2-6 歪ませたのは私
『授業が終わり次第、大学側の三〇六研究室に来るように』
母親からのメッセージは実に簡潔だった。
受け取ったそれをそらと優姉にも伝え、放課後俺達は連れだって、指定された場所へと向かっていた。
杜人市立大学。
俺達のいる高校に併設されている同じく街の名前を冠するそこは、地方都市に作られた大学にしては在籍する人間の数はけっこう多いらしい。
文学部や理学部、工学部、選べる学部は他と大差があるわけでもないが、なんでもそのひとつひとつで学べる質が高いのだとか。
正直、大学の違いやらはよくわからないが、確かに歩く学生らしき姿達からは、なんというか活力みたいなものを感じるような気もする。
全員が全員モチベーションの塊なんてことはないのだろうけど、活気に満ちた光景はたしかになにかやってみようみたいな気持ちにさせるのかもしれない。
隣でそらはキョロキョロと周りを見わたしている。
はじめて見る光景に興味津々な子供みたいになっている。
そういえばあんま外に出なかったみたいなことも言ってた気がするし、こういった場所も初めてなのかしれない。
反対に優姉は生徒会長という立場もあって、足を運ぶこともけっこうあるらしかった。
とはいっても高校、大学、どちらの学生もそれぞれの食堂や購買に行くことは特に制限されていないので俺もよく大学の食堂に行っていた記憶はある。
それにそれぞれの知見を広げるという意味で、高校と大学の交流はよく行われているし、部活も合同で練習したり活動したりしている部もあったりする。
遠くからは陸上部らしいかけ声とグラウンドを走る姿が見えた。
「あ、ゆきだ」
そらが知り合いに気づいたのか、手をブンブンと勢いよくふる。
しかし、遠すぎるせいか相手は気づいてくれなかったみたいだ。
というか、
「よく見えたな」
グラウンドまではけっこう離れていて、そこそこ目は良いほうの俺でも誰が誰かは判別できない。
「え? そんなに遠い?」
「……私もわからないな。そらは目が良いんだな」
優姉も俺と同じなのか目を細めて見ようとしているがダメみたいだ。
「これは――アレだね。普段の能力もすごくなるヒーローの定番展開」
そらが得意気にふふんと胸をはる。
「ならこっから走っていっても大丈夫か?」
俺の一言にすぐ、それはダメ、と横目になりながらの答え。目は良くなっても体力はダメらしかった。
運動が苦手というそらに、
「なら私と鍛えてみるか?」
優姉が誘いをかける。
「……ん〜、考えとく」
そらはなんとも言えない表情でばつが悪そうだった。
好きじゃないなら無理する必要もないとは思うが、なさすぎるのも心配にはなる。一応、今はつけておいて損はない状況だしな。
それはともかくスマホに出した大学内の地図を見ながら、どうにかこうにか指定された三〇六研究室にたどり着く。
けっこう広い大学の敷地内、在籍する教授達それぞれに割りふられている研究室が集まった棟の一角に、その部屋はあった。
三〇六という部屋番号の横には『
本人からここの教授であるということは聞いてはいたけど、こうやって目にするとなんとなく変な感じだ。
ちなみに何を専攻しているかは聞いても、それはまたのお楽しみだ、と例の如くはぐらかされている。
軽くノックすると、
「どうぞ」
この数日で聞き慣れた声が聞こえてきた。
まぁ、予想通りというか、開いた扉の先は乱雑に放られた資料やら本やらで見事にちらかり放題だった。
ていうか、ドアが床に積まれた分厚い本に阻まれて完全に開ききらなかったぞ。
そのせいでまるで盗みにでも入るみたいにドアと壁のすき間をぬって入るしかなかった。
俺も大変だったが、後から来た二人はいろいろ引っかかってさらに大変そうだった。何がとは言わないが……。
「よく来たな。とりあえずすわりなさい」
山積みの本や資料の奥、その少しばかり人のいられるスペースにある簡素なデスクチェアに腰をかけ、母親は俺達を出迎えた。
すわれというが、どこに行けばいいよ?
「ほら、そこにソファがあるだろ」
もしかして紙の山に埋もれたアレか?
「上に乗ってるのは適当にどけておいてくれ」
その言葉に従って、埋もれたソファを発掘作業を三人ではじめる。
さすがの惨状に以前に聞いていたそらも苦笑いを浮かべている。優姉は……めっちゃ渋い顔してるな。けっこうきれい好きだし。
積まれた本や資料をどけていると自然、そのタイトルとかが目にはいる。
『杜人郷土史』『集落形成における杜人の独自性』『中世日本における妖怪思想』
そんな普段は手に取ることのなさそうなものばかりだ。
だいたいがこの街の郷土資料やら成り立ちやらのものが多いようにも見えるが、中には物理学の専門書やらジャンルもバラバラで一体あの母親の専攻はなんなんだとわからなくなる。
「そうだ、入口のほうも開けておいてもらえるか」
自分はなにもしないと言わんばかりの母親だった。仕方なく、そちらへ向かおうとして、
コンコン。
扉がノックされる音がした。
「どうぞ」
まだ扉の前の本をどけてもいないのに、母親が返事をする。
開かれた扉は案の定、床の本の壁にはばまれる。
その隙間から白布をかぶった顔が見えた。
――巫。
二日ぶりに見る姿に息をのむ。
なにも言わず、それ以上開かない扉とせまい室内への隙間を眺めている。
……めっちゃどうしようか困ってる。
「……とりあえず開くようにするから待っててくれ」
隙間越しに伝えると、静かにうなずき扉を閉める。
……ていうかあの格好でここまで来たのか?
社で見た格好そのままに見えた巫に思わず、内心でつっこんでしまう。……いや、あの時来ていたものに比べると簡素というか、違う感じもした。別物かもしれない。
そうだとしても、あんなすっぽり顔を隠した格好で歩いていたら目立ってしょうがないはずだ。
――いや、そうならないようにできるのか。
今日までのことを思い返して、相手があの昔話にある尋常でない相手だと思い出す。……それは俺達も同じことではあるが。
そうして無事に役目を果たせる広さを得た扉は問題なく開き、そこから白い装束姿の巫が入ってきた。
まとっている装束は先日とは違うもののようだった。
その後ろには女性が一人、控えるように連れ添っている。そちらは顔を隠してはおらず、和服姿のたれ目がちな瞳がこちらを見ていた。
その姿に、そらと優姉がそれぞれに驚きと、どこか違った緊張を見せていた。
「お集まりを頂いた事、心よりの御礼を申し上げます」
深々と頭をさげる巫。そして、後ろの女性もそれに従う。
「先の祓いにて、新たな鬼となりし御方ありと聞きおよび参りました。その方は
「……私だ」
巫の問に優姉が答える。その顔には緊張とともに多少の警戒の色があるようにも思えた。
「穢れに侵されどお戻りになられた事、誠に喜ばしき事と存じます。お身体に異な事はありませぬか?」
「問題ない。これでも人より鍛えてきたつもりではあるからな」
「それは良うございました」
「聞きたいことがある」
見舞いの言葉なんて不要とばかりに優姉は単刀直入だった。
「私は十年間、ゆうが交通事故で死んだと思っていた。何故、実際の事実とは違う記憶を持っていた?」
優姉が俺を死んでいたと思いこんでいたこと。優姉だけでなく、叔父さん達もそう思っていたこと。
鬼脅は俺やそら、巫のような鬼の力を持った人間にしか見えない。だが、それだけで、記憶を操るみたいな事は今のところはない。
それに意図的に俺に関する記憶だけをねじ曲げるような知性や目的はないとも感じる。
そうであるなら、その原因は別と考えるのが普通。
そして、鬼脅以外にそんなことができる存在がいるのだとしたら。
もしかすると、いや確実に俺と同じことを優姉も考えていたんだろう。
優姉の鋭い瞳が巫を射ぬいていた。
「貴方様と貴方様の御家族の記憶を歪ませたのは私でございます」
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