認する。
しかし、付近には誰もいない。
人影どころか、犬猫や植物の一つすらない。
倉庫の壁がある以外は土がむき出しの地面しかない。
遠隔攻撃か? と一瞬考えるが、違うと判断する。
トッ、トッ、と何者かがこちらへと走り迫る足音が聞こえる。
――姿の見えない何者かがここにいる。
足音が聞こえた方向へと銃弾を放つ。
しかし手ごたえはない。
耳を澄ませて足手が近づいてくるのを待つ。
そしてある程度距離が近づいたところで再度、銃撃。しかしその攻撃も当たらなかった。スカラの袖口が見えない爪によって引き裂かれる。
「厄介ですね! 姿が見えないっていうのは!」
スカラはこの見えない敵を倒そうとは一ミリも思っていない。
諜報員としてどれほど優れていても所詮はただの人間。
わけのわからない能力を使う敵を倒せるわけがない。
その相手はスペースガールズが努めるべきだ。
しかし、諜報員として。
ターゲットの情報を一つも獲得できずに逃げるのはプライドが許さない。
「命を守るのも重要ですが、プライド守るのも大事なんでごぜーますよ!」
相手の爪がスカラの皮膚に接触したタイミングで彼女は身体を捻り、相手の身体に掴みかかった。振り落とされそうになりながらも身体を密着させて、姿の見えない敵の体形を把握していく。
二足歩行。体長は三メートル近い。
手足が強靭で、全身が体毛に覆われている。
「聞いていた話と随分違いますね」
たびたびこの潜伏者のことを人狼に例えてはいたが、まさか本当に狼男のような姿形をしているとは思わなかった。
ある程度潜伏者の情報を得たところで、そろそろ退散するべきだとスカラは判断した。
しかし、物事には代償がつきものだ。
そう簡単に逃げられるわけもない。
相変わらず姿の見えない潜伏者が大きく跳躍した。
そしてその衝撃によってスカラの身体が地面に転がる。蓄積されたダメージによって動きが鈍り彼女はすぐに立ち上がれない。
そんな彼女へと、足跡が一歩、二歩、と近づいていく。
「っ……」
スカラは息を呑んだ。
足跡が彼女の目の前で止まった。
姿は見えないが確実に目の前にいる。
そして、見えない潜伏者が、弱った羊を仕留めようとする狼のごとき笑みを浮かべている気配を感じ取った。爪が、振り下ろされる――。
「スカラちゃん!」
そのとき、離れた位置から走ってきたラン・フォンがスカラの目の前で両腕を広げた。潜伏者によって放たれた強靭な爪がラン・フォンの身体を大きく引き裂く。
多量の血液が噴出し、その返り血によってこれまで姿の見えなかった潜伏者の姿が部分的に可視化された。
しかしそんなことどうでもいい。
おびただしい量の出血をしているラン・フォンにスカラは抱き着いた。
そして彼の身体を支えながら問いかける。
「ど、どうして……」
「寮の前を歩いてるスカラちゃんを見つけて……、こんな時間に出歩くなんて危ないから、声をかけようと思って我も外に出たら……。銃声が聞こえて。探してたら、何かに襲われてるスカラちゃんが目に入って……」
「そんな理由じゃなくて! どうして、私なんかを守って!」
その問いに、ランは静かに答えた。
「……スカラちゃんが我を守ってくれたから、借りを返しただけだよ」
「守った? いつ私が貴方を?」
「昨日。……我の秘密、守ってくれたでしょ?」
「っ、馬鹿なんですね、貴方」
ランの傷口を必死になってスカラは押さえた。
自身の服をちぎって簡易な包帯として手当を施す。
あまりにも必死になっていて気づかなかったが、姿の見えない潜伏者はいつの間にか退散していた。その代わりに、銃声や悲鳴を聞きつけたらしい他の生徒や教師たちがランとスカラの周囲に駆け寄ってきていた。
ある職員が、右腕から血を流すスカラの姿を見て声をかける。
「大丈夫かい? 君も怪我をしているじゃないか」
「わたしなんてどうでもいいです! それよりも彼を……彼を助けてあげてください!」
スカラは周囲の人たちへとそう叫んだ。
それから数分後、その場に駆けつけた医療スタッフたちによってランは担架に乗せられて、学園内の医療所へと運ばれていった。
その姿を見ながら、スカラは歯を噛みしめる。
「許さねーですよ……侵入者」
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