re第6話
朝メシが終わると、俺は洗面台の鏡に向かい、歯を磨いて髭を剃る。
その間、
それくらいは俺がやると言ったんだが――
「毎日やるわけじゃないから。わたしにやらせて」
と、言われると強いて自分でやるとも言えない。
ありがたくお願いしておくことにする。
「ふーむ……」
ワイシャツを着て、ネクタイもきちんと締める。
だが……。
「なに、ヒカ兄。なんか今日のネクタイ、地味じゃない?」
「うおっ」
ひょこっ、と鏡に可愛い顔が映り込んだ。
いつの間にか紫香が後ろに立っていたのだ。
紫香は背後から俺の両肩に手を置いて、横から覗き込むようにして鏡を見ている。
「前にわたしが選んであげたブルーのヤツがよくない? お店では制服だし、出勤するときの服は少しくらい派手でもいいんでしょ?」
「いいんだよ、今日はこれで。それより、皿洗いありがとうな」
「ヒカ兄のお皿洗ってるとき、逆に幸せだったね、わたし。皿洗いなんて好きじゃないけど、ヒカ兄のお皿なら何百枚でも洗えそう」
「俺、普段なに食うときも同じ皿一枚で済ませてるけどな」
「もー、男の一人暮らしだなあ。紙皿とか使い始めたら、紫香ちゃんキレるからね?」
「洗い物を減らして怒られるのか」
いや、紙皿は自分でもズボラだと思うから、普通の皿を使うけどな。
あと、一応ウチは父親もいるので一人じゃない。
「わたしは、好きな人のお皿を洗って幸せを感じられるんだから」
「お手軽に幸せになれるもんだな」
「これでも十年以上かかってますけどねー」
「…………」
俺の皿を洗うだけで幸せになれるまで、十年以上……?
「付き合えるようになるまでってこと。ただの“近所の子”と“カノジョ”じゃ全然違うでしょ。カノジョとして世話を焼くのって楽しい」
「そんなこと言ってると、便利に使われるぞ」
「人を使うの得意でしょ、店長さん?」
「人聞きが悪いな」
しかも年下の、赤ん坊の頃から知ってる女の子を便利に使うとか後ろめたいなんてレベルじゃない。
「とりあえず、準備はできた。紫香、今日はチャリだよな?」
「いい天気だよ」
桜蝶は自転車でも少し遠いが、紫香は苦にならないらしい。
元々、ダンス部で鍛えていたし、体力もあるほうだ。
急ぐこともないので、俺たちは一度リビングに戻り、ソファに並んで座る。
紫香はテレビをつけ、朝のワイドショーが流れ始める。
「わたしの都合もあるんだよ」
「ん? 紫香の都合? なんの話だ?」
「わたしが十年かかったけど、ヒカ兄に今さら告ったって話」
「紫香、照れもせずによく言えるよな……」
「それこそ今さら照れてもね」
紫香はソファの上でスカートを折り込み、両膝を立てて座り直す。
「だって、卒業まで三年も待ってたらヒカ兄が別の女と付き合うかもしれないじゃん。ヒカ兄も大人だし、店長になったら周りはバイト女子とか多いでしょ?」
「まあ……多いな」
ファミレスの店員は女性も多い。
特にウチの一号店は、ホールはもちろんキッチンも女性ばかりだ。
俺が選んだわけではなく、就任した時点で女性率が高かった。
もっと言うと、十代二十代の女性ばかりとも言える。
「だからヒカ兄が変な女とくっつく前に、早めにツバをつけとかないと」
「ツバっておまえなあ……」
「これでも待ちに待ったんだよ。なんなら、小学生のときから告るタイミング、見計らってた」
「気が長いな……」
「ヒカ兄、全然ロリコンじゃないもんね。よかった、わたし成長著しくて」
紫香は自分の手足をぐっと伸ばすようにする。
長い脚が伸びて、スカートの中が見えそうになっている。
「わたし、十八って言っても絶対疑われないしね。外でわたしとヒカ兄がデートしてても違和感ないと思うよ」
「そうかな……」
俺がスーツ姿で紫香が制服姿だったら、パパ活感はどうしても出ると思う。
紫香は大人っぽいから、俺が大学生みたいな格好をして紫香が社会人みたいな服装をしたら話は別だが。
「はー、なんか歳の差の話ばっかになっちゃうね」
「そりゃしょうがないだろ」
大人と女子高生である以上、どんなにド健全な付き合いをしていても、周りからは変な目で見られる。
「バレて警察沙汰になるのって、女の子が親に言って、その親が通報するパターンが多いみたいだよ」
「おまえ、どんだけ検索してんだよ?」
「わたしの場合、おじいたちに言うわけないし、言ったとしてもおじいがヒカ兄のことを警察に通報すると思う?」
「俺が人でも殺したら、じいちゃんも通報するだろうけどな……」
もし俺が紫香に乱暴でもしたら、じいちゃんも黙ってないだろう。
だが、俺がそんなことやらかすわけもない。
「だからなにも問題ないんだけどなあ」
「紫香、おまえな、俺を挑発してんのか?」
「してるよ?」
ぐいっ、と紫香はソファに両手をついて俺に顔を寄せてくる。
見慣れている――世の中で一番見てきた顔なのに、ドキリとしてしまう。
本当にこいつ、どんだけ可愛いんだ……!
「挑発に乗っちゃえばいいのに。素直に欲望に身を任せなよ?」
「ま、任せるわけないだろ……」
紫香は身体を寄せてきて、俺の腕に柔らかいふくらみが当たっている。
甘酸っぱい香りがして、大きな目で見られて、もうどうにかなりそうだ。
「俺の近所に紫香が生まれた時点で、ヤバかったんだな……」
「なにそれ。もー、いろいろ言ってくるなあ」
ぎゅっ、と紫香はまた俺に抱きついてからソファにもたれる。
「考えてみてよ、ヒカ兄」
「なんだ?」
「十六歳の若藤紫香のすべてを見られるのは、今だけなんだよ?」
「グラビアの煽り文句みたいだな」
「そんなもん見なくていいよ。可愛い子を見たけりゃナマでいくらでもどうぞ。グラビアアイドルごときが、この若藤紫香に勝てるわけないんだし」
「……すげえ自信だな」
だが実際、紫香はグラビアアイドルも比べものにならないほど可愛いし、スタイルも凄まじい。
「グラドル以上の十六歳の身体、卒業を待ってたら、永遠に見られなくなるんだよ?」
「おまえ、まるで見せたいかのようだな……」
「だって、わたしの武器は若さじゃん?」
「いやいや、他にもすげぇ武器あるだろ!」
紫香の見た目の良さは、年齢とか超越した次元に存在してる。
ああ、俺はなにを言ってるんだか。
「ヒカ兄の周り、大人の女子大生とか社会人のお姉さんたち、いるでしょ。わたし、その人たちに若さでは確実に勝ってるんだから。この武器を使わない手はないよ」
「俺が若い子好きみたいに言わないでくれるか?」
「ヒカ兄はロリコンじゃなくても、わたしのこと好きなんだから女子高生は嫌いじゃないでしょ」
「う、うーん……紫香以外の女子高生に興味があるわけじゃないぞ。ウチのバイトにもいるが、別に……」
「ああ、
「名前知ってんのかよ!」
花井
そういや、紫香が店に来たときにフロアにいたかも。
紫香がめざとくチェックを入れていたとは……。
「……っと、そうだ。そろそろ時間だな」
「えー、まだ話は終わってないのに」
「いいんだよ」
どうも話の流れが不穏な方向に行っている。
若藤紫香はやるときはやる女、妙な雰囲気になってしまうと、朝からでも不測の事態が起きかねない。
もし、そういう事態が起きるとしても――
今はまだダメだ。
「ヒカ兄、まだ出勤時間じゃないでしょ? あと二〇分くらい――」
「今日の出勤は昼からだ」
「え、お昼から?」
「ああ」
俺はネクタイをあらためてぎゅっと締め直す。
「じいちゃんばあちゃんに挨拶に行く。昨日の今日だが早めに言っておきたい。やることは、すぐにやらないとな」
そう、だからこそ地味目のきちんとしたネクタイを締めたのだ。
たとえ物心ついた頃から可愛がってくれたじいちゃんたちが相手でも、挨拶は重要だ。
「お、お孫さんを僕にください……って? ヒカ兄、わたしをもらってくれるの!?」
「話が飛びすぎてる!」
ただ、紫香と付き合うことを報告するだけだ。
とはいえ――
孫を死ぬほど可愛がってるじいちゃんたちのことだ。
紫香は軽く考えているようだが、簡単に許可が出るとは思ってない。
就活や企画会議よりも、もっとずっと難しい――大仕事になるだろう。
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