re第7話
「あー、いいんじゃねぇ?」
「…………」
祖父からの許可、無事にいただきました。
「……って、そんなあっさり!?」
じいちゃんはいつもどおり、“わかふじ”の厨房で仕込みの真っ最中だった。
ばあちゃんは魚の仕入れのために遠くの魚市場まで行っているらしい。
一応、あらたまってじいちゃんに
このあっさりした返事だよ、どう思う?
「驚くことはねぇだろ」
じいちゃんはハンバーグのタネを手際よくつくりつつ、話している。
「紫香が輝に惚れてんのはバレバレだったからよ。むしろ、俺から輝にこっそり『孫と付き合ってやってくれ』と頼もうかと真剣に考えてたくれぇだよ」
「危なかったー……」
紫香が本気で安堵した声を出している。
まさかの祖父に告白を先取りされるところだった。
確かに危ない。
「でも、じいちゃん。俺が言うのもなんだが、十も年上で……その、近所の兄ちゃんだったのに、いきなり俺が紫香と付き合っていいのか?」
「ははっ、俺がいいか悪いか決めることじゃねぇだろう」
じいちゃんは、笑い飛ばしてくる。
「だいたいな、紫香の同い年のクソガキなんかより、輝のほうがよっぽど信用できるに決まってんだろうが」
「だよね、おじい」
うんうんと、紫香は笑顔で頷いている。
それはそのとおりかもしれない。
じいちゃんにしてみれば、知らない高校生よりよく知っている俺のほうが信用はできるだろう。
「そもそも、野暮だな。なにをわざわざ俺に報告してんだ?」
「え? どういうことだよ、じいちゃん?」
「こっそり付き合うから面白ぇんだろうが。紫香も輝もクソ真面目だな」
「そ、そんなのでいいのか?」
「若ぇヤツらにああだこうだ口出しする年寄りにはなりたくねぇな。別に、おめぇら二人が付き合ったって誰が困るわけでもねぇだろ。俺は困らん」
「まあ、そうなんだが……」
紫香が調べたとおり、法律上の問題はクリアしている。
こうして保護者の許可も出たのだから、社会的な問題は特にないと言っていいだろう。
「ただな、輝」
「え?」
「俺は困らねぇから口出ししねぇが、困るわけでも関係もなくても、口を出すヤツはいくらでもいる。むしろ、そういうヤツらのほうが怖くてねちっこいぞ」
「……さすが、年の功だな」
「えーっ、関係ないのに文句言ってくる人、いんの?」
紫香が嫌そうに顔をしかめている。
「この辺のご近所さんは、紫香と輝がイチャついてても気にしねぇだろう。だが、まったく関係ねぇ通りすがりのヤツが通報する可能性はあるぞ。気をつけろよ」
「変な話だよね……事情をよく知ってる人たちより、知らない人たちの通報のほうが信頼されるってわけ? 納得いかなーい」
「そういうもんだ、紫香。あと、おめぇも気をつけろ」
「わたし?」
「中学んときからしょっちゅう男どもをはねつけてきただろ。そいつらに輝のことがバレたら、腹いせに警察に通報するかもしれねぇ」
「えーっ、やだーっ!」
紫香は驚いてるが、確かにそれもありえる。
この紫香が並外れて可愛いだけに、執着してるヤツも多いだろう。
もし、憧れの若藤紫香が大人と付き合ってると知ったら――どういう行動に出るか、わかったもんじゃない。
「そんな、どうでもいい人たちのせいでヒカ兄が警察に捕まったら最悪だなあ」
「まったくだ」
すぐに解放はされるだろうが、“警察に連行された”事実だけでも問題大ありだ。
職場にバレでもしたら、もっと大問題だ。
「気をつけろ、輝。おめぇが自分を守ることが紫香を守ることになるんだからな」
「……肝に銘じるよ、じいちゃん。任せてくれ」
俺がそう言うと、じいちゃんはニヤッと笑った。
紫香の保護者の許可は出た。
でも――あっさり出た、なんて思うのは間違いかもしれない。
俺と紫香の十六年があったように。
俺とじいちゃんとの間にも二十六年の月日があったわけで。
そこで積み上げてきたものが正しかったって思っていいのかな。
「でもさあ、おじい」
「ん? どうした、紫香?」
「ヒカ兄って、少しもわたしのことをイヤらしい目で見てくれなくて」
「輝……おめぇ、どっかおかしいのか? 紫香を普通の目で見られるなんて、逆に変だぞ?」
「それが祖父と孫娘の言うことか!?」
紫香の育て方は一部間違えたのかもしれない。
俺好みはともかく、口の利き方は教えたほうがいいな……。
紫香の家には出入り口が二箇所ある。
キッチンわかふじと若藤家の出入り口で、当然ながら紫香たちも普段は店ではなく家の玄関を使っている。
若藤家の玄関の横にはガレージがあるが、ばあちゃんが車で出かけている。
なので、ガレージに今あるのは紫香のママチャリだけだ。
「紫香、空気はマメに入れておけよ。週イチくらいだな」
「そんなに? 月イチくらいでもそんなに減ってないよ」
「念のためだ」
俺は、ガレージで紫香のママチャリを見てやっている。
スーツの上着を脱ぎ、ネクタイも外して腕まくりをして。
思ったよりずっと早くじいちゃんの許可が出て時間が余ったので、自転車でも見てやろうと思ったのだ。
「うん、ブレーキはこんなもんか」
「ヒカ兄、よく自転車のメンテなんてできるねえ」
「俺、去年車を買うまでずっとチャリ乗ってたんだぞ。ガキの頃から、二十年くらいか。自転車のキャリアは紫香の人生より長いからな」
「そう言われると長いね」
はは、と紫香は苦笑している。
こうして、些細なことでも十年の歳の差というのは出てしまう。
「このチャリもそろそろ買い替え時かもな。紫香、背も伸びたしな」
「まだ三年も乗ってないのに。身長高いのも考えものだね」
「桜蝶、遠いからな。次は電動でもいいかもな。よし、メンテ終わり」
「ありがと、ヒカ兄」
「いや、このくらい――」
俺は顔を上げたところで、ドキリとする。
紫香がすぐそばに立っていて、屈んで自転車を見ていた俺の視点からはスカートの中、太ももが見えてしまったのだ。
すらりとしていて、まぶしい白い太ももが――
「ん? ヒカ兄、なに――って、ちょっと。そんなことくらいでビビらないでよ?」
「仕方ないだろ……」
俺は立ち上がり、そっぽを向く。
紫香は存在そのものが俺を惑わせる。
まだ女子高生、それでも手足はすらりと長く、胸も大きい。
変な言い方になるが、身体だけは立派な大人だ。
スカートの中をちらりとでも見てしまえば、大人の俺でも動じずにはいられない。
「だいたい、おじいの許可だって出たんだし、もうわたしになにをやってもオッケーじゃない?」
「そんなわけあるか!」
おじいも、俺が節度を持って紫香と付き合うと思ったからOKを出してくれたんだろう。
「でも、アレだよね。ヒカ兄がわたしを自分好みの女に育てれば育てるほど、手を出したくなるわけだよね」
「……紫香の成長と俺の自制心の競争だな」
俺の敗色は濃厚だ。
いや、あっさり負けてしまったら社会的なことはまだしも、じいちゃんばあちゃんに申し訳ない。
「とにかく、自転車のメンテはできたが、安全運転しろよ?」
「大丈夫、大丈夫。自転車の乗り方もヒカ兄仕込みだよ」
「そういや、そうだったな」
幼い頃の紫香に乗り方を教えた記憶もある。すっかり忘れていたが。
「乗り方の練習してたとき、『ちゃんと後ろ持ってるから安心して乗れ』って言っといて、ヒカ兄、思いっきり手を離してて転んだことあったよね」
「……お約束は大事だろ?」
「あの裏切りは忘れないよ」
「すみませんでした」
まだ紫香が五、六歳の頃のことだろうに、よく覚えてるもんだ。
「でもマジで安全運転だぞ。転ばないようにな」
「もうわたし一人の身体じゃないもんね。キズモノにしないように気をつけます」
「言い方ァ!」
いろんな意味で誤解を招く!
本当に、紫香といるとスリルがありすぎる!
「けどさ、わたしはもう障害は全部なくなったと思ってるよ。告ってOKもらって、おじいの許可ももらって。あとは、ヒカ兄好みの女になるだけ」
「おまえ、グイグイ来すぎじゃないか?」
「やるときはやる、これもヒカ兄に教わったんだよ。ヒカ兄はさ、無責任なこと言わないじゃん」
「ん?」
「やるときはやるって、自分でもお手本示してくれるからね」
「そんな大層なことしてないだろ」
「おじいに許可もらいに行ったのも、実は凄いと思ってるよ」
「ん? 見知らぬオヤジじゃあるまいし、じいちゃんのことはガキの頃から知ってるんだぞ」
娘さんを僕にください、じゃないんだからな。
「たった一人の孫娘のことだから、優しいおじいでもどんな反応するかわからなかったでしょ。わたしだってわかんなかったんだから」
「ま、昔からじいちゃん、俺が悪いことしたら普通に怒鳴ってきたからな」
今回も、じいちゃんに怒鳴りつけられてもおかしくなかった。
それくらい、ただ一人の孫娘である紫香をあの人は大事にしてる。
「あのさ、ヒカ兄。もしかしたら、わかってないのかもしれないけど」
紫香は、ひらりと自転車にまたがった。
スカートがふわっと舞って、また白い太ももが一瞬見えた。
「わかってないって、なにをだ?」
「わたしに手を出すのを我慢するのって、大事にしてくれてるのがわかって嬉しいけど、嬉しいだけじゃないってこと」
「んん?」
それから、紫香はハンドルにもたれるようにして、思わせぶりな目を向けてくる。
「女の子だって、好きな人とえっちしたいんだよ?」
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