re第3話
今日も店舗業務が無事に終わった。
クレームもたった三件しかなく、実に平穏だったと言えるだろう。
午後十一時には店を出て、帰路に就くことができた。
我が愛車N-BOXなら、道が空いていれば十分ほどで家に着く。
だがその前に――
家のすぐそばで別の道に入り、とある店の前で車を停めた。
“キッチンわかふじ”
しゃれっ気はまるでないが、俺はこの店名が嫌いじゃない。
既に店のドアにはクローズの札がかかっているが、気にせずにドアを引く。
「こんばんはー」
「おう、
店内はカウンター席とテーブル席が五つだけで狭い。
そのカウンターの向こうに立っている老人が、店長兼シェフの若藤家のじいちゃんだ。
「今日も遅ぇなあ。あのファミレス、やっぱりブラックってヤツじゃねぇのか?」
「言われるまでもなくブラックだよ、じいちゃん」
はは、と俺は苦笑する。
自嘲しているわけではなく、ブラックなのは承知の上で入社したのだ。
なにしろ長く店でバイトしていたのだから、本社の忙しさだってもちろん知ってた。
「じいちゃんこそ、まだ働いてんじゃないか。歳を考えないと」
「はっ、うるせえよ。まだ小僧にいたわれるほどモーロクしてねぇっつーの」
じいちゃんは口は悪いが威勢が良く、カラリとした性格だ。
わかふじの常連は店の味はもちろん、じいちゃんの人柄を慕って足繁く通っている人も多い。
「明日の仕込みをやっとかねぇとな。一日でもサボると夜も眠れねぇ」
「仕事中毒だなあ。ああ、メシある?」
「いつもどおり、残りモンしかねぇぞ。おーい、
「ん? 紫香?」
そういえば、カウンターの向こうのキッチンからなにか音が聞こえると思ったら。
「お待たせ、ヒカ兄。そろそろ来ると思って用意してたよ」
紫香がキッチンから出てきた。
長い黒髪を後ろで無造作に縛り、だぶだぶのパーカーに太もももあらわなショートパンツという格好だ。
胸のところに犬のプリントが入ったエプロンも着けている。
「なんだ、今日は紫香がつくってくれたのか」
「そう、JKの手料理だよ、嬉しいでしょ?」
紫香が持っているトレイには、海老ピラフの皿が載っている。
「うーん……じいちゃんのメシのほうが美味いだろ」
「なにぃっ!」
「おいおい、可愛い孫のメシになんてこと言うんだ、このガキは」
じいちゃんはそう言いつつも、満更でもなさそうだ。
「もー、ヒカ兄は素直じゃないなあ。あ、ちょっと話あるんだけど?」
「……なんだよ、食いながら聞くよ」
「わたしの部屋においでおいで。JKの話には秘密があるんだから」
「はは、輝、行ってやれ」
「……わかったよ」
じいちゃんにOKを出されたら逆らえない。
カウンターの向こうに入り、キッチンを抜けると“母屋”へのドアがある。
ドアを抜けると廊下になっていて――
「あ、お水忘れた。ヒカ兄、先に部屋行っといて」
「ああ」
俺は海老ピラフが載ったトレイを受け取り、階段を上がって。
ドアが開けっぱなしの紫香の部屋に入る。
ふわっと甘酸っぱい匂いがするが――
慣れたもので、“女子高生の部屋”でも特に緊張はしない。
トレイをローテーブルに置いた。
「高校生になっても変わらんな」
学習机に置かれている教科書が変わったくらいか。
その学習机には――
「いつまで飾るんだろうな、これ」
写真立てがあり、紫香の小学校入学式のときに撮った俺と紫香のツーショット写真が飾られている。
このとき、俺は高一。
もちろん入学式に参加したわけじゃなく、“わかふじ”の前で可愛いワンピース姿に大きなランドセルを背負った紫香と二人で撮ったというだけだ。
机の横にボードがあり、そこには祖父母や友人と撮った写真がべたべたと貼られている。
入学式の写真だけ別で飾っているのは、どういう意味があるのか。
「お待たせぇ。あれ、ヒカ兄、なに見てんの?」
「いや……」
俺は首を振って、ローテーブルの前に座る。
紫香もグラスが二つ載ったトレイをローテーブルに置き、向かいに腰を下ろした。
「今日も遅くまでお疲れさま。こんな時間までご飯も抜きで仕事なんて、大変だね」
「店舗勤務はこんなもんだな。おまえこそ、もう十一時過ぎてるぞ。早めに寝ないとお肌によくないんじゃないか?」
「わたしの肌はそんなヤワじゃない」
紫香は自信ありげに言って、自分の頬をきゅっと引っ張った。
確かにつるつるしてて、ニキビの一つもない。
「ああ、冷めないうちに食べよう。いただきます」
「どうぞー」
海老ピラフをぱくぱくと食う。
ファミレスは賄いも出るのだが、店長は忙しくて食い損ねてしまう。
それに――おおっぴらには言いづらいが、エンジェリアのメシには飽きている。
「うん、美味いな。紫香、腕を上げたな」
「まー、“わかふじ”のレシピまんまだし、材料はおじいとおばあの仕込みだからね」
「だからと言って、誰でもつくれるもんじゃない。ウチでも新人コックのメシはいまいちなんだよな」
「ふーん」
紫香は頬杖をついて素っ気ないが、口元はニヤついていて、満更でもなさそうだ。
祖父母仕込みの料理を褒められるのが、紫香は一番嬉しいのだ。
「わたし、本格的におじいに料理習おうかなあ。まだ学校バタバタしてるけど」
「入学して一週間だもんな。急ぐことはないだろ」
授業も始まったばかりだろうし、新しい環境に慣れるには時間が必要だろう。
「そういや紫香、部活はどうするんだ?」
「あー……ダンス部、
「そうなのか」
紫香は中学時代はダンス部で、全国大会に出たこともある。
俺にはダンスの良し悪しはよくわからんが、紫香の動きには華があり、勢いが良くて見ていて気持ちがよかった。
大会を観に行ったこともある。
もっとも、「こんなジジイが女の子の大会を観るなんて」と恥ずかしがるじいちゃんを強制連行する役目だったが。
結局、じいちゃんは孫の活躍に大喜びしていたけどな。
「チア部はあるけど、ちょっと違うしなあ。今んとこ入る気はないんだよね」
「なんだ、もったいないな」
俺はピラフの最後の一口をぱくりと食べて。
「紫香のダンス、また見たかったのに」
「あ、見る?」
紫香は立ち上がり、適当な鼻歌とともに軽やかに踊り始める。
ショートパンツから伸びる白い太ももが、目の前でしなやかに動いている。
満面の笑みを浮かべ、脚を高々と上げ、照れのない見事なダンスだ。
去年の夏に部を引退してから数ヶ月経つのに、動きは悪くない。
さてはこいつ、時々踊ってたな?
「おおい、紫香! 二階でドタバタすんな!」
「はぁーい!」
じいちゃんも母屋に戻っていたようで、一階から怒鳴り声が聞こえてきた。
「ひゃー、怒られちゃった」
紫香はぺろっと舌を出して、また俺の向かいに腰を下ろす。
俺も苦笑しつつ、グラスの水を飲む。
「ところでさ、ヒカ兄。わたし、ヒカ兄のこと好きって言ったよね?」
「…………っ!」
危なく、漫画みたいに水を噴き出すところだった。
「あ、あのなあ……おまえ、いきなり……」
「言ったのは今朝じゃん。時間はたっぷりあったよ、いきなりじゃないよ」
「……そうだな」
不意討ちだっただけで、紫香の言うとおりだ。
「ねえ、もっかい言うけど、わたしはヒカ兄のこと好きなんだよ。ヒカ兄は?」
俺はグラスを置いて、ふぅとため息をつく。
「……好きに決まってるだろ」
「だよね」
紫香も特に驚いた様子はない。
いくら高校生、いくら赤ん坊の頃から面倒を見てきたといっても――
これだけとんでもない美少女に育って。
なにより、“やるときはやる”性格が実のところ好ましい。
俺がそういう女子が好き――というと、まるで紫香を自分好みに育てたかのようで微妙だが。
そんな好き同士が、夜にこうして同じ部屋にいる。
これは――極めてきわどい状況だ。
俺はこの部屋から無事に帰れるのだろうか?
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