re第4話

「いやいや待て、落ち着け」

「え? ヒカ兄、なに?」

「なんでもない。とにかくなんというか……」

 俺が“紫香を育てた”なんて、自惚れも過ぎるって話だろう。

 それに、二人きりになったからって怯むこともない。

 俺は、単なる近所に住む兄ちゃんだ。

 いくら、両想いが判明したとしてもそこは変わらない。

 変わらないが――

 中身も性格も可愛い紫香をなんとも思うなというのは――不可能だ。


「なんか悩んでるね。つか、悩むことある? 話は簡単じゃない? 両想いなら、付き合っちゃえばいいじゃん。ほらほら、こんなに可愛いよ?」

 紫香が、自分の顔を指差している。

 こいつ、可愛さには絶対の自信を持ってるんだよな。

 場合によってはイヤミになりそうだが、紫香は誰が見ても可愛いし、むしろこれだけ可愛さを肯定されると清々しい。

「わたし可愛いし、わたしはヒカ兄が好きだし、なにか問題あるの?」

「あるだろ、俺は今年二十六、おまえは十六だろ。年齢差ってもんがある」

 俺は慌てて紫香を制する。

「出た出た、そういう話」

 紫香はあからさまに不機嫌そうな顔になる。

 こいつも馬鹿じゃないので、そういう話になると予想はしていただろう。


「じゃあさ、わたしが十八とか二〇歳になるまでお付き合いできないってこと?」

「そうなるな。細かい数字は気にしないとしても、せめて高校卒業までとか……」

「イヤらしい」

「は!?」

 紫香がジト目で俺を睨んでいる。

「なんかさー、付き合うのは高校出てからって……高校生じゃなくなったら、すぐに手を出すぜって感じで、計画的っていうかすっごくイヤらしい」

「…………」

 返す言葉もない、というのはこのことか。

 確かに成長を待ち構えて手を出すというのは――ひどく打算が感じられて逆にけがらわしい。


「ヒカ兄、わたしだってスマホくらい持ってるよ」

「ん?」

「調べてみた。相手が未成年でも、真摯なお付き合いをしてる場合は逮捕されないんだって。結婚の約束をしてたり、親同士が認めてるなら、まず逮捕は無いみたいだよ」

「なんか……それこそ、法の抜け穴を探してるみたいでイヤらしくないか?」

「ヒカ兄が法律を気にしそうだから、調べたんだよ。わたしは元々気にしてない」

 またもや、ジト目を向けられてしまう。


「ヒカ兄の社会的立場っていうのもわかるよ。うん、女子高生と付き合ってるなんて人に知られたら、変に思う人もいるかもしれない」

「そりゃいるだろうな」

 俺の男の友達なら、羨ましがったりからかったりするくらいだろう。

 だが、“大人と女子高生”の交際を良く思わない人はいくらでもいるに違いない。

 真剣か遊びかなど、議論の前提にすらならない……。

「でもさ、結局こういうのは当人たちの問題じゃない? 逮捕でもされない限り、会社をクビになったりしないでしょ?」

「そこは大丈夫だと思うが……」

 アンジェリアは、交際に関しての規定はなかったと思う。

 ぶっちゃけると、社員とバイト学生との交際も珍しくない。

 それで問題が起きたというケースはほとんど聞かないが……。


「ヒカ兄、ヒカ兄」

「ん?」

「容赦なく交際ダメ絶対、なのは十三歳未満で、それ以上は基本的には法律上問題ないんだって。結婚はともかく、親同士が認める――っていうのは、わたしとヒカ兄なら楽勝でクリアできるでしょ?」

「…………」

 紫香が言ってることは、ネットの知識の受け売りのようだが――

 別に大筋としては間違っていない。

 俺の親父はまず問題ないとして、たぶん若藤のじいちゃんばあちゃんも――

「だいたい、わたしってまだ高校入ったばっかだよ? 卒業までって言ったら、ほぼ丸三年だよ?」

「まあ……そうなるな」

「でもさ、?」

「お、おまえ……言い方!」

 背が高くてスタイル抜群の紫香は、間違いなく大人っぽい。

 紫香は既にエプロンを外し、パーカーの前も開けていて、その下のキャミソールが見えている。

 肩紐がだらりと下がり、胸の谷間も見えていて――

「あ、えっち」

「だから、それヤメロ」

 えっち、というのは紫香が俺をからかうときの常套句だ。

 もうここ二、三年はシャレにならなくなっている。


「じゃあ、ヒカ兄の世間体を考えて、“えっちなことは一切してません”ってことにしよう。わたしがそう言えば、それが事実になるでしょ?」

「……俺が言うよりは説得力あるだろうな」

 いや、手を出す気はないぞ、マジで。

 もちろん、紫香は俺が危うくなるようなマネはしないだろう。

 だがなあ……。


「まだ迷ってる。もー、しょうがないな、ヒカ兄は」

 紫香はやれやれとため息をついて、立ち上がった。

 それから窓をがらりと開ける。

「なんだ?」

「ヒカ兄、あれが月だよ」

「な、なに言ってるんだ?」

 月は見える。

 満月でも三日月でもない、中途半端な月が。

「あれが月ってことは、ここは地球」

「地球? だから、なんの話をしてるんだ、紫香?」

「つまり――ヒカ兄が気にしてる歳の差ってヤツの話だよ」

「それと地球になんの関係が……」

「だからさ」

 紫香はニヤッと笑うと、月をバックに背負うような位置に立って。

「十歳の歳の差っていうのは――ヒカ兄が生まれて十年、地球にわたしがいなかったってだけの話だよ」

「…………」

 地球に――

 ずいぶん壮大なワードが出てきたが、そのとおりではある。

 俺が生まれてから十年の間、若藤紫香という存在はこの地球上にいなかった。

 たったそれだけのこと――

「……おまえ、その話、あらかじめ考えてあったな?」

「あれ? ロマンチックな台詞回しじゃない?」

「もうちょっと整えておくべきだったかもな……」

 だが、地球なんてスケールのものを持ち出されると――十年の年齢差なんてどうでもいいのかもしれない。

 紫香がトンデモ話を持ち出して、強引に押し切ろうとしていることも承知の上だ。

 だが、大人の理屈をこね回すよりも――俺も素直になりたい。

 ここまで紫香が本気になっているのだから、こちらも本心を隠して大人ぶるのは違うと思う。

 俺は紫香が地球にいない十年を経験している。

 この先、十年かもっと短いかもっと長くなるか、わからないが――


 俺はこの地球で、紫香にもっとも近い男でいたい。


「わかった、それでいこう。

「さすが、やるときはやるのはヒカ兄の教えだもんね! あ、やりたくなったら――」

「俺はおまえに下品な口の利き方を教えた覚えはない」

「ふぁーい……」

 紫香は不満そうに唇を尖らせる。

 たぶん、俺やじいちゃんばあちゃんの前以外では、今時の高校生らしいワードも使ってるんだろう。

 そこまで俺も咎めるつもりはない。


「でもわたしも、ここ何年かは昔ほどヒカ兄にべったりじゃなかったからなあ」

「当たり前だろ」

 背が高い紫香は中一の時点で、普通に高校生に見えていた。

 まさか俺が毎日若藤家に入り浸ったり、紫香を風呂に入れてやるわけにはいかない。

 自然、俺からの影響も薄くなっていたんだろう。

「だったらヒカ兄、付き合いながら――

「そ、育てろって……紫香の主体性は!」

「わたしはヒカ兄を好きって気持ちがあるもん。これが第一で、ヒカ兄好みになりたいのは二の次三の次だね。つまり、問題なしってことよ!」

「そうだろうか……」

 どうも、紫香にペースを握られている気もする。

 育てられているのは紫香じゃなくて、俺なんじゃないか?


「そんじゃ、ヒカ兄。これからはカノジョとしてよろしくね」

「…………っ」

 紫香がこっちに近づいてきて――

 ぎゅっと抱きついてきた。

 十六年前に、赤ん坊だった紫香を抱っこして以来、何度となく抱きしめてきた身体だ。

 あまりにも、すくすくと育ってしまったが。

 だが、今夜このときから――紫香とのハグは、別の意味を持ってしまうようだ。

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