第17話
翌日の昼休み、聖を屋上に呼び出した。昼飯に付き合ってくれと声をかけたら、二つ返事で答えられる。
うちの高校は、屋上が開かれている。入学当時は誰しも物珍しさにやってる場所だ。ただ、もう秋も半ばに入って来ている。冷たい風が吹く中で食べる人間も、そうそういない。
「それで、なんか話でもあんのか?」
「嫌に察しがいいな……」
「そりゃあアキノから飯に誘われるなんて、よっぽどのことだろ。それに俺は、誘いは断らない男だ。ほら、言ってみ」
爽やかに言ってみせる聖に、巻き込む事への罪悪感が少しだけ湧く。
「その前に、ちょっと待ってくれ。もう一人来るから……いや、来たわ」
「待たせたわね」
イサナは堂々と歩いてくる。その手に弁当箱も何もない。今からするのは頼み事だから、いらないことはそうなのだけど、相変わらず飾りがない。
目を瞬かせる聖に、話し始める。
「今日の要件は、イサナのことについてなんだ」
「……水瀬さんが、俺に? 何の用?」
「一先ず、最後まで聞いて欲しいんだが」
前置きして、俺は話す。
「実はイサナには水瀬恵っていう双子の妹がいるんだけど、ついこの間まで入院していたんだ。そのせいで、学校にはこれまで通えなかった。そんでもって、この水瀬イサナは自分と入れ替えて、妹を高校に通わせようとしている」
「……ちょっと待ってもらっていいか? 情報が多い」
「いやまあ、そういう反応にもなるよな」
いきなり、同級生の身の上を聞かされても困る。俺も身に覚えがあった。
聖は思ったよりも早く理解したらしい。首をうんうんと振ってから、俺たちに向き直る。
「…………よし、飲み込めた! つまり、水瀬さんの妹が不都合がないように手伝って欲しいってことだな!」
「いやまあそうだけど、飲み込みが早いなお前……」
「海と釣りでは一瞬の判断が大事だからな!」
「そうか……でだな、無茶言ってるのはわかってるから、断って貰ってもいいんだけど……」
「いあ、やるなら手伝うぞ」
「……お前、安請け合いしすぎなのはよくないと思うぞ」
二つ返事もいいところだ。
「聖くん、ありがとう。嬉しいわ」
頭を下げるイサナ。心なし口角を上げている。わざとらしい笑顔未満だった。
「いやいや、当然だって。にしても、水瀬さんが普段素っ気ないのはそういうことだったんだな~! いや、そういう話を聞いたら、余計手伝わないわけにはいけないだろ! ちなみに、その妹さんはどういう子なんだ?」
「こういう子」
イサナはスマホの待ち受け画面を見せてくる。待ち受けには、アキノ……ではなく、妹の恵さんの顔だ。知っている俺達なら問題ないけど、知らないヤツがみたらナルシストだと思われそうだ。
俺が変な憶測を立てる横で、聖はといえば、画面を前に硬直している。
「い、妹さんのお、お名前をお聞きしても……?」
「恵よ」
「恵ちゃん、恵ちゃんか……なあアキノ、ちょっとこっち来てくれ」
「え、何」
聖に引っ張られて、屋上の隅に連れて行かれる。その上で、聖は小声で話してくる。
「なあ、俺、恵ちゃんのことめっちゃ好みかもしれない……」
「……いや、一応イサナと同じ顔だろ。そこまで言うほどか?」
「なに言ってるんだよ! 全然違うだろ! いやほら、なんかこう、きゅるんってしてるじゃん!?」
「きゅるんって何さ……まあ、話しても雰囲気は全然違うけど。そこまで興奮するもんか」
「守ってあげたくなる感じっつーかなんて言えばいいのかな……いや待てよ、おい、アキノはもう会ったことあるのか!?」
「まあ、一応」
「……どんな子だった?」
「イサナから塩の代わりに砂糖を入れてアクを抜いた感じの子」
「そうか……そうか……」
聖は空を仰ぎ、物憂げな深いため息をつく。今日は単なる曇り空だけれど、きっと聖には違うように見えているのだろう。
聖は、俺の両肩に手を置いて、かつてないほど晴れやかな顔を向けてくる。
「アキノ、絶対成功させような!」
「……おう」
俺が聖を協力者にしよう、と提案したのは俺だ。顔が広くて行動力もあって、かつ人格も悪くない聖ならできることは多いはず。悪意を持って吹聴するような人間ではない、とは思う。とれる選択肢としては、最良の筈だった。
なのに、どうしてだろうか。なんだか途端に不安だ。
一週間後の火曜日、それが替え玉通学の決行日になった。
イサナが登校を再開して早々向かうのは、色々支障が出る可能性もある。また、体育の授業はずっと家にいる弊害から厳しいだろう。色々と事前に検討しておくべき事もあった。
わざわざイサナの家に行くこともなく、現代人らしくビデオ通話で四人で話す。恵さんが出る度に、身もだえしては翌日興奮する聖の対処が難だったが、それ以外はスムーズに決まった。
そして当日。俺はいつもより早い時間に目覚める。何故かと言えば、学校に向かう前に、イサナの家まで迎えに行くためだ。バスの乗車も、不安に思ったイサナの指示である。
過保護すぎるとも思う。同時に、そう思う姉心もまあ、分からないわけでもない。
「おはよう、鳩羽くん」
「お、おはようございます。鳩羽さん。今日はよろしくお願いします」
「畏まらなくていいからね、本当。同い年なんだから」
イサナとは別人とは分かっていても、同じ顔で敬語を使われると違和感がすごい。
迎えに来た俺を、玄関前で制服姿の恵さんが出迎えてくれる。ついでに、イサナもジャージ姿で隣にいる。
「今日はわざわざ、来てくれてありがとうございます。それで、あの、変じゃないですかね……? お姉ちゃんは、かわいいとしか言ってくれなくて……」
恵さんは、着ている制服に目を落として、まるで場違いなのではないかと心配そうにいう。
加えて、先日会ったときと比べて髪が短くなっている。長いままでは、イサナのフリは出来ないので、長さを揃えたのだ。
髪型も同じ。制服も同じ。あとは表情と挙動だけ。
「俺から言えることは二つ、仏頂面を心掛けて、唯我独尊という素振りでいれば、おかしいとは思われない筈だ。表情については、学校にいる間はマスクをつけてもらうから、無理しない程度でいいと思うけど」
「こ……こうかな?」
恵みさんは、きりっとした表情を作る。
「少し勇ましすぎるかな……もう少し、この世の全てに絶望している感じで」
「鳩羽くんは私のことを何だと思ってるの?」
「例えだから、あんまり目くじら立てないでくれ。それと、妹のことが心配なのはわかるけど、とっとと寝てろ……目の下にクマできてんぞ」
「そうね。じゃあ……鳩羽くん、よろしくね」
「……まあ、最善は尽くす」
イサナはそう答えて、玄関に引っ込んでいく。恵さんと二人になる。
「じゃあ、行くか」
「は、はい」
バスに乗って、学校に向かう。俺もイサナも、呼び止めてくるような友人が殊更いるわけでもない。スムーズに教室へと案内できた。
「ここがお姉ちゃんが通ってる教室、なんだ」
いざ教室の前にして、足を止める。知らない空間に飛び込むのは、中々に緊張することだ。
「よう、アキノ! それと……水瀬さんも、おはよう」
「よ」
「お、おはようございます!」
元気な挨拶だった。百点満点と言える。ただ、イサナになりきるという点では、落第だけど、まあ俺達しかいなければ問題ないか。
幸い、朝の喧騒に紛れて気にしている人物もいない。もしくは、水瀬イサナがそんな風に話す筈がないと、聞き間違いと処理した人もいるかもしれない。
俺は、恵さんの肩を叩く。
「イサナはな、人に挨拶を返さない」
恵さんは目を瞬かせ、言葉の意味が分からないとでもいうように、首を傾げた。
昼休み。つつがなく、とはいかなかったけれど、無事に昼休みになる。
屋上で三人で昼食をとっていた。集まるのが鉄板になってきたけど、相変わらず人がいない。
「いや、物理であてられたときは終わったかと思ったな!」
「本当にな……聖に頼んでおいて良かったわ」
「勉強のほうは全然わからないので、助かりました。ありがとうございます」
「いやいや! 任されたからね! 当然のことをしたまでってわけよ!」
恵さんが授業中、よりにもよって物理の授業で当てられる自体が発生した。
イサナは他人に頼ることがない程度に、成績はいい。当然答えられるだろうという調子で、教師側も当てたのだ。普段は座席順に当てるのに、よりにもよって今日に限って。
聖が「先生! 俺が解きたいです!」と代わりに出てきて難を逃れた。ちなみに回答は正解していた。
体調の方も、問題なさそうだ。イサナが一番警戒していたのは、記憶の方に影響が出ることだ。そうなったとき、どうなるのか分からない。だからこそ、イサナは俺や聖に頼んだのだ。
「……で、恵さん的にはどうだ? まあ、授業もわからないし、別に面白くもなんともないだろうけど」
「そんなこと、全然無いです! お姉ちゃんが普段はここで勉強してるんだなあって思うと楽しい、よ?」
「……そういうもんかぁ」
何事もはじめのうちは楽しいというか、刺激があるのだろう。俺達がつまらなく感じるのは、何度も繰り返していく中で摩耗して、鈍感になっているからだ。
そういう意味では、小学五年の頃までしか記憶のない彼女から見る世界は、さぞ輝いている筈だ。なのに、浮かない顔で恵さんは呟く。
「……私も、お姉ちゃんと一緒に通いたかったな」
「あー、イサナと仲、いいんだな」
「うん。とっても。でも、少しだけ過保護かなーって思わなくはないけど」
「そこはまあ仕方ないというか……そのうち治まるだろ」
聖が名案とばかりに笑顔をはりつけて、口を開く。
「一緒に学校に行きたいならよ、夜の学校に忍び込むのはどうだ? 名案じゃね?」
「流石にそれはだめだろ」
それから昼休みが終わり、午後の授業になる。
何事もなく、本当に何が起きる事もなく、替え玉出席の時間は過ぎていった。
なんにもないそれで十分だったのだろう。イサナの家まで帰したときに見せてきた楽しそうな笑顔を見れば、やった甲斐はあった気にもさせられる。
「今日は、ありがとうございました!」
どういたしましてと、そう返せば家の中に駆けていく。
「鳩羽くん、お疲れさま」
「あとで聖にも言ってやってくれよ。大活躍だったからな……まあ、その話も、妹さんから聞いておいてくれ」
「そうね」
「……昼にでも、連絡が来ると思ってたよ」
「しても迷惑でしょ。そのくらい、弁えるわ」
「そっか」
すぐに帰るわけでもなく、言葉をやりとりする。なのに、なんだか会話がぎこちない。言いたいことがあるのに、話せずにいるような歯切れの悪さだ。
「恵さん、一緒に通いたかったって言ってたよ」
「……そう。鳩羽くんが、羨ましいわ。私の妹と学校に行けて」
「だからさ、もうすぐ文化祭だし、そんときにでも一緒に行けばいいんじゃないのか?」
イサナは、ゆっくりと顔を上げる。
「聖は夜中に侵入すれば、なんて言ってたけどさ、流石にそれはダメだろ? だったらさ、文化祭でいいだろ。別に、わざわざ顔を隠したりとかしなくてもいいわけだし。まあ、ちょっとは話題になったりするかもしれないけどな。美人姉妹登場、だとか」
「鳩羽くんにしては、いいアイデアじゃない」
「だろ?」
イサナはそれから、自分のスマホを渡してくる。意図を掴めなかった。
「あの動画、消したから。確認して」
あの動画。
何の動画、なんて今更聞くまでもない。
その言葉が示すものは決まっている。俺が万引きをしていた動画のことだ。
全部、動画を撮られたことから始まった。覚えのない動画で脅されて、初めて乗るバイクで連れ回されて、徒労だと知っていながら海をあちこち巡り回って。
終わることはないと思っていた。ひたすらに続くモラトリアム。それがいつしか、イサナとの繋がりと思っていた。
なのに、肝心の妹が見つかった。
動画は消してもらえた。
これで終わり。今度こそ、俺とイサナを繋ぐものは、本当に終わりなのだ。
なんて、素直に割り切れない。
「別に確認しなくてもいいよ。というか、クラウドかなんかで保存されてるかもしれないだろ」
スマホを受け取らずに突き返せば、イサナは目を瞬かせる。
「それとだな……言いたいことがある。この前、お前、連絡しなくて悪いって言ってただろ」
俺は、矢継ぎ早に続ける。
「あのときは別にいいっていったけど、気にしてた。あんだけ一緒に探したのに、見つかったら直ぐに用なしかよ、って」
「……それは」
「いや、別にいい。イサナにはイサナで、色々大変だったんだろ。だけどさ、次に何かあったときは、もっと早く言ってくれよ。そうじゃないと……手伝ってやるのも、手間取ってくるだろ」
この際だ。腹の中に溜めていたものを、色々言ってやった。
結局、俺はイサナと縁を切りたくないのだ。だからこんな風に、未練がましいことまで打ち明けた。
縁が切れて喜べなくなる程度には、俺はイサナのことを知ってしまったのだ。
「そうね。善処するわ」
「……話はそれだけだ。じゃあ、帰るな」
恥ずかしくて、顔が見れない。だけど、イサナの返事は心なし柔らかく聞こえた、気がした。
「上がっていけばいいのに。お菓子も用意してるわよ」
「恵ちゃんが、イサナと話したさそうにしてるから、今日はやめておくよ」
開いたままの玄関を見れば、向こうから顔を覗かせる恵さんと目が合う。そわそわと見ている姿に、悪い気もしてしまう。
そうして帰る、その間際。
「聞けてなかったけど……海で倒れていた見つけてくれたのって、鳩羽くんよね?」
「ああ……そうだけど。別に、気にしなくていいからな。俺が見なくても、他の人が見つけただろうし」
「気にするわよ。お礼、今度するから。期待しておきなさい」
言うだけ言って、イサナは勢いよく扉を閉める。
一方的に言うだけ言う。相変わらずの、水瀬イサナだった。
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