第16話
「鳩羽くん、私の家まで来なさい」
一週間と一日ぶりにイサナが教室に入ってきたとき、ようやく来たかと安心する。していれば、一直線に俺の座席の前に来て、開口一番告げられた。
唐突すぎるのはいつものことで、またかで済ませてしまいそうになる。振り回されることに我ながらなれすぎている。
「……お前ら、もうそこまで進んでたのか……?」
「違う。誤解だ」
イサナと話していれば、後ろから声がかかる。月が変わり、席替えを経ていた結果、俺の左にイサナ、後ろに聖と知り合いで固まっていた。奇妙な偶然だ。余計なことを片方と話していれば、片方にすぐに露見する位置にある。つまり、最悪の立地だった。
イサナは何事もなかったように座り、涼しい顔で窓の向こうを見ている。
何故呼ばれたか、なんてせずとも分かる。イサナの妹のことだ。俺とイサナの間には、その繋がりしかない。
今日の授業は長く感じそうだ。
放課後。イサナについていく。バスに乗車する。降りる。見慣れない場所を歩いて行く道中。
「連絡できなくて、ごめんなさい」
イサナにしては殊勝なことに、謝罪から入って来た。
言ってやりたいことはあった気もする。しかし、イサナの方から謝られてしまえば、俺から返せるものは何もない。
「別にいいよ。忙しかったんだろ」
「いえ、普通に連絡するのを忘れてたわ」
「やっぱ別によくないかもしれねえ」
人の心配をよそに、こいつ……とは勿論思う。思うが、まあ、過ぎたことだし、と大目に見てやろう。
「で、そろそろ確認させて貰っていいか? 見つかったのは、本当にイサナの妹だったんだな?」
「ええ、間違いないわ」
「間違いない……のか?」
「名前も住所も、私と私の妹しか知らない内緒話だって、整合性がとれていた。整形手術のあともなし。ドッペルゲンガーでもなければ、間違いないでしょうね」
「そ、そうか」
信じがたいことだ。けれども、他ならないイサナから断言されてしまえば、信じないわけにはいかないだろう。
本人かどうか、そしてもう一つ、確認して起きたい。
「どういう状態かは……聞いてもいいか?」
「身体は、傷一つついてない健康体。もう退院して、ウチの家にいるわ」
「身体は、っていうからには、なにかあったんだな?」
俺の問いに、イサナは頷く。
「妹は、小五より前の記憶がないみたいなの。まあ、俗に言う記憶喪失、ってことでしょうね」
「……それは」
小学五年生から、今の今までの記憶がない。最低でも五年もの間の欠落は、あまりにも大きすぎる気がした。
「思い出す気配もない。お医者さんも、わからないならそのままにしたほうがいいって言ってた。勿論、ある日突然思い出して……ってことも、あるみたいだけど」
「それが思い出したほうがいいのか、わからないもんな……」
あんな場所であんな風に倒れていて、何事もなかった、というのはまずないだろう。
監禁、みたいな方にに意識が引っ張られてしてまう。少なくとも、忘れてしまっているのなら、いい記憶ではないに違いない。
懸念が胸をよぎると共に、あることに、遅れて気づいた。
「待て、今向かっているのって、イサナの家、なんだよな?」
「そうよ、今日は私の妹と、会って貰いたいの」
「……俺が会っても、別に助けになれることなんてないぞ」
「その話も、この後するわ」
そうこうしているうちに、家に到着してしまったらしい。広い家の敷地に入り、緋色の壁をした、和風な作りの二階建てを前にする。昔ながら、という雰囲気の家構えだ。
イサナは引き戸を開いて、俺を振り返る。
人の家に入るのは、久しぶりだ。それが水瀬イサナの家だなんて、夏休み前の俺に言っても到底信じてもらえないだろう。
若干気後れしながらも、俺も玄関へと歩を進める。
「ただいま」
「おじゃましまー……」
「お姉ちゃん! おかえ……り……」
挨拶を言い切る前に、玄関に入って直ぐの扉から人が現れた。長い髪をふわりと靡かせて、現れたのはイサナと同じ顔をした少女。
自分の頬をつねる。痛かった。
改めて、目の前の光景が夢ではないのだと実感する。
玄関から入って直ぐのリビングに通された。俺の前には、同じ顔が二つある。
見分けるのは簡単だ。片方が制服を着て、もう片方は部屋着代わりであろう、半袖のシャツにショートパンツとラフな服装をしている。
ただ、それ以外にも違う点は多々ある。イサナは我が物顔で堂々としているのに対し、猫背になって上目遣いでこちらをじっと見てきている。警戒している、というよりは、知らない人物を前にして、借りてきた猫のようになっている雰囲気。つまりは、イサナが絶対にしないであろう挙動をしている。
イサナはあくまで淡々と進める。
「じゃあ、一応紹介するわね。こちらは、鳩羽アキノくん」
「……どうも、鳩羽アキノです」
「私のかわいい妹が、水瀬恵」
「初めまして、水瀬恵です! お姉ちゃんがお世話になっています。今日はご足労いただき、ありがとうございます!」
「……お、おお」
丁寧な挨拶だ。つい、感嘆の声が漏れる。何よりイサナと同じ顔でされると、インパクトがすごい。見かけの印象も違うと思っていたが、改めて驚いてしまう。
「……なあ、イサナ……この子、ひょっとしてめちゃくちゃいい子?」
「その通りよ」
「も、もう! 急に変な事言わないでよ!」
「ね?」
イサナは短い言葉で同意を求めてくる。個人的には、イサナと同じ顔で、丁寧に話しかけられると違和感がすさまじいものがある。
いい子、というか比較対象のイサナが大概ろくでもないせいで、ハードルは下がっているのはあった。しかしそれにしても、礼義正しい気がする。
「……えっと、鳩羽さんは、お姉ちゃんとは、どういう仲なの?」
「どういうって」
「私の頼みごとを快く引き受けてくれる人。そうよね、鳩羽くん?」
「語弊を恐れなさ過ぎるだろ」
「つまりお姉ちゃんと仲良しのお友達……ってこと?」
「……もうそれでいいよ、それで」
わざわざ脅されていることを言う必要もない。イサナに適当に合わせておく。
「鳩羽くんに話した通り、妹は記憶喪失なの。だから退院してからは、ウチで過ごしてるわ」
「最近はスマートフォン? に慣れたり、ほかにも家で勉強したりして過ごしてます!」
「勉強してるのは偉いな……ゲームとかはしてるのか?」
「鳩羽くん、妹に不良の遊びを教えないで」
「いつの時代の価値観だよそれは」
「で、本題に移るけど、私のかわいい妹が、高校に行ってみたいらしいの」
「ふーん……別にいいんじゃないか? まあ、確かに難しい所もあるかもしれないけど」
話している中で、どうにも幼いと感じる部分はある。記憶喪失で、見た目と精神が一致していないことへの大変さは、あるかもしれない。でも、別に悪いことはないだろう。
そういった真面目な話だと思ったのだが、イサナの思惑は異なるようで。
「だから私と一日入れ替わって、学校に行かせてみようと思うの。鳩羽くんには、そのフォローをして欲しくて呼んだわ」
「いや……いや、流石にバレるだろ!」
「バレないわよ。ほら、よく見なさいよ。私達の顔、そっくりでしょ?」
「顔以外が全部違うからだよ」
顔つきとか目つきとか背筋とか雰囲気とか口調とか。挙げてしまえばきりがない。
どうしてそんなに自信満々に言えるのか、甚だ疑問な発言だ。
「ほら、お姉ちゃん、やっぱりダメだって……」
いさめるように、妹に言われている。どっちが姉なのだろうか。
「えっと……恵さんは、どう思ってるのかな」
「ごめんなさい、私がお姉ちゃんの話を聞いて、いいなあって言ったら、お姉ちゃんが任せてって言ってきて……私も、無理だとは思ったんだけど」
「我ながら、いい考えだと思ってはいるのだけど」
諦め悪く、イサナは話してくる。どうにも幼いはずの妹の方が常識的らしい。あるいは、妹かわいさにイサナの思考力が鈍っているのかもしれない。勘だけど、その可能性がだいぶ高い気がする。
「というか俺ができることなんて、たかが知れてるだろ。クラスの中心人物ってわけじゃないんだ。捜し物くらい付き合ってやれるけど、できることにも限度がある」
「……そうはいっても、私、頼れる人なんて鳩羽くんしかいないもの」
こう言っても、食い下がるイサナ。どうにも、折れる気はないらしい。
頼れる人、なんてものが俺しかいない。イサナが望んだ孤立とはいえ、今更それが足を引っ張るとは思いもしなかったことだろう。そもそもの話をすれば、妹が帰ってくること自体、望外のことである筈だ。
とはいえ、俺も人のことは言えるはずもない。関わりのある相手なんて、教室の中ではイサナを除けば、あとは――
「……なあ、恵さんのこと、もう一人に話していいか?」
つまるところ、俺だけで無理そうなら、もう一人いればいい。
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