これからに続く-4 どう生きようか?
「いらっしゃいなのです」
小柄な可愛い店員が迎えてくれる木造の店内は変わらない。差し込む柔らかい日の光を受けて、
俺の元バイト先で、現バイト先。今日は休みというやつだ。
店内にはちらほらとコーヒー片手にくつろぐ姿が見えた。ちょうどよく空いてる時間でタイミング良かったらしい。
橙子に連れられテーブル席に向かう途中、カウンター越しの先輩と目があった。先月無事退院して、元気にコーヒーを入れる姿は夢の中と変わらない。
できないと言いながらもあの絶品をまた取り戻した先輩はやはり俺の知っている先輩で、その前へ進もうとする姿は見習うべきものだ。
そんなわけで現実にもやってきた先輩の絶品達を皆が無視できるはずがなく、早々に隠れた名店と口コミが広がっているようで。
先輩も橙子もいるし、俺はいらないかと思っていたがそんなことはなく。人手が足りないと先輩と橙子に泣きつかれ、俺も無事にバイト復帰できたというわけだ。
ちなみにそらとおきにも声がかかっていたようで、時折店の制服に袖を通していたりする。二人ともに初めてのバイト。少しずつ、二人が歩みを進めようとしている姿が、なんとなく嬉しかったりした。
カウンター向こうの先輩が俺達二人に笑いかけてくる。そこにはもう、何かを心の底から憎むなんて様子はどこにもない。あんな獣やら、巨大怪獣の姿になることもない。
出されるコーヒーと料理にはたしかな優しさがつまっている。
少なくとも俺はそう感じて、
「おいしいね」
笑顔のそらも同じはず。
感覚をつなげる人外の力を失っても、心を感じることはちゃんとできる。
憎しみでなく『共に生きる』という新たしい選択をしてくれた意思達。
俺達の声を聞いてくれた彼らと彼女達には感謝しかない。
そのおかげで、俺の目の前でそらが笑ってくれている。
先輩と橙子が一緒に並んでいる姿を見ることができる。
それだけじゃない。そらとおきのこと。俺の家族のこと。普通の人間となった久遠寺のこと。そのおかげで優姉とのこれからが問題なさそうなこと。
これもまたいろいろだ。
そして、もう人を食べてしまう怪物なんてどこにもいない。
何故ってもうそんな必要はないからだ。
憎しみを遂げるために、誰かを犠牲にする必要なんてどこにもない。
————本当か?————。
不意に店の外に姿が見えた。
その耳にはピアスが並び、吊り上げた口の端は嘲るような笑みを作っている。
けれど、その姿は人と人との間に飲まれ、気づけば消えていた。
『君達が行ったのも所詮は僕等と同じこと。自らが生き延びるために都合の良い意思を植えつけたにすぎない』
声が聞こえた。
それは通り過ぎる姿の一つに抱かれた赤ん坊。
その目が俺を見据えているようだった。
その声も程なくして消えていく。
「大丈夫?」
気づけばそらが俺の手を握っていた。
テーブル越しに伸ばされた手の暖かさが俺を連れ戻してくれた。
その顔は心配そうに眉を寄せていて、そんな表情をさせてしまったことが申し訳なくなる。
「大丈夫だ。ちょっと……考え事してた」
「考え事?」
「いや、ちゃんと愛想つかされないように頑張らないとなって」
安心させたくてそんなことを口にしてみる。
「なにそれ?」
そらがよくわからないと俺の言葉に笑ってくれた。
「……とこもあんな風にステキな恋人さんできるでしょうか?」
「ふふ、とこちゃんなら大丈夫ですよ〜」
そんな姉妹の会話が聞こえてきて、二人して照れてしまったのはここだけの話にしておきたい。
それからも街を歩く。
特にどこへ行こうというわけじゃない。
そらと手をつなぎながら、二人でゆっくり散歩をしている。
海浜公園まで来ると、少し人の姿も落ち着いてくる。あまり人の多い場所は得意でないそらにはちょうど良い感じだった。
ついでにそれはおきも同じようで、ふと休み初めの皆で行った旅行のことを思い出す。
一度も旅行に行ったことのないそら。
一度も杜人の外に出たことのないおき。
そんな二人が初めて行った外への旅行。二人の希望で俺や優姉、千葉に淳宣、先輩や橙子、皆を誘っての長期旅行。
どこへ行こうか相談の結果、双子の希望もあって京都、大阪、奈良を跨いでの大移動。金は大丈夫かというところだったが、なんと思わぬ援助もあって問題なし。
初めての街の外と旅行に興奮気味な双子。ついでに幼い頃以来、遠出はなかった七生姉妹も相まって、何やら行く前から全員がそわそわと落ち着かない様子だった。
そういえば夢の記憶じゃ修学旅行やら行った記憶もなかったもんで、俺もなんだか楽しみだったわけで。
それはそれは楽しい旅になった。
あの時の写真はちゃんとスマホの中におさまっている。
ついでに旅の途中、旅費の援助者であるおきの義兄・隠塚修二にも初対面も果たしたわけだ。以前、テレビ越しに見た時と同様、見た目特筆するようなところはない。けれど、実際に会うとその落ち着きみたいなものは感じられて、たしかに多くの人の上に立つ人物なんだろうなというのが率直なところ。
可愛い妹の初めての旅行。旅費くらいは持って、楽しんでもらいたいというのが兄の心らしかった。
久遠寺は深くうなずいていたが、その妹であるそらにとってはもう一人の兄との対面。ちょっと緊張してはいたが、
「無理はしないでいい。君にとっての兄は君が決めればいい」
そんな言葉を言われた後、
「修二……お兄さん」
おずおずと名前を口にしていた。まぁ、あっちも問題ないと思う。直接会ってわかったが、あの人も悪い人じゃないと感じた。
少なくとも、妹を想ってくれているとは俺の目には映った。
「妹達をよろしく頼むよ」
去り際、俺に残した言葉もその表れなんじゃないかと思う。ぽんと置かれた手から多少、圧を感じはしたが、それも愛情の表れのはずだ。
それから困ったことがあれば、と手渡された名刺だが正直扱いに困っていたりはする。ちなみにだが、『隠塚財閥』というものは遅かれ早かれ名前も中身もまったく違うものになるらしい。その時には隠塚という名前は使われず、修二さんも関わるつもりはないとのこと。
『隠塚』という名前は、少しずつだが特別なものではなくなっている。
とまぁ、そんなこともありつつ楽しい旅行だった。
何より満面の笑みを浮かべるおきとそら——二人の姿を見られただけで本当に良かった。
また、あんな旅行がしてみたい。
けど、きっと同じようにはいかないとも思う。
これから先、俺達の関係は変わっていく。
もちろん千葉やそら、おきは変わらず友人でいるだろう。
けど、学生でなくなって、いずれは社会に出ていけば嫌でも状況も何もかも変わっていく。
ずっと変わらずにいたいとは思っても、避けられない変化はある。
間近でいえば、それは俺とそら、おきの関係。
決めたとおり、もうすぐ俺は答えを告げなければいけない。
そうなれば一方とは同じ関係とはいかない。それにだ、俺が二人からふられるなんて可能性もないわけじゃない。何もしないで二人が俺を好きでいてくれるなんて、そんな
俺は俺にできる限り、二人に向き合って答えを出したい。
そんなことを考えながらも、こうして二人で歩いていると果たしてできるだろうかと弱気な自分が顔を出すのも自覚してしまう。
おきと一緒の時も同じこと考えてたし、我ながら意思が弱い。
「あのね……わたし、髪、切ろうと思うんだ」
すると隣のそらがそんなことを口にする。
海沿いの風に乗ってなびく長い黒髪。柔らかい日の光にきらめいて、やはり綺麗だ。
「急にどうしたよ? せっかく綺麗なのにさ」
つい口にもでてしまった素直なところに、そらがはにかんだ笑みを浮かべる。
「……んとね、わたしが髪のばしてるのって、お母さんにほめられたからなんだ。きれいな髪でおそろいだねって。みそらお母さんも長い髪で、わたしおそろいなのがうれしかった」
そらの視線は海を見ている。自分の名前と同じ色の水平線の向こうがその瞳の中に映っている。
「お母さんがいなくなって、わたし、どうしたらいいかわからなかった。なっちゃんが一緒に暮らそうって言ってくれてこっちに来たけど、本当は外に出るのが怖かった」
その声は静かで、握る手にも力は入っていない。
「けど、頑張らなきゃって思って、お母さんがほめてくれたおそろいの髪にしてたら勇気を出せるって思って。それで、こっちに来て——ゆうに会えた」
そらの瞳が俺を見る。
そのぱちりと開かれた瞳は変わらない。けれど、初めて会った時にはどこか無邪気さだけだったそこには、今は別のいろんな光が一緒に灯っているように思えた。
「ゆうだけじゃない。おきにも、ゆきにも、優奈にも、志穂さんにも。たくさん、いろんな人に会えて、いろんな知らなかったことを知れて」
真っ直ぐに見つめてくる瞳には信頼がある。
「わたしはヒーローが好き。銀河警視も特捜隊も仮面マスクも、全部好き。前のわたしにとってはそれが全部だった。画面の向こうのヒーロー達がいればそれで良いって……心のどこかで思ってた」
そんな風には思えない。それに一緒に鬼をやってた頃にもそんなことを感じたことは一度もない。
「わたし、臆病だから……相棒って言っておいてゆうに全部知られるのが怖かった。ううん、むしろ怖い気持ちを隠すために『相棒』って言ってたのかも。だから、最初は自分でも知らずに隠してた。ゆうが知ってるのは変われた後のわたし。けど、今だって怖くて仕方ないの」
その瞳が少しだけ、揺れた気がした。
「今の時間が終わっちゃうのが、ゆうとおきと三人でさわいではしゃいでいられる今が終わっちゃうのが怖い」
それは……俺だって同じだ。
「でも、それでも、それはできないってわかってる。わたしがゆうを好きって気持ちにウソはつけないから。おきとゆうにいろんなことが今まであって、それがわかっててもあきらめたくないって思ったから」
その瞳はずっと俺を見ている。自分から逃げてはいけないと、真っ直ぐな目が告げているようだ。
「わたしだけの……わたしだけになってほしいヒーローを見つけちゃったから」
その瞳には愛情がこもっていた。真っ直ぐで、けれど臆病で、純粋な想いが俺を見ていた。
「だから……今度、もう一度言うね。それから——ゆうの気持ちを教えてね」
そして、浮かんだのはただただ澄んだ空色の笑顔だった。
「それで、どんな結果になってもちゃんと前を向けるようにって。今までのわたしもいっしょに、新しいわたしに『変身』できるように……だからね、髪を切ってお母さんにも伝えるの。わたし、大丈夫だよって。
それから……『相棒』って呼ぶのもそこでおしまいにする」
その表情の奥で一体どんな想いが混ざりあっているのか、そのすべてをちゃんと知る術は俺にはない。
すでに人外の力は世界に溶けて、俺達はただの人間でしかない。
だから、つないだ手の温もりの向こうにある心をのぞき見るなんてできない。
けど、それでも感じることはできるし、だからこそ懸命に共にいたいと思うんだ。
ヒーローが好きなお前と夢から覚めた俺は本当に『変身』していく。
それはきっと、これから何度も繰り返していく『変身』。
その度に俺達は何かを得て、何かを失って、それでも生きようとあがき続けていくはず。
何せ、こっちはまだ生まれて一七年。この先の人生はまだまだ長い。それに比べたら、あの一月程の出来事なんてほんのわずかな期間でしかない。
覚えている記憶にこの先の『明日』がどうなるかなんてのはどこにもない。
しばらくして俺は出した答えをちゃんと告げることになる。
それがどんなものかはあえて言わないでおきたい。
何故って、それはまだ『明日』のことだから。
だから、想像に任せるってやつだ。
この先、どうなるかなんてはっきりとしたことは何もわからない。
そんな世界で、どう生きようか?
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