02 兄と妹




「……ただいまぁ」


 かけ持ちしている最後のアルバイトが終わって、深夜二時の帰宅。

 玄関に靴を揃え、リビングの方に目を向けると普段は真っ暗な居間に明かりがついていることに気づく。


「あれ? 」


 まさかとは思い引き戸を開けリビングに顔を覗かせると、妹が教科書を広げてうんうん唸りながら勉強をしていた。


「佳奈、お疲れ様」


「……」


「あっ、イヤホンしてるのか……?」


 耳までかかった黒髪で若干見にくいけど、してるっぽい……な。

 中に入って荷物を置こうとすると、イヤホンをしていたはずの佳奈がふいとこちらに目を向けてきた。


「あれっ!? 兄さん? え、もうそんな時間??」


「ただいま。今2時過ぎだよ、早く寝ないと学校に支障が出るんじゃない?」


「あ、おかえり。いや、んぅー、そうなんだけど……テスト期間が~」


「テスト期間か……いつからテストなの?」


「明後日!」


「もうすぐじゃないか…………んー、夜更かしはあまり宜しくないけど」


 アルバイトの際に来ていくカッターシャツを洗濯機に入れ、リビングに戻って冷蔵庫の中にある飲み物をじっと見つめた。


「なにかいれようか?」


「ほんとっ!? じゃあコーヒー!」


「まだ夜更かしするつもり? 却下!」


「えーテストが……」


「2時ほどでやめとくのがベスト。それ以降は効率も下がるし、朝起きるのが辛いでしょ?」


「……はーい」


「よく眠れるようにホットミルクをいれておくね」


「うん」


 渋々勉強道具を手提げバックに入れてソファに放り投げるのをチラ見し、カップに入れた牛乳をレンジに入れた。

 テストか、時期的に学内テスト……だな。夏休み前だし、たぶん。


「……ねえ、兄さん」


「なーに?」


 何もなくなった机に伏せている佳奈。そこの隙間からこちらを見ている目が見えた。


「ありがとね」


「何が?」


「その……いつも、夜遅くまで」


「気にしなくていいよ。 好きでやってるんだ」


 と言ってみるが、強がりなのはバレているのだろう。

 

 僕の家……平野家の経済状況は良くない。

 忘れもしない、高校生の頃の話だ。

 僕は成績も人並みに良く、大学進学を先生に勧められていたのだが、高校三年生も終わりに近づいてきた時期に親が離婚した。

 そこから生活の水準が著しく低下していった。

 父親は新しい家庭を作ったという話が最後で、それ以降は音沙汰なし。

 母親は精神的なストレスで体を壊し実家に帰っているらしいが……特に連絡もなし。

 2人の親から実質見放された僕と佳奈は、その時点で自分達が利用出来る国の制度を調べたり、信頼出来る知人に相談して何とか賢く生きていくと方向性を決めたのが2年前。


 僕は学費を払えるはずもないから大学進学はしなかった。

 しかし、今もなお世間は学歴社会の風潮が強い。

 佳奈だけは大学に進んでほしい、と思う。

 だから、こうやってアルバイトを3つ掛け持ちして、体を壊さない程度に調整しながら毎日を送っている。


 佳奈は不器用ではあるが可愛い妹だ。それに、残ってる唯一の家族。

 そんな佳奈には、僕みたいな思いはしてほしくない。苦労は……かけたくない。


 佳奈にホットミルクを、僕には暖かいお茶を。

 テーブルに二つのコップを置き、佳奈の横に腰かけた。

 

「……兄さん」


「ん?」


「ぬるい」


「あぁ、ごめん。時間調整間違えたかな、温め直そうか?」


「……ううん、大丈夫」


「そっか、ならちゃんと飲んで、早く寝てね」


「兄さんもね」


「うん」


 久々の妹と会話。

 朝は起床時間の違いで会わないし、夜も僕が帰宅する時間が今日みたいな感じだから、佳奈が夜更かししていないと会うことはまずない。

 普段、何話してたっけ……。

 兄妹といえ、あまり会わなければ他人行儀とまではいかないにしろ、少し会話に緊張が生まれてしまう。


「――あ、あのね」


 そうしていると、佳奈はホットミルクが入ったコップを両手で持ち、こちらには視線を向けずに


「私、頑張って国立入って学費を安く済ませるから。それに私もアルバイトを始めて兄さんの負担を軽くさせるからさ……そうしたら兄さんも好きなことが出来ると思うし……」


 と言ってきた。


「……大学に入った先のことなんてまだ気にしなくていいよ」


「で、でも兄さんが頑張ってるのは私はよく知ってるから」


「でもそうなると僕の時間が有り余って暇になるからなぁ……。やりたい事って言われても……、それならバイトをやめずに――」


「じ、じゃあ兄さんも大学に入ればいいんじゃないかな!!」


「……えぇ?」


 突然の提案に驚いてしまった。

 大学か、悪い話ではない。…………悪い話ではないが。


「なら、今よりもっと忙しくなるね」


 そう言葉を濁し、お茶をすすっていると佳奈は机に向けていた視線をこちらに向けて、目を輝かせた。


「奨学金を借りてさ! 二人で同じ大学に入って同じサークルに入って、学食を一緒に食べてさ! 絶対楽しいよ!」


 るんるんした表情をする妹に少し押され、若干体の重心を妹の反対方向に移す。


「勉強はどうするの、勉強は」


 盛り上がった様子の佳奈に少し痛いことを聞いてみた。

 案の定先ほどまで笑っていた顔が若干ひきつって元気がなくなったような気がする。

 証拠に前傾姿勢だった姿勢が落ち着き、椅子にまっすぐ座ってくれた。


「勉強は………がんばる……」


「あはは。まぁ、考えておくよ」


 僕の反応に手ごたえを感じたのかどうかは分からないけど、佳奈は笑顔を取り戻した。


「さぁ話は終わり。明日も早いんだから早く寝ないとね」


 早めに言っておかないとまた会話をし始めそうだったので、寝るのを促した。

 もちろん会話がしたくないというわけではない。

 僕の言葉に了承してくれたのか、空になったカップを流しに置き寝室に向かっていった。

 戸を引く前にこちらを振り返り、ニッと笑った。


「兄さん! お休み!」


 ばたんと扉を閉め、占めた音がリビングに木霊こだました。

 これから寝る人のテンションじゃないだろうに。

 

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