第19話

 土曜日。町外れにある、海を見下ろす水族館。その入り口の前に、そっくりの顔をした、似ても似つかない双子が立っている。

「……マジで来てるな」

 俺は、遠目で見えたそれに、つい、声を出す。

 遮蔽物も何もない場所にいる俺から見えたということは、相手からも視界に入るということだ。こちらに気づいた相手、この場合は恵さんが、大きく手を振ってきた。

「おはようございます!」

「おはよう……には、ちょっと遅い気もするけどな」

 時刻は十一時だ。あとから来たイサナが、腕を組んだ状態で、俺に詰め寄ってくる。

「妹を待たせるとは、どういう領分か説明して貰いましょうか」

「その前に俺が説明して欲しいんだよ。どういう状況だよこれ」

「どういう状況も何も、見ての通りよ」

「見て分からないから聞いてるんだ」

「見ての通り、デートのお誘いよ」


 水族館に十一時に来い、とイサナから連絡が来た。今日の九時のことだ。

 仕方ないから急いで向かった。間に合った。

 以上。今日のここまでの流れだった。

「にしても、なんで水族館?」

「ごめんなさい、私がお姉ちゃんに頼んだんです」

「……えーと、恵さんが?」

「は、はい。好きなので」

 にしてもデートて。少なくとも、高圧的に宣言するものではないだろう。そもそも三人でやるものだったか。両手に花、という言葉が浮かぶが直ぐに振り払う。片方は確実にトゲがある。

「私が妹を男と二人にするわけないでしょ」

「……まあ、水瀬はそうだよな」

 そこだけはいつも通りで安心する。

「お礼、するって言ったでしょ。男子高校生なら、喜ぶものなんでしょ」

「いやまあ、イサナのことをあんまり知らなければ、手放しに喜べたかも知れないけど」

「他意はないから、思う存分楽しんで行きなさい」

「他意も何も期待してない。あと今日はバイクで来た……んじゃないよな」

 イサナは、普段と違う装いでいた。ロングスカートを履いている。それでもシックな色合いで固めているから、かわいいとはならないところがイサナらしい、というべきか。

 これまで見てきたイサナの私服は常にパンツスタイルだ。スカートは学校で見慣れている筈なのに、私服になると違和感がある。

 似合っているのは、まあ、間違いない。俺の中の水瀬のイメージと衝突事故を起こしているだけで。

「こんな服装で乗れるないじゃない。それに、妹を乗せて怪我させたくないわ」

「あー……まあ、確かにな。危ないもんな。わかるよ」

 納得は、する。しかし、どこか切ない気もする。

 バイクを妹のために買った、とイサナは言った。けれども、せっかく戻ってきた妹を乗せられないのだ。妹かわいさに、怪我させたくはないという気持ちは理解できた。

 イサナという人間は、やはり不器用なのだ。

「まあ、俺は散々乗せられたけどな」

「鳩羽くんは鳩羽くんだからいいのよ」

「それで扱いの悪さには誤魔化されないからな? 今日もめちゃくちゃ急いで来たんだし、何をするにしても連絡を早めにしてくれよ? マジで」

「善処するわ。それに、今日は来ないなら来ないで、二人で満喫する予定だったから問題ないわ」

「この野郎」

 言い合っていれば、くすくすと笑う声。恵さんは、愉快そうにして俺達を見ていた。

「聖さんから聞いてたけど……お姉ちゃんたち、ほんとに仲いいんだね」

「いや……別にそういうのじゃないんだけど」

「そうよ、鳩羽くんは私の言うことを何でも聞いてくれるだけの関係だわ」

「言い方」

「……教室だとあんまり話してないんですよね。勿体ないなぁ」

「いやそれは本当だけど……イサナはほら、人気者だから。俺なんかが関わるのは気が引けるんだよ」

 最近は普通にちょくちょく話すようになってしまったけれども。

「あまり自分を卑下するものではないわよ。鳩羽くんにも、いいところくらいあるもの。例えば……………………まあ、この話は別に今日はいいわね」

「ないならないで、そう言ってくれるのが優しさだと俺は思うな」

「こんなふうに、鳩羽くんは特別繊細な男子高校生だから普段は気を効かせてあげてるのよ」

「男子高校生は全員繊細なんだよ」

 いや、知らないけどさ。




 入り口で、ホホジロザメの歯の標本が出迎えてくれる。小学校の頃に何度かこの水族館には来たことがあるけど、改めてこうも大きいかと驚いてしまう。

 駅からも遠い、寂れた水族館だ。ここまで来るのなら、横須賀の東側の類似施設に行くだろう。こちらは小規模。あちらはレジャー施設がついている。東京や横浜からも、そちらの方が近い。わざわざ来るような珍しい観光客も少ない。今日だって、土曜というのに客足が少なかった。

 あるいは、イサナはそれを分かって来たのかも知れない。人が多く、また広い場所は妹には酷だと考えてか。

 小さな魚が転々と展示されている。地元で採れた魚だと記載されている。主張があまりにささやかなためか、足を止めている人もいない。

 この寂れている雰囲気は正直、嫌いではない。せっかく来たのだし、楽しむとしよう。

 静かでどこか薄暗い館内を三人で歩く。

 恵さん、水瀬、俺の順。即席の三人パーティは、ゆっくりと進む。

 進んでいく中で、見上げるほどに大きな水槽に辿り着いた。狭い水の中で、数多の種類が混在している。小さな魚ほど、同じ種類で肩身を寄せていた。大きな魚は、各々好き勝手に動いているようにも見える。

 まるで教室だと、別のモノを想起する。弱いなら集まる必要があるし、水瀬みたいに強いのならば、孤立しても問題ない。

 ならどちらでもないものはなんなのだろうか。答えは出ないから、俺は隣の大きな魚を見る。イサナは、相変わらずの仏頂面。

 対して、恵さんの方は目を輝かせて、見上げている。

 ところで、魚で思い出したことがある。

 少し前に見た夢。展示している魚よりはよっぽど大きかった。

「一番デカい魚ってなんだろうな」

「現在発見されている中で、一番大きいとされている魚はジンベエザメだよ!」

 呟いた俺の言葉に、放り出された餌に食いつくように、恵さんが横から勢いよく答える。

「でもね、昔はもっと大きな魚もいたって言われてるの。メガロドン、って呼ばれている大昔に生きていたサメで、こちらは骨格にもよりますけど二十メートルもあるって話もあるんです。魚に限らなければ、ダイオウイカもメガロドンと同じくらいの大きさで、でも深海にはもっと大きな未確認の魚もいるんじゃないか、って話もあって面白くって……」

 早口は急停止して、はっと正気に戻ったように、恵さんは勢いよく顔を上げる。

「……ご、ごめんね。いきなり」

「いや、大丈夫。聞いてはいたけど、本当に魚が好きなんだ」

「うん、私、好きなんだ……海とか、水の中の生き物が。へ、変かな?」

 話をふられた恵さんは、慌てたように言っている。

「変なことはないだろ。俺も、昔はそこそこ来てたし」

「最近は来てないの?」

「頻繁に行くには、ちょっと遠いし。一緒に行く相手もいないから」

「それはもったいない。私だったら年パスで通い詰めてますね」

「そこまで」

 流石にそれほどとは想定していなかった。好き、というレベルを侮っていたらしい。

「だって、すごいと思わない? 身体ひとつで海を渡ったり川を渡ったり、国境を越えて、さらには戻って来たり。神秘だよ」

 そう言って、目を輝かせながら、彼女は再び水槽の方を眺めに向かう。

 海を泳ぐ魚は神秘と言い切る、水瀬恵。

 ふと、想像する。もし彼女が、海に流されていたとしたら。行方不明の間も、海にいたとしたら。流されていた間、彼女は一体、どうなっていたのか。

 まさか、と自分の空想に苦笑する。そんなはずはないのだ。人は水の中では生き続けることはできない。

 ならどうして、あの日、あの場所に彼女いたのか。

 俺は聞かない。ともりが思い出せない以上、そして聞き出すべきではない以上、無意味な問いだ。

「どうしたの、立ち止まって。もう疲れたの?」

「いや、ちょっと考え事してただけ……イサナは、好きな魚とかいるのか? お前も詳しいだろ?」

 恵さんと比べて、楽しくはなさそうな表情。しかしそれはイサナの標準装備で、読み取れない。

「そういう話題は妹にしなさいよ。それに、別に、好きで詳しい訳じゃないわ。ただ……妹に付き合ってたら覚えただけなの。それに、私は……」

「それに?」

「……ガラス張りの中で見る魚、私は正直苦手なの。なんだか、不自由そうで」

 不自由そう、と見るのか。確かにそういう見方もあるだろう。人の感じ方に、とやかく言うことはないか。苦手というのに妹に付き合う姉を健気というべきか。

「まあ、水槽の中なら外よりは安全だろ」

「ひとまとめに入れられている一緒にいる魚なら、たまに食べられてるみたいよ」

「え、そうなの?」

「そう。あと、ペンギン」

「……ペンギン?」

「魚じゃないけど……水族館の生き物の中なら、ペンギンが好き。何か文句でもあるの?」

「いや文句はない……ただなんか、思ったよりかわいい回答で驚いただけだ」

「鳥なのに空を飛べないのがかわいいと思うわ」

「趣味が悪い」

 もしくは性格が。というか、不自由そうな魚が苦手と言った口で言うことなのだろうか。

「逆に鳩羽くんは、何が好きなの?」

「え……じゃあ、蟹かな。美味いし。あと、横にしか動けないところが不器用でいいと思う」

「正面に動けるのもいるわよ」

「え、マジ? ……いや、流石に嘘だろ。いるわけないって」

「人を信じる心をどこかに忘れてしまったのね」

「直球の嫌味だなオイ」

 後から調べたところ、前に歩くカニは本当にいた。

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