第29話
ぬかるんだ地面に転びそうになりながら、草木をかき分けて、目的の場所に辿り着いた。
強風の中でも、丘の上には丸い巨石が変わることなく鎮座している。
「石には、魂が宿るんだってさ。だから不思議なことが起きたんだとか」
「それも、幼馴染さんからの受け売り?」
「まあ、そうなる」
石と意思。玉と霊。なんて、単なる言葉遊びだ。
それでも、神聖な場所なら、あるいは人ならざる何かの視線があるならば、単なる言葉遊び以上の意味合いがあるのかもしれない。
いずれにせよ、ここまで来たらやるほかない。
「やり方は、覚えたな……準備はいいか?」
「大丈夫よ」
そうして、二人で石に両手を合わせて、頭を下げる。
「なくしてごめんなさい。もう忘れません」
祈る。
二度と忘れないと。ただその一心を祈る。
一際強い強風が通り過ぎていく。
石が海の方にズレていく。転がっていく。落ちていく。
「あ……」
あるいは、元の場所に帰っていくように、石は海の中に落ちていった。
崖下まで駆け寄る。しかし、その下には何も見えることはない。
「……それで、この後はどうするの!」
イサナに問われる。何も変化がないままに、風はだんだんと強くなっていく。
「ここから飛び降りる」
「……え?」
「海に飛び込むんだよ!」
叫んで返せば、イサナから正気を疑うような目で見られる。
「そういうの、先に言いなさいよ!」
「いやだって、飛び降りるのは怖いじゃん! それで戻らないって言われたら嫌だし!」
「最低!」
「否定できない!」
叫びの押収ののち、イサナは近くに、それこそいきなりキスでもされるんじゃないかと思うほどに近づいてきた。反射的に距離を取ろうと下がろうとしたのを、肩をつかまれて止められる。
「ちょっと、逃げないでこっち来なさいよ。声が聞き取りづらいのよ」
「お、おう」
勘違いだったみたいで本当に恥ずかしい。
「まだ時間、あるでしょ。何か話しなさいよ。というか、ほかに何か言い忘れたこととかないの?」
「あー……そのだな。ここで起きたことは忘れるんだとさ」
「それすっごく重要じゃなことじゃない!」
「いやまあ、夢みたいなものらしいし、おぼろげには覚えてるんじゃないかな。たぶん」
幼馴染からの伝聞でしかないから、不確定にもほどがある。間違ってる可能性もあるし、正直言わなくてもいいかと思っていたが、裏目だったらしい。
イサナは目を細めて、つぶやく。
「……どこからが夢なんでしょうね」
「どこからなんだろうな……石に願った所からか、もしくはそれよりも前とか?」
「あなたが万引きしたところから?」
「かもな……。あ、あと念のため言っておくけどな、俺、本気で万引きした記憶ないからな。そうだ、何かが俺を操ってたんだよ。きっとそうに違いない」
忘れるかもしれないとはいえ、万引き野郎と思われたままなのは嫌すぎる。内心必死に言うが、イサナはあきれたように笑ってくる。
「そんなに必死にならなくても、いまさら鳩羽くんがそんなことをする人だとは、思ってないわよ」
「……それならよかった。マジでよかった」
わりと本心から返していた。誰だって、悪いやつとも思われたくない。
「最期になるかもしれないなら……忘れるとしても、言っておくわ。妹にもう一度会えてよかった。鳩羽くん、いままで私に付き合ってくれて、ありがと」
「別に、いいよ。でも帰ったらまたバイクの後ろに乗せてくれよ。あれ、結構楽しかったんだ。あ、もちろん、安全運転でな」
「高いわよ」
「金取るのかよ」
軽口を叩きあう。
こう話していることも、忘れてしまうかもしれない。約束なんてしても、無意味かもしれない。
それでも、これで最後なら尚更いい。湿っぽくわかれるような、そんな仲では俺たちはないのだ。
「じゃあ、そろそろ飛び降りるか?」
「怖いなら、手でもつないであげようかしら?」
「……いや、遠慮しておく」
「あら、そう」
離れていくイサナに、少しだけ勿体ないことをしたかな、と思う。ともりが嘘をついているとは思っていない。が、それはそれとして落下して本当に無事でいられるか、と思う気持ちもまたあるのだ。
それでも、意地を張りたい時が男の子にはあるのだった。
なんて覚悟を決めていたら、横から手をつかまれた。
「え、何」
「あなたが大丈夫でも、私は怖いのよ。気を利かせて貸しなさい」
言葉に対して、イサナの表情は相変わらずの仏頂面。相変わらずの見慣れたそれに、どうしてか、安心させられてしまう。
そして俺たちは、二人で海の中に落ちたのだった。
不思議な夢を見た。
現実に、こんな幻想的な光景を見ることはない。だから、夢だと思ったのだ。
海の中へと沈んでいく夢だ。海の中で、激しい海流に、俺はなすすべない。
流されるがままでもいいと思える。
でも、このままではよくないと、何かがそう思った。
何が正しいのかなんて知らない。そんなもの、結果論だ。分かるはずがない。
ただ。
このままではいられないと思った。
このままでいるのはダメだと思った。
何かを、自分を変えたくて手を伸ばした。
伸ばした先で、誰かの手に触れた、気がした。
波の流れが停止した。
一瞬の静寂。
海の中なのに、目を開けても痛みのひとつすらない。やはりこれは、夢の中だからだろう。
目の前には、大きなものがいた。それは魚のような形をしていた。その姿は大きい。見たことのない、おおきな魚。石灰色のそれは、まるで化石のようにも見えた。
正面に顔が向けられる。左目がない。隻眼だ。残った眼球は、全体が白濁していて石みたいに見える。どこに瞳があるのかわからない。こんな大きなものが、こちらに注目することもない。なのにどうしてか、こちらに向いている、気がした。
何か、言葉にしようとした。けれど口から漏れる気泡のように漏れて、とりとめのない言葉はどこかに浮かんでいく。
何も出来ないままに、俺は大きな魚の姿をした何かに食べられた。
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