re第5話

 朝、目が覚めた。

 覚めなかったら困るが、とにかく朝だ。

 この地球に十六年存在しなかった、“俺のカノジョの紫香”がいる朝でもある。

 ……俺が言うと気持ち悪い言い回しだな。


 とにかく、ベッドを出て顔を洗い、軽く身支度する。

「ん?」

 朝メシの用意をしようかと思ったところで、チャイムが鳴った。

 まだ朝の七時だ。

 こんな時間にチャイムを鳴らすのは――


「おはゆー、ヒカ兄」

 もちろん、若藤わかふじ紫香しいかだった。

 紺色のブレザーにチェックのミニスカート、桜蝶女子の制服姿だ。

「なにが“おはゆ”だよ。おはよう、だ。言葉遣いはきちんとな」

「おはよう、Youあなたの略なのに。ヒカ兄、さっそく育成を始めたね」

「いいから、入れ。まったく、こんな朝っぱらから」

 俺がそう言うと、紫香は遠慮なく上がってくる。

 とりあえずリビングに通し、ソファに座らせる。


「おまえ、昨夜は遅かっただろうに早起きじゃないか。寝不足じゃないのか?」

 どう短く見積もっても、女子なら身支度するのに一時間はかかっているだろう。

 若藤家からウチまで徒歩三分のご近所とはいえ、六時くらいには起きたはず。

「ウチ、普通に早起きだし。おじいもおばあも六時前には起きてるからね」

「営業は昼からなのに早起きしすぎだよな、じいちゃんたち」

 仕入れと仕込みのためとはいえ、紫香の祖父母は働きすぎだ。

 紫香は、祖父母が働いているのに自分だけぐーぐー寝てるのは気が引けるらしい。


「わたしも朝から働くよ。ヒカ兄、朝ご飯つくってあげる」

「おお、ずいぶんサービスいいじゃないか」

「ヒカ兄、ほっとくとパンだけで済ませるでしょ。なんかさあ、痩せたんじゃない?」

 紫香は、まじまじと俺を眺め回してくる。

「メシ屋は味見と賄いで太るか、激務で痩せるかの二択なんだよ」

「……そういえば、ウチのおじいもおばあも痩せてる」

「冗談だよ。人それぞれだ」

「なんだ、わたしもウチの店で働ければ痩せるかと思ったのに」

「それ以上痩せたら骨だけになるだろ、紫香は」

 紫香は出るところは出ているが、それ以外はずいぶんと細い。


「おっと、ご飯ご飯。ちゃちゃっとつくっちゃうよ」

 紫香は学校のカバンとは別で、もう一つ手提げカバンを持ってきていた。

 そこに材料が入っているらしい。

「ヒカ兄の家、あんまり食材ないもんね」

「俺も親父もあまり家でメシ食わないからな……」

 飲食店の店長が自宅ではひどい食生活……たぶん、あるあるなんだろう。

 そんなことを思いつつ、キッチンで料理する紫香を眺める。

 きちんと髪をポニーテールに結び、エプロンも着けている。

 料理は清潔第一、祖父母の教えをしっかり守っているようだ。

「ん? なに、ヒカ兄、じっと見て?」

「……髪、だいぶ伸びたな」

「そう?」

 中学時代、紫香は長すぎるとダンス部で邪魔になるので、肩までの長さだった。

 夏に引退してから伸ばし始めたが、数ヶ月でもう背中に届こうとしている。

「わたし、伸びるの早いから。おかげで髪型アレンジ楽しめるけど。ね、ヒカ兄、どんな髪型が好き?」

「あんま、そんなこと考えたことねぇな……」

 その質問も、俺の好みの女子になるためだろうか?

「髪型は、紫香の好きにすればいいだろ。自分が可愛いと思う髪でいいんじゃないか」

「若藤紫香は違うんだよ。男の人、ポニテが好きだっていうよね。どう?」

 紫香は焼き上がった玉子焼きを皿に移して。

 くるり、と軽やかに舞うように一回転した。

 長いポニーテールの尻尾も、ふわりと揺れる。

「なんなら、あざといツーサイドアップとか思い切ってツインテとか。ショートが好きなら、切っちゃってもいいよ?」

「思い切りよすぎだろ!」

「やるときはやる女だから」

「俺、“やっちゃいけないこと”も教えるべきだったな……」


 とりあえず髪型は保留になり、紫香がつくった朝食をダイニングに並べてもらう。

 ご飯に味噌汁、玉子焼きに豚の角煮、漬物。

「……豚の角煮? 朝から?」

「これ、昨夜の残り物。わたしのお手製だからね、心して食え」

「命令かよ」

 ご飯は若藤家から持ってきたものをレンチン、今つくったのは味噌汁と玉子焼きだけだが、充分すぎる。

 角煮は小さくカットしてあり、食欲の薄い朝でも食べやすくしてくれている。

 気遣いが良い……料理は愛情ってマジだな。

「ヒカ兄、ファミレスご飯ばっかでしょ。和食に飢えてるんじゃない?」

「ウチ、和食もあるぞ」

 メインは洋食だが、今時のファミレスはメニューを限定しすぎては集客を望めない。

 和風の定食も少しだが出している。


「エンジェリアにも角煮定食はあるが……うん、柔らかく煮えてるし、煮汁の味付けも良い。紫香の角煮のほうが美味いな」

「やったー! 実は自信作なんだよね! ありがと!」

「うおっ!」

 紫香が立ち上がり、無造作に抱きついてくる。

「お、おい、メシはゆっくり食え! わざわざ抱きつかなくても!」

「いいことがあったら素直にリアクションするの。できるときにやるの」

「……いいから、座れ」

「えー」

 紫香はぎゅうっともう一度抱きついてくる。

 ふわっと甘い香りがして、身体の柔らかさが伝わってくる。

 小学校くらいまでの紫香はもっと痩せていて、抱きついてきても骨張っていたもんだが……。

 胸もどこも、ぷにぷにと柔らかくなっている。

 って、危ない。朝からなにを考えてるんだ、俺は。


「はー、いつでもヒカ兄に抱きつけるようになったの、良いよね」

「いつでもってわけじゃないぞ。TPOはわきまえろ」

「ヒカ兄は、道路でも電車の中でも、いつでもわたしにハグOKだよ?」

「通報待ったなしだな」

 それどころか、逮捕まで充分ありえる。

 紫香がどう思ってるにしろ、気をつけないと。

「面倒くさいねえ」

 紫香はさらに、俺の頬にすりすりと頬ずりして(なにしてくれてんだ)。

 それからやっと、自分の席に戻った。

 満足そうに自分の角煮を食っている。

「…………」

 角煮を食ってても画になるってすげぇな、こいつ。

 長い黒髪、メイクがまったく不要な整いすぎているほどの顔立ち。

 俺が二〇代も半ばになって女っ気がないのは、紫香のせいでもあるんだよな……。

 こいつが美形すぎて、他の女子をあまり可愛く感じないというか。

 世の女性に失礼な話だし、もちろん冗談でも口に出したことはないが。


「わたしが同年代の男子に興味持てないの、ヒカ兄のせいでもあるんだよ?」

「え?」

 なんか同じようなこと言い出したぞ。

「歳の差恋愛は面倒くさいって話。面倒くさくても、わたしの場合はしゃーないって話」

「あ、ああ」

 俺が自分の恋愛事情を考えていたのがバレたのかと思った。


「ん? しゃーないっていうのは?」

「ずっとヒカ兄が近くにいたから。同い年の男子なんて頼りなかったり、馬鹿だったりで、全然恋愛の対象にならなくて」

「俺も頼りになるタイプではないだろ」

「うーん……そうでもないよ?」

「そうかよ」

 なんだったんだ、今の“間”は。

 だが、紫香の目には常に俺は大人に見えていただろう。

 大人、というだけで立派に見えるのはよくあることだ。


「大人だから、えっちしてデキちゃっても責任取れるしね。経済力、重要」

「大人の包容力を重視してくれ!」

 俺、別に紫香とイチャつかなくても会話してるだけで逮捕されちゃうんじゃないか。

 果たして、俺は前科がつくことなく生涯を終えられるんだろうか?

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