中編
現実主義者であまり信心深くない晴也でも、死後の世界と言うものは存在すると、漠然と考えていた。子供のころに母親が読み聞かせた絵本の影響だろうが、天国とは花が咲き乱れて一年中暖かくて、苦しみも悲しみもない楽園なのだと信じていた。
体から力が抜け鼓動と呼吸が止まった後、愛しい妻に最後の別れを告げ、空から降り注ぐ光の中に入った。
この先に行けば全ての苦しみから解放されると思っていたのだが、現実はそこまで甘くなかった。
「はい、ご愁傷様です近藤晴也さん。ここは天国です。では、さっそく治療に入りましょう。ここでならあなたの病気は治せますから、退院する日まで一緒に頑張りましょうね」
見事な銀髪の美女が、頑張ろうー! と明るく言いながら拳を突き上げる。
彼女の背には純白の翼が揺れており、頭にはピカピカ光る輪っかが輝いていた。
どう見ても天使なのだが、なぜか着ているのは白衣だ。右手には大きな注射器が握られ、左手にはカルテがある。
「えっ……ここって、天国ですよね?」
「はいそうです、天国ですよ」
「……なんで僕、死んだときのままなんですか?」
「死んだ時よりはマシな状態になっていると思いますが? 声も出ますし、首も動きますよね?」
「いや、それはそうですけど……」
「まだ体は上手く動かないと思いますが、数日投薬を続ければ動くようになります。大分筋力も落ちていますので、歩くまでには少々時間がかかると思います。そこはリハビリの先生と話し合ってください」
キビキビと説明する天使だったが、晴也には理解ができなかった。
「でも……だって、天国ですよね、ここ?」
「ですから、先ほどからそうですよと言ってるじゃないですか」
「それなら、なんで治療が必要なんですか?」
「近藤さんが病気だからですよ」
何を当然のことをと言うように、天使が形の良い眉毛を跳ね上げる。
数度このやり取りをした結果、晴也は天国と言う場所の仕組みを理解したのだった。
天国では、治らない病気はない。若返ることすらもできる。
しかしそれは、不思議な力でパッと出来るわけではない。病気や怪我を治すにしても、若返るにしても、それなりの時間と治療が必要になるのだ。
「一瞬にして健康体になって若返るなんて都合の良いシステム、天界にはありませんよ」
天使はそう言うと、晴也の腕に点滴の針を刺した。
晴也の体調は、日に日に良くなっていった。自力で食事が出来るまでに回復すると、より体に力が入るようになった。
「そろそろ歩く練習もしましょう」
天使はそう言うと、真っ白なカーテンを開けた。外は気持ちが良いほどの晴天で、名も知らない鳥が群れを作って悠々と飛んでいる。
差し出された手を掴み、予想よりもずっと力強い腕に支えられて窓際に立つ。
この世界に来て初めて、病室の外の世界を見た。
地平のかなたまで広がる花畑を想像していたのだが、意外にもそこには町があった。病院から真っすぐに伸びる道の両側には、様々な家が並んでいた。ヨーロッパ風の家があれば、日本家屋もある。お菓子の家に、コンクリート造りの武骨な家、平屋もあれば背の高いビルもあった。
「ビー玉みたいにまん丸な水色の屋根が見えますか?」
天使の指先をたどれば、彼女が言った通りの家があった。
透き通った水色は空を映しているらしく、雲が通り過ぎると屋根にも白い色がよぎる。
「あそこは特別なお店屋さんなんです。近藤さんも、退院できるようになったらぜひ行くと良いですよ」
「そう言えば、退院したら僕はどうすれば良いんでしょう?」
「背の高いマンションが見えますか? あそこの五階が近藤さんのお部屋になります。そのままそこに住んでも良いですし、気に入らなければ別の家に移り住むこともできます。でもしばらくは、病院からも近いのであそこに住んだほうが良いと思いますよ」
退院しても、数か月通院は続く。完全に治った後は、自由気ままに天界を旅しても良いし、やりたいことがあるならそれにチャレンジしても良い。
「天界には好きなだけいることができます。もう十分だと思ったら、再び地上に戻ることもできますよ。まあ、次はどんな人間になるのかは選べないですし、近藤晴也と言う人間の記憶は失われてしまいますが」
「好きなだけいれるなら、人を待つこともできますね」
「誰か、会いたい人がいるんですか?」
「えぇ、どうしても会いたい人が。あ、そう言えば、数年前に亡くなった両親やペットに会うことってできますか?」
「まだ天界に残っているなら、会うこともできます。でも、まずは歩けるようになってからですね」
辛いリハビリの前に、楽しみを用意する。こういうところも、地上と変わらない。
「……ところで、あのお店は何を売っているんですか?」
晴也の問いに、天使は彼の体をベッドに戻すと、とろけるような優しい笑顔を浮かべて囁いた。
「あのお店は、幻の未来を売っているんですよ」
無事に辛いリハビリを乗り切り退院を果たした晴也は、天界が用意したマンションの五階の部屋に住んでいた。
入居した当時、室内には必要最低限の家具しかなかった。色は白で統一されており、病院にいたときと代わり映えのしない光景だった。
ポツンと置かれたテーブルの上には一冊の通帳が乗っており、確認してみればかなりの額が印字されていた。地上での行いに応じて金額が変わると聞いていたのだが、晴也の生前はなかなかの評価を受けたと分かる。
特に悪いことをした記憶もないが、良いこともしていないと思うのだが。なんだか貰いすぎているようで気が引けてしまう。
しかし、天界で過ごすのにもお金がいる。
晴也は部屋に備え付けられているタブレットのような見た目の端末から、足りない家具や日用品を購入した。
ある程度生活に慣れて来てから、両親やペットを探した。
幸いまだ全員天界にいて、両親は今度若返りの治療をするのだと、ワクワクした様子で語ってくれた。もう一度高校生をやり直したいのだと言う。
晴也が子供のころに拾ってきた猫のマーブルは、虹の橋のたもとで他の動物に混じって遊んでいた。動物通訳の人が言うには、まだ友人と遊び足りないからここにいるが、晴也が望むなら一緒に暮らしてやっても良いと言う。
生前からツンデレだったと懐かしく思いながらも、晴也はまた来ると告げた。
天界での生活にも慣れてきたころ、何度目かの通院のときに、以前天使が言っていたお店のことを思い出した。
「そう言えば先生は、あのお店は幻の未来を売っていると言いましたよね?」
定期健診を終えた晴也が、そう声をかけた。
カルテを入力していた天使が振り返り、何のことなのかを思い出そうと青色の瞳を天井に向ける。
「あぁ、もしかして硝子玉屋さんのことですか?」
「あのお店、硝子玉屋って言うんですか?」
「売っているものの見た目がビー玉なので、硝子玉屋って呼んでいるだけで、そもそもあのお店に名前はついていないんですよね」
店主が極度の面倒くさがりやで、店名を考えることを放棄した結果、名前のないお店になっているらしい。
店主に対して一抹の不安を感じるが、晴也は気を取り直して質問を続けた。
「幻の未来って、どんなものなんですか?」
「……果たされなかった約束の先ですよ」
晴也の脳裏に、プロポーズをした日の光景がよみがえった。
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