1-4 さまよった先でであったのはベンチでねそべる女の子
ふらふらと当てもなく道を進む。
どこかに向かっているわけでもない。どこに行けばいいかもわからないから、とにかく歩いている。
パジャマ姿でしかもはだしの俺に周囲の視線がやはり集まるが、さっきとは違う意味で気になどならなかった。
いっそのこと、誰か通報でもしてくれたほうが楽かもしれない。
その方がなにも考えなくても良くなるかもしれない。
こんなにも呆気なく帰る家ってなくなるものなのか。
なんか、変な感じだ。涙もでないし、腹がたつわけでもない。
頭の中が麻痺してしまったのか。ずっとぼんやりした感覚がなくならない。
「いで……!」
不意に足の裏に痛みがはしる。のぞいてみると、皮がめくれて血だらけだった。
あれだけ全力ではしってたらそうなるか……。
心が何も感じなくても、身体は嫌でも痛みを伝えてくる。自分の身体の危険を訴えてくる。
「……くそ」
知らず悪態をついていた。
そして、気づけば住宅街を離れて、駅前まで来ていたことに気づく。
知らないうちにけっこうな距離を歩いていたらしい。
時間は……十七時前。
学校帰りなのかまばらに見える学生服や駅内モールからの買い物帰りらしい人達の姿が見える。
夕方近くなってスーパーや料理屋が準備をしはじめたのか、その匂いがかすかにだが流れくてくる。
……腹が鳴った。本当に、身体は正直だ。
といっても無一文の状態で、しかもこんな明らかにあやしい出で立ちのまま入っていくわけにもいかない。
なんか逃亡犯にでもなった気分だ。
というかこんなことをしなくても素直に病院に戻れば問題ないんだろう。ないんだろうけど——今は戻りたいとは思えなかった。
理由はうまく説明できない。
説明できないが、たぶん怖いんだ。
俺を、俺の知らない名前で読んだあの場所が。
また腹が鳴った。……ちょっとは空気を読んでくれ、俺の腹。
「……おなかはすくさ。人間……だもの」
襲いくる腹の虫を耐える俺の耳に突然のつぶやきが聞こえてきた。
声のした方を見ると、女の子が一人、駅前広場にあるベンチで寝そべっていた。
それはそれは豪快な寝そべり方だった。本来なら二、三人用のはずのそこにただ一人全身を贅沢にのばしている。短いくせのある髪がベンチの上に広がっていた。
ぱっと見、小学生か中学生か、それくらいの年頃に見える。
こんな往来でそこまで無防備で大丈夫かとこっちが心配になる姿で、心地よさそうに寝息をたてている。
さっきのは寝言か……。
個性的すぎる寝言と思いつつも、だんだんとベンチからずれていく身体と、落ちそうになる頭。
……ちょっと危なそうだ。
かといって近づいて行ったりしたら、今の姿だと確実不審者扱いされそうだ。
が、ずりずりと落ちていく少女の身体はもう落下寸前。
あぁ! しょうがない!
さっと頭をベンチに乗せてやったらすぐに立ち去ろう。
そう決めて近づこうとした瞬間、逆さまになった少女の目がぱっと開いた。
「……おぉ、びっくりした」
思わず声が出た。
ぱちぱちと目を開いた少女はしばらく瞬きをしてから、目の前にいた俺に視線を向ける。
体勢から見下ろすように見上げてくる少女は無言だった。
これは……まずいか?
いや明らかにはだしのパジャマ姿の男が起きて目の前にいたら、それは考えるまでもなく即悲鳴をあげても驚きはしない。
緊張する俺とは反対に少女はぼんやりとこちらを見上げたままだ。
そして、しばらくの無言の時間が過ぎ、ずりずりと落ちそうになっていた自分の身体を元にもどした。
「おはよう」
それは誰に言ったものなのか、すぐにはわからなかった。
おはようと言いつつもまた目を閉じる少女はしばらくしてから、
「おはよう」
同じ言葉を繰り返した。
あ……俺に言ってたのか?
「……お、おはよう?」
疑問系になってしまった。
ベンチで寝てた見知らぬ少女からいきなり寝起きの挨拶をされるとは思わないだろう。
「うん、おはよう」
眠そうな声で返事をしながらも少女は起きようとする気配はない。
なんだ? やばいやつか? すぐ離れてったほうが良いタイプっぽいか?
「ちゃんと起きてえらい」
いや起きてないだろ。
大きなあくびをしながら、またも寝る体勢をとりはじめている。
本当になんなんだ? なんか、心配しなくても良かったのかもしれない。
目の前の少女の様子にただ無駄に気苦労をしただけだったように感じる。
——こんなとこ、ほずみに見られたら良いからかいのタネにされるな。
ふと、そんなことが頭をよぎり、忘れていた現実に引き戻された気がした。
……行こう。
どちらにしても眠る女の子をじろじろと見下ろす男が良く見られるわけでもない。
踵を返そうとする俺に、
「いくならかけ足」
またも少女の声が俺をひきとめる。
「いそがないとちょっとあぶない」
明らかに俺にむけた言葉だった。
だけど、それがなにを言おうとしているのかはわからない。
ふりむくと、眠ろうとしていたはずの少女はじっと俺に視線を向けていた。
相変わらず眠そうなぼんやりとした瞳だが、なにか、確かな意思をもって俺に伝えようとしているようにも思えた。
「はやく行く」
少女は寝転んだまま、指さす。
その先には駅内モールへの入り口があった。
訳がわからない。
「なにを言って——」
「はやく」
有無を言わさぬ言葉だった。
じっと早く行けとばかりに先を示した指を降ろさない。
本当になんなんだ……。
理解はできないが、これ以上聞こうとしても何も言うつもりはない様子だ。
「わかった、わかったよ」
ため息をつきながら、その指先が示す方へと歩きはじめた。
「はしる」
あーあーわかりましたよ!
優姉の時とは違った強制力を持った言葉に俺は嫌々ながらも走りだす。
あー! やっぱり足の裏がいてぇ!
けれど、逆にその痛みがぼんやりとしていた頭をはっきりとしてくれた。
うだうだ考えているよりはこうやって身体を動かしているほうが少しはマシに思える。
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