第25話

「どうしてそんなずぶ濡れになって帰ってくるのよ」

「ねえ……さん……?」

 家に帰ると、姉さんがいた。誰もいなくなった街だと思っていたからだ。

「もう、お風呂わかしてるから、とっとと入りなさい」

「あ、うん」

 有無を言わせぬ姉さんに促され、風呂場に向かう。

 湯舟に浸かりながら、なぜ姉が現れたのかに思いを馳せる。

 ともりは、会いたくなれば会えると言っていた。

 いままで姿を見なかったのは、俺が会いたくないと思っていたことへの裏返しか。

 それが事実であるのなら恥ずかしい。

 とても。とてもとてもとても。

 このタイミングで会えたということは、俺は姉が恋しくなってしまったということだろう。顔から火が吹き出てもおかしくない醜態だ。

 ただ、会うことが出来たのは幸いだった。

 こうして、話すことができるのも、最後になるかもしれない。

 仮にここに残ると決めたのなら、もう会えることはないだろう。戻らないと決めたのなら、それは永遠の別れを決意することになる。そういうものだと直感している。自由にいつでも会おうとする、だなんて、そう都合良くは行くはずがないだろう。

 一度入ったあとだから、長風呂をする気もしない。早々に風呂を上がる。

 二度髪を乾かすのも面倒で、拭いただけで出ると、

「ほら、頭出して。ふいたげる」

「え、いや、いいって」

「いいからとっととツラ貸しなさい!」

 ぐい、と引っ張られて、椅子に座らされる。わしわしと、強めにタオルで拭われる。乱暴そうな手つきだけど、案外痛くもなく、手慣れていた。

「こうしてると、昔を思い出すね。プールに行った帰りに、髪の毛乾かさずにでちゃって、私が仕方なく吹いてあげたでしょ」

「……そうだっけ」

「そうよ。いま健康に生きられているのは、私のおかげってこと。お姉さまに感謝しなさい」

「……感謝してるよ」

 いつだって、感謝していた。

 同時に、申し訳なくも思っていた。

「素直なのは珍しい。思春期男子にしては……それで、何か悩み事?」

 直球で尋ねられて、驚く。

 俺の体感では、ここのところ遭っていないのだ。それでも、感じ取るものがあったのだろう。

「……わかるもんなの?」

「そりゃあわかるよ、なんたって私は、お姉ちゃんだもん」

 姉さんは自信満々に言う。夢みたいなモノだと思えば、取り繕う必要もない。こちらも口が軽くなってしまう。

「これから、どうしようか悩んでることがあって」

「なになに進路相談~? お姉ちゃんに任せなさい!」

「……二つの選択肢があって、どちらを取るべきか悩んでる。両方取るのはできなくって、今後の人生がまるっきり変わる」

 ともりと一緒にここに残るか。

 ともりのことを忘れて、元の世界に戻るのか。

 一大事なようで、一大事ではない。どちらかに価値を見いだせば、それでよかった。

 俺が残れば、ともりは喜ぶ。それでも、他人を理由にするのは、不誠実な気がしていた。

「なあにそれ。何かの心理テスト?」

「そういうわけじゃないんだけど……」

 俺の曖昧な問いに対しても、姉さんは真に受ける。うーんと悩んだ後、

「それならね、選んで面白そうな方を選ぶのがおすすめよ!」

 姉さんは、軽快に言った。

「就職でもなんでも、先のことはあんまり考えなくていいから……いや、考えすぎないのも、それはそれで大変だけどね! 結局、自分が死ぬときに満足できるかが一番! 大事なのは、それを選んだあと振り返って、自分を許せるかなのだよ」

「……含蓄あるね」

「だてに年齢重ねてるわけじゃないってことさ」

 わしゃわしゃと、撫でるように拭かれる。もう、水分なんてほとんどないだろうにも構わず。

「姉さんは、後悔してない?」

「んー? まあしてないって訳じゃないけどさ。人生、そんなもんでしょ」

 後ろから髪を拭かれているから、その表情は分からない。

 俺がしている表情だって、姉からは見えないだろう。いつもより素直に、言葉を返すことができた。

「……姉さん、いつもごめん」

「別にいーんだよ。だって、たった二人の姉弟なんだから」

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