re第14話
「おはよう、じいちゃん」
キッチンわかふじのドアを開けると、いつものようにじいちゃんが仕込みの最中だった。
「おう? どうした、輝?」
「どうってことはないけど」
紫香とのデートの翌朝。
いきなり若藤家を訪ねるのは意味深かもしれないが。
「そういやあ昨日、紫香のヤツ、思ったより早く帰ってきやがったな。機嫌はえらくよかったがよ」
「ああ、機嫌はよかったか」
結局、キスで終わったものの、紫香はそれで納得したらしい。
俺としても若干の不完全燃焼ではあっても、一歩前進したのだから文句はない。
キスだけで逮捕されるってことも――あるのか?
ワイセツとか卑猥とか、真面目に付き合ってる二人で気にしたくないけどな。
「はは、俺みたいなジジイが下品な勘ぐりはしねぇよ。それより、本当にどうした?」
「どうも紫香の世話になってたからな。今日は俺の番だ」
「ふぅん? ま、俺とばあさんのことは気にしなくていいからよ。母屋のほう、行ってこい」
「ああ」
ばあちゃんは、朝は不在が多い。
食材の目利きはばあちゃんのほうが得意で、朝は市場を回って仕入れをしているのだ。
厨房の横を抜け、母屋に上がる。
もちろん、服も靴も清潔そのものだ。
俺だってファミレスとはいえ、飲食店勤めなのだから普段から清潔を心がけている。
「ちわーす」
一応、声をかけてから母屋の居間に入る。
すると――
バタバタと階段を下りてくる音がした。
「えっ、ヒカ兄?」
「おはよう、紫香。昨日は眠れたか?」
「う、うん……でも、どうして? 早いし」
「そういえば、寝起きの紫香を見たのは久しぶりだな」
「え? あっ」
紫香は、ようやく自分の姿に気づいたらしい。
長い黒髪は寝ぐせがついてボサボサ。
ピンクのパジャマはボタンがいくつも外れて、豊かな胸のふくらみがこぼれ出そうだ。
「ちょ、ちょっと待ってて!」
「慌てなくていいぞ、俺が朝メシつくっておくから」
「あ、朝メシ? ヒカ兄が?」
「たまには俺がな。台所、借りていいか?」
「それは全然いいけど……」
紫香は頷いて、さっと姿を消す。
俺はその間に、台所で朝食の支度をする。
炊飯器には昨夜炊いたご飯の残りが保温されているし、食材も充分ある。
飲食店経営者はこうじゃないとな、我が家とは全然違う。
シャケを焼き、玉子焼きもつくり、ばあちゃんお手製の漬物を出す。
それから味噌汁もつくって――
「おはゆー、ヒカ兄」
「おー、いつもどおりの紫香が仕上がってるな」
長い黒髪、白ブラウスにリボン、ミニスカート。
桜蝶女子の可愛い制服が可愛い紫香にはよく似合う。
「もー、びっくりしたなあ。いきなりそっちが朝ご飯つくりにくるなんて」
「毎回、世話になるばかりじゃな。俺だって、料理はできるんだから」
「知ってるよ。いただきまーす」
紫香はダイニングテーブルに並んだ料理の前に座り、味噌汁をすする。
「ああ、美味しい……ウチの味とは違うけど、美味しいね」
「そりゃどうも」
俺も紫香の前に座って、食事を始める。
うん、我ながらいいデキだ。
「ヒカ兄、ひょっとしてわたしより料理上手かもね」
「まー、年季が違うからな」
そこは一応、謙遜せず認めていいだろう。
俺は高校一年から大学を出るまで、七年もエンジェリアでバイトしてきた。
最初の三年はフロアで接客をメインに。
次の四年は、主にキッチンで働いてきた。
「エンジェリアのキッチンはきっちり調理するからな」
「だから、ちょっと高いけどね」
「それを言うなよ」
俺は苦笑して、シャケを口に放り込む。
エンジェリアも、セントラルキッチン方式――
大規模な施設で基本的な調理を行い、それを各店舗に搬入して仕上げや盛り付けを行うやり方だ。
それでも、一部の人が想像しているようなレンジでチンみたいなやり方はまったくやっていない。
エンジェリアのキッチンで働く以上は、ある程度の調理スキルは必要になる。
「はー、美味しかった。ごちそうさまでした。皿洗いはわたしがするよ」
「それこそ、俺が慣れてる」
フロアで働きつつ、皿洗いも普通にやってたからな。
むしろ、皿洗いが一番得意まである。
結局、二人で皿洗いを済ませて、リビングに戻る。
「お料理も上手だし、ウチがヒカ兄をお婿さんに迎えるのもアリだね」
「俺が若藤家を継ぐか。それも全然悪くないな」
結婚なんてまだまだ現実味がないが、別に俺は水元の苗字にこだわりはない。
家柄がどうこうって家でもないしな。
「あ、歴史の授業で習ったことある。平安時代は男の人が奥さんの家に入るのが当たり前だったらしいよ」
「さすが現役女子高生、よく知ってるな」
俺も習ったかもしれんが、そんなもん覚えてない。
「エンジェリアで出世するか、わかふじの若旦那になるか、ヒカ兄には選んでもらわないとね」
「究極の選択だな」
はは、と俺は笑って。
「エンジェリアで出世しても給料が増えるだけだが、わかふじを継いだら可愛い奥さんがついてくるわけだ」
「おっ? このわたしがお店のオマケだとぉ?」
紫香が挑発的に言い、シュッシュッと軽くジャブを繰り出して俺の肩を叩いてくる。
「おいおい、けっこう痛いぞ」
「ダンス部で鍛えたパワーだからね」
俺は、その手を掴み――
「あ……」
「…………」
近距離で、思わず見つめ合ってしまう。
それから、自然に唇が重なっていた。
「……そういえば、毎日キスしてくれるんだったよね」
「今のタイミングとは思わなかったけどな」
俺は苦笑して、紫香の細すぎる腰を抱き寄せて。
「これで、少しはおとなしくなるんだったな」
「おとなしいわたしが好きですか?」
「おとなしい子が好みだったら、今の紫香みたいに育ってないだろ」
「えー、これでも全然おしとやかなほうなんですけど?」
紫香は不満そうに言ってから――
ちゅ、とキスしてくる。
「こっちからキスしちゃった。はしたないかな? こういうのが好きじゃないなら、もっとおとなしくなるようにわたしを躾けてね」
「紫香の教育方針、悩むところだな」
こんな可愛すぎる女子にキスされて、嬉しくないわけがない。
「出勤までまだ時間あるよね? もうちょっと……キスしよっか?」
「出勤前に近所で一番可愛い子とキスできるなんて、最高だな」
「近所とか狭いエリアの一番だなあ」
「じゃあ、地球で一番か」
「それなら許そう」
紫香は笑って、またキスしてくる。
毎日キスなんて言ったが、社会人の俺は少しは無理をしないと紫香に毎日会うのも難しい。
紫香のほうから会いに来させるのも悪いしな。
そう思って、こっちから来たわけだが――
こんな甘い朝を過ごせるなら、ブラックな労働も一日頑張れそうだ。
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