ストーリー③ 奴の正体

 南国に建設されたこの学園は広大な土地を有していて、学園内には訓練施設や研究所だけでなくスーパーや食堂、娯楽施設まで併設している。言ってしまえば一つの都市に近く、この学園で日々訓練に励むスペースガールズ候補生たちのほとんどは、生まれ育った土地から離れてこの学園内にある学生寮で暮らしている。


 三〇〇〇人もの生徒を生活させるため学生寮は一〇棟に分かれて隣接しており、さながらその姿は高層マンションが立ち並ぶベッドタウンのようになっている。


 そんな綺麗で快適な学生寮。


 その一室――ラン・フォンが生活する部屋のなかに、日堂院スカラは忍び込んでいた。


 ランは今食堂でご飯を食べており不在。そのことを把握していたスカラは諜報員の技術を発揮してランの部屋の鍵を開錠し、勝手に忍び込んでいた。


 なぜそんなことをしているのか? 理由は単純である。


 ラン・フォンが潜伏者なのではないかとスカラは仮説を立てて、その証拠が残されていないか室内を漁ろうと考えたのだ。


「しかし、見た目通りの可愛い部屋でごぜーますね」


 ランの部屋は全体的に水色とピンクを基調としたアイテムで統一されており、布団やテーブルはもちろんのこと、本棚までもその二色で埋め尽くされていた。


 さてどこから漁ろうか、とスカラが視線を巡らせたとき、テーブルの上に木製フレームの写真立てが置かれていることに気づいた。


 三〇代ほどの男女と可愛らしい子供が一人映っている。


「ラン・フォンさんの家族でしょうか?」


 ふむ、と少しだけ考え込んだ後に、スカラはその写真から意識を外して今度は本棚へと視線を向けた。若者向けの小説や宇宙工学の教科書が並んでいるのとは別に、アルバムのようなものが積まれている一角があった。


 そこに置かれている物をスカラは丁寧に取り出していく。

 幼少期のラン・フォンと思われる写真やその友達らしき人物からの寄稿、そして乱雑にまとめられた分厚い書類の束。


「……『BIOS細胞適応者の拡大に向けた投薬実験』?」


 そのようなタイトルが記載されたおよそ一〇〇ページ近い書類には頭が痛くなるほどの量の文章がぎっちりと記載されていて、時節、何かしらの数値をグラフ化したと思われる図が掲載されていた。

 

 ――BIOS細胞に適応した人体には、身体能力の著しい向上、及び大気条件や放射能に対する耐性向上が発現することが確認されている。この能力は将来的に人類が宇宙進出を実現するために不可欠な条件となる。

 しかし現状、BIOS細胞は女性のみに適応しており、加えて六歳~一八歳までの期間にしか注入ができず、それ以降の年齢では拒絶反応が発生することが明らかになっている。従って宇宙進出時代を見据えると、男性や高齢者にもBIOS細胞を適応させる手法を模索する必要がある。

 そこで本研究では、幼少期の男性のホルモンバランスを操作し、BIOS細胞を注入することでホルモンバランスがBIOS細胞の適応性に与える影響を調査することを目的とする。またこれにより史上初の男性スペースガールズの誕生を目指すものとする。


「……史上初の男性スペースガールズ?」


 なんだそのミカン味ストロベリーみたいな名称は。

 そんなことを思いつつ、スカラはその論文のページを捲っていく。


 やがて最後のほうの謝辞に、この研究に協力した者たちの名前が記載されていることに気づいた。


 ――被験者 ラン・フォン(一二歳)


「……つまり、」


 スカラがその論文から得た内容をまとめようとしたとき、ドアの向こう側――廊下から足音が聞こえた。急いで時計を見るとこの部屋に侵入してから二〇分が経過していた。どうやら論文に気を取られて時間を使いすぎたらしい。


 まずい、とスカラは焦りながらもその紙の束を元の位置に戻し、またその他に触った物も記憶を頼りに元々の位置へと寸分違わず修正する。


 そこまで終わったところで、スカラは咄嗟にクローゼットを開けてその中に隠れた。


「うーん今日も疲れた~!」


 そんな独り言を言いながらラン・フォンが部屋に入ってきた。


 やばいやばいやばい。

 心臓バクバクの状態で、スカラはクローゼットの中に隠れながらわずかに開けた隙間越しに、部屋のなかを動くラン・フォンの様子を見つめる。ラン・フォンは右肩にかけていたカバンをテーブルへと置くと、ベッドサイドからタオルを取り出した。

 そしてそのまま部屋から出ていく。


 少し経って、サァァというシャワーが流れる音が響いた。


 どうやら寮室に備え付けられているお風呂場へと向かったらしい。事前に調べた寮室の構造上、今スカラがいる部屋とお風呂場は壁一枚を隔てているにすぎず、油断はできないものの一旦クローゼットから出ても問題はなさそうだった。


 今のうちに帰るべきか否か。


 悩んだ末に、スカラはこのチャンスを少しでも活かそうと判断した。ラン・フォンがお風呂場から出てくる前に、先ほどの論文の中身を撮影して証拠を確保したい。


 そして再びスカラは研究論文を手に取り、最も核心的な内容が記載されているであろう『結果』の項目へと視線を落とした。


 ――Lsi2の投薬により、非検体男性(一二歳)のホルモンバランスに変化が確認された。またLsi2投薬から三〇日後にBIOS細胞を注入した結果、非検体男性の体内にて適応反応が生じた。その際のデータが図35であり~~~~。


 スカラは一旦、論文を机に置いた。


「非検体男性。BIOS細胞の適応。つまり……ラン・フォンはただのスペースガールズじゃなくて……史上初の男性スペースガールズ?」


 いや、そんな馬鹿な。どう見ても女のはず。

 あんなにも可愛い男の子がいていいはずがない。


 そのとき、お風呂場のドアが開く音が聞こえた。


 未だ動揺する心を抑えて、スカラは再びクローゼットに隠れる。

 いくつもの可愛らしい服が押し込まれた薄暗いクローゼットの中で、彼女は頭を回転させる。


 あんなにも可愛いのに男の子? いやいやそんなわけない。

 きっと何かの勘違いに決まっている。


 そのとき、お風呂場から出てきたラン・フォンが部屋の中に入ってきた。


「着替え持っていくの忘れちゃった」


 ラン・フォンは裸だった。


 クローゼットの隙間から部屋の中を覗いていたスカラの瞳に、ラン・フォンの裸体が映る。


 薄い胸板、思ったより引き締まっている腹筋、そして、股の間で揺れるアレ。


「あ、アレは……ペ、ペニ……い、いやアレは……」


 あまりにもビッグ。

 それはまさに大蛇とでも呼ぶべき巨大な畏怖対象だった。


 ガン、と思わずクローゼット内で頭をぶつけてしまうスカラ。


「え、一体なんの音!?」


 驚いた様子でランがクローゼットを開ける。

 そこにいたのは怯えた瞳とともに膝を抱えて震えるスカラの姿。


「う、うわああああ! なんでここにスカラちゃんが!?」

「う、うわああああああ! 目の前で大蛇が踊ってるぅぅぅ――っ!」


 ランの動きに合わせて、スカラの目の前で大蛇が躍動する。


 衝撃の光景を目の当たりにして脳の処理が追いつかなくなった日堂院スカラは鼻血を流しながらプツリと気絶した。


     *


 それから数刻後、スカラはベッドの上で目を覚ました。

 きょろきょろと辺りを見渡す。どうやらラン・フォンの部屋のベッドでそのまま寝かされていたらしい。


 スカラが目覚めたことに気づいたラン(※もちろん服を着てる)が、心配そうな表情をしながらスカラの傍に近づいた。


「急に気絶してびっくりしたよ。大丈夫だった?」

「え、ええ。大丈夫でごぜーます」

「そ、そっか。それなら良かった」

「はい」

「…………」

「…………」


 気まずい沈黙が場を満たす。。


 やがて、ランが意を決したように口を割った。


「あ、あのさ……見ちゃったよね、我の……」


 その言葉を受けてスカラは先ほどの光景を思い出し意識を失いそうになる――が、ぐっと耐えて慎重に答えた。


「え、ええ。かなり驚きましたが」

「だ、だよね。その……正直に教えて欲しいんだけど。どう思った?」

「ど、どう思ったかですか!?」


 不安そうな眼差しで問いかけてくるラン・フォンへと、スカラは正直に答えた。


「ええっと、その……かなりご立派かと。ランさん以外のを見た経験があるわけじゃねーですが、野球バットぐらい太くて長い物をぶら下げている男性はそんなにいないかと」

「何言ってるの!? そういう話じゃないよ!? その……我が男だったってことについてどう思ってるか聞いただけだよ!」

「と、トトと当然、分かっていますとも!? ただの冗談でごぜーます冗談!」


 完全に自爆した。

 もう嫌だ、帰りたいと内心泣きながらも、ごほん、と咳払いしてスカラは心のスイッチを押し、精神を冷静モードに切り替えた。


「そうでごぜーますね、どう思ったかというと……びっくりした以外の感想がねーのが正直なところですが」

「軽蔑したり、嫌悪してたりはしない? 女だけの学園に忍び込みやがって、みたいな」

「そんなことは一切思わねーですよ」


 正式なスペースガールズ候補生たちがどう思うかはわからないが、少なくとも任務の為に一時的に入学しているだけのスカラは、そこまでの嫌悪感は抱いていなかった。


 そんな本心はさておき、スカラの返答を聞いたランは安心したように破顔した。


「そっか、良かったぁ。スカラちゃんに嫌われなくて」


 とても可愛らしい笑顔。

 それを見て、スカラの胸に謎の刺激が走る。


「……?」


 違和感を覚えながらも、彼女は話を変えるようにランへと質問を投げかけた。


「男だというのは分かりましたが、どうやってこの女性だけの学園に入学したんです?」


 正式な手順を踏まず入学したか、あるいは誰かと入れ替わる形で侵入したか。

 スカラは制服の裏側に拳銃があることを確認し、そのグリップを握った。


「あ、一応、入学は正式の試験を受けて突破したよ。入学規定には女性しか入学できないみたいな記述はないから。今まではBIOS細胞が適合するのは女性だけだったから、男性の入学者はいなかったけど」


 そこまで語ると、ランはどこか悲しそうに瞳を伏せた。


「……我は、世界で初めてBIOS細胞の適合に成功した男なんだ」


 スカラの脳裏に先ほどの研究論文の内容が浮かぶ。

 しかし部屋を漁ったことを悟られてはならない。彼女は遠回りに質問した。


「普通の男性ではBIOS細胞が適合しねーはずですが。特異体質ですか? それとも何かしらの研究の成果だったり?」

「うん、そうだよ。我は非検体なんだ」


 そして彼は、BIOSとの戦闘要員を増加させるために、男性もBIOS細胞に適応する必要があると説明した。その目的を叶えるためにラン・フォンは非検体として研究対象にされてきたと。


 学園側もまた研究については承知していて、ラン・フォンの性別も把握しているらしい。


「……本当は正体を隠して学園生活を送るなんて間違っていると思うよ。みんなを裏切るみたいで凄く心苦しい。でも、我はまだ正式に世間へ公表できない実験体だから……こうして、正体を隠したまま学園に通ってるんだ」

「そうでごぜーましたか」


 学園側も絡んでいるとなれば、あとで室長に確認ができる。


 もしランの証言が正しいとなれば、彼女――いや彼が人狼である可能性は極めて低いと判断しても良いだろう。


 そう考えて一人納得しているスカラへと、ランが不思議そうな顔をともに尋ねた。


「ところで我も一つ質問があるんだけど」

「なんでごぜーます? わたしたちは仲間ですからね、何でも聞いてくだされです」

わざわざ『仲間』なんて言葉を使ってそう返答したスカラへと、彼は告げた。

「どうして我の部屋にいたの?」

「……………」


 やばい、色々あって言い訳を考えてなかった。


 ダラダラと汗を流すスカラを不思議そうにランは見つめる。

 

 スカラは考える。


 沈黙は駄目だ。黙れば黙るほど怪しくなる。

 教員から預かった課題を届けに来た? いや駄目だ、何も書類とか用意してない。

 広報委員会の議題について相談をしにきた? いや駄目だ、シャワー中に部屋に忍び込んでクローゼットに隠れていた理由まで説明できない。


「…………」

「じ――――……」


 黙りこくったスカラを、ランが疑り深い瞳で見つめる。


「きょ、」

「きょ?」


 これ以上は黙っていられない。

 咄嗟に脳内に浮かんだ言葉を彼女は早口で発した。


「今日の委員会で実はわたしも芳香さんの匂いを嗅いでしまって、そこからムラムラが止まらなかったんでごぜーます。だからそれを何とかしたくて、その、その……」


 諜報員だとバレるよりはマシだと腹をくくり、スカラはベッドのなかへとランを引き摺り込んだ。


「夜這いしにきたんでごぜーますぅぅぅっ!」

「えええええええええ!?」

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