05 声の正体
部屋にはテレビの音しかなく、僕と佳奈がお互いに喋らない時間が続く。
前だったら普通に話せれたのに、前はどんな話を話していたっけ……。久しぶりに一緒にゆっくりできる時間なんだから……何か話題とかないかな。
「……」
「…………」
捻れど、捻れどいい話題が思いつかない。
バイトの先輩の愚痴とか、上司のヅラがズレてたとか、居酒屋の酔っぱらいに酒を吹きかけられたとか。いや、全部面白くない話じゃん。
あ、そうだ。面白い……かもしれない話がある。バスの隣の席の人が怖かったって話をしよう。
「あー……、ね、佳奈。えっとさ」
「――兄さん、その……昨日はごめんなさい」
「え? いや、別に気にしてないよ」
大きなクマを抱きしめてる佳奈が、話し出してくれた。
昨日、って、えっと……佳奈が僕に謝るようなことってあったっけか。
「ほんと? 久々の会話だったのにあんなに詰めよっちゃって」
あぁ、そのこと。
「大丈夫だよ、まったく気にしてない」
「兄さんが頑張ってるのを、私よく分かってるのに、その……嫌な気持ちになってたりってしない……?」
「大丈夫だって。僕はお兄ちゃんだし」
ぎゅうっとクマを抱きしめる力が強まったのを横目で確認した。
詰め寄られただけで僕が怒ったことって前にあったっけ。そんな別に怒るような内容じゃないし。
大学に行きたいと佳奈の前で言ったことは当然ある。だけど、それは高校3年生の時までの話だ。両親がいなくなった後はその話は出してない。
「……バイトもなんだかんだ、楽しいしさ」
これは嘘。
「今日まで二年……も経ってないくらいだけど、早かったし」
これは大嘘だ。
とてつもなく長い時間だったのを覚えている。
自分の好きなことが出来ない時間というのはとても長く感じるものだ。年齢を重ねるごとに時の流れが早まると聞いたが、楽しくない時間というのは相も変わらず長かった。
心を殺して接客をして、何度も頭を下げた。周りの栄転ばかりが風のうわさで聞き、視界のどこか映り込んだかつての友人達を見て、唇をかみしめた。
だけど佳奈が何か思い詰めているのならば、僕のことなんかどうでもいい。
「そもそも僕と一緒に大学に行っても楽しいことなんかないと思うけど……友人を作ってサークルに入るなり委員会に入るなりした方がよっぽど楽しいと思うよ」
それに、僕にとってはもう諦めた夢だ。
「そんなことは! 私のせいで兄さんが好きなこともできなくなったの……馬鹿な私でも分かってて」
「そんなのは些細なことだから」
「……わたしっ……は、頭悪いし、成績も中の下だし……なのに……」
もしかして、責任を感じてるのか……?
佳奈の言葉に耳を傾けると、僕がこの二年間善かれと思ってやっていたことが佳奈への精神的な負担につながっていたのではないか、と感じた。
佳奈は、そうか、元々は就職希望だった。それを強引に進学するように言って、そのためのお金は僕が準備すると誓ったんだ。
重い。重すぎる。どこのヤンデレだっての。だけど、当時はそう思わなった。
僕の残った唯一の家族のためには僕の夢なんか捨ててもいいと思えた。
将来への道を整えてあげたかった。
今思うと、重荷と感じてもおかしくないことばかりだ。
「……僕が大学進学できなくなったのは、佳奈のせいじゃない。進学も無理だったら大丈夫だからさ。約束したじゃん、僕は佳奈の味方だって」
「……それは」
「それに佳奈は成績の事心配してるみたいだけど、大丈夫だよ。だって頑張って勉強してるし。僕のことは心配しなくていいから、親だと思って任せてくれたらいいよ。だから、佳奈が無理だって思ったら全然進路も――」
「違う! 私は迷惑かけてばっかりだし、私もなにか兄さんの力になりたくて……。進学が嫌ってわけじゃないの……兄さんに幸せになってほしくて」
「……家族だから、大丈夫だよ」
「家族だから心配してるの! 兄さんもいなくなったら……私は……っ」
佳奈の頬に涙が伝う。
頼れる人がいなくなった時の辛さは、僕もよく知っている。
母の手伝いで学び始めた料理などの家庭内の仕事。公務員だった父から学んだ礼儀作法や会話術。そしてなにより、長男ということで「妹を引っ張っていけるように」と厳しい父に教育され、「長男だから妹を見守ってあげてね」と優しい母に教育された。
そんな日常が一瞬にして壊れたんだ。
頼れる存在がすべて消えていったんだ。
僕は今、佳奈の親代理だ。
アレを経験した佳奈が僕に対して顔色伺って会話の内容を気にするのも仕方がない……のかもしれない。
◆
大学。大学、か。
昨日の今日でそんなにまとまったわけでもないし、でも、もう、そうだな。
「……大学の話、真剣に考えてみることにするか」
「……え?」
「佳奈が行く大学に一緒に入ろうと思う。頑張って勉強し直してさ、時間がある時に高校……に行って先生と大学関係の話をするよ」
クマに埋められていた佳奈の視線がこちらに向くのを感じながらも、僕は視線を前に向けたまま作り笑顔をしながら続けた。
「……それで大丈夫かな? 生活はちょっと厳しくなると思うけど」
テレビの音がその瞬間だけ無音に感じる。
普段なら言わないことまで口から次々に零れ落ちそうになるのを必死に堪えた。
二年間弱という期間で意識しないように努めてきた歪な感情だ。大学進学を諦め、妹に進学するように愉し、それのためにお金を稼ぐ間に溜まりに溜まっていた感情だ。
――なにが。勝手に自分がして、勝手にたまった感情だろうが。出てくるな。
佳奈はそんな気持ちが混じった言葉を吐き出した僕を見つめ、先程の強ばった表情から緩んで安心した表情になって……笑った。
「うん……!」
「僕も、佳奈も……そろそろ報われてもいいもんね」
「うんっ!」
「二年間、色々迷惑かけちゃってごめんね」
「私も……」
「お互いに、かな?」
「……私のほうが……迷惑かけてた」
「僕の方も結構ね」
佳奈はクマのぬいぐるみを抱き寄せ、再び顔を
自分もソファにもたれかかって目を閉じた。
僕もまだまだ子どもだな。兄失格だ。
閉じていた目を開けると天井に取り付けられている証明が眩しく感じ、思わず目線を横に逸らすと佳奈と目が合った。
「……兄さんのために私も頑張るから! 私だって、養われるだけの子どもじゃないんだしね!」
「大人なレディには程遠いけどね」
「もう十分レディだよ~だ。お胸は全然出てこないんだけど、多分バグだろうし」
「どんなバグだって」
「デバッカーを呼んで解決しないと」
「出刃……?」
包丁の話か。それとも、ゲームの話か?
よくわからずに小首を傾げると佳奈はへへへと笑って、ソファの横に準備していた着替えを持って隣を過ぎていった。
「……僕は、過保護になりすぎてたんだ」
佳奈に聞こえないように呟いた。
この前みた昔の妹の姿と重ねてみてしまっているのかもしれない。佳奈ももう守られるだけの年齢じゃないのは当たり前だ、佳奈だって成長をしてるんだし。
佳奈に残された唯一の家族なんだから、という意識が僕の気持ちを急かせているのかもしれないな。
さて、じゃあオムライスでも作りに行こうか……。
「あっ、あの、え。どなた……ですか?」
ソファの縁に手を変えて立ち上がった僕の視界に映ったのは、妹の背中と不思議な雰囲気の女性だった。
玄関を開ける音や、居間の扉を開いたような音など聞いていない。そして、それらの疑問が湧いて出ないほど、さも当然のように居合わせていた。当たり前のように同じ空間にいた。
その短髪の女性はスーツに身を包んでいるが、どこかこの世のものではないように思える。よく言えば神秘的、だがバケモノのような畏怖も同じく感じられる。
「ってか、どこから入ってきて……。兄さんの知り合い? この人?」
「いや、知らない。知らない人だよな……?」
始めて会った。見たことない。だけど、初めて会ったような気がしない。そんな不思議な感覚に包まれていたのだが、伏せていた顔が上がり、垣間見えた。
「初めてまして、適正者様。この度は私の上司が管轄している
「ゆ、ゆーとぴあ? って、えっ、幻想郷!? ほんとにデバッカーの人来ちゃった?」
佳奈の声を聞き、にっこりと口角が放物線を描いた美しい顔。やはり初めて見る顔。だというのにその声は聞き覚えのあるものだった。
どこで聞いたか、と頭の中を探っていた時。ゆら、と腕を佳奈の方へと伸ばそうとしていた。
「!? 何をっ」
バッと遮るように前に出た僕に対し、表情一つ動かさずに女性の指が僕の体をなぞる。
つつつ、となぞられた部分から服の上からだというのにヒンヤリとした感触を感じた。
「え」
刹那、視界がブレた。いつも見ている風景がグラリと揺れたような気がした。
それだけ。本当に、それだけのことだ。
ドンッ。
ぷつん。
だけど、僕の視界は暗転した。
古びたテレビの電源を切ったように。一瞬の「あそび」の後に、きれいさっぱりと。
その「あそび」の僅かな時間で、とてつもない激痛が体中を走ったような気がした。
体が熱くなり、酷く凍えるように寒くなった。けど、それもすぐに何も感じなくなった。
「……ぁ」
意識が暗い世界へと消え入るような。深い眠りに入るような。
遠いところで佳奈の声が聞こえたような気がしたのを最後に、僕の意識は完全になくなった。
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