第9話
「なあ、なあ、アキノ。水瀬と最近つるんでるって、マジな話?」
昼休みの時間。昼食の焼きそばパンにかぶりつきながら、聖は俺に聞いて来た。
聖が野次馬面をして、つまりは下世話な関心丸出しの顔をして近づいた時、遂に来たか、とは思った。こうして毎週あっちこっち行っていれば、一緒に居る所を見かける人もいるだろう。
ただ、答えは用意済みだ。
「どこの情報だよ。人違いだよ人違い。もしかしたら、俺が姉さんと一緒に歩いてるのを見間違えたんじゃないか? 背格好が似てないことはないし」
「アキノ、お前姉さん居たのか……美人?」
「普通」
「いやお前の言う普通は信用できねえ。今度写真を見せてくれよ……じゃなくってだな、水瀬の話だよ。信じていいんだな?」
「当然」
「……だよなあ! 俺でさえアキノと一緒に出かけたことないのにな」
「どういう心境だよ……」
納得した様子の聖に一安心。同時に、こんなに簡単に人を信じていいものかと、聖の今後が心配になる。
「というかそもそもな、俺が水瀬さんと付き合いがあると思うか?」
「いやまあ、それもそうなんだけどな。見たって話がちょっとあって、他のヤツにも、聞いて置いてくれって言われたんだよ。や、悪いな」
「別に、問題ない」
一先ず、丸め込むことが出来そうで一安心だ。
水瀬とは別に仲良しこよしの関係ではない。水瀬と仲のいい人間がいるとなると、変に注目が集まる。水瀬に一方的な憧れを抱く人間の仲介もしたくない。
水瀬の妹の話をする気もないともなれば、俺から出せるものは何一つとしてない。やましいことをしている訳でもないが、さりとて吹聴するようなことでもない。
一緒に居ることを知られるのは、百害あって一利なし。
「お疲れさまだな。ま、この通り俺は一切の無実だ」
「ねえ、鳩羽くん」
聖と話していれば、誰かに声をかけられた。
横を見れば、水瀬。よりにもよって、と俺は心の中で頭を抱えていた。
最悪のタイミングで声をかけてきた。何の用だろうか。いや、少なくとも今じゃなくてもいいだろ、と心の中で毒づくが、現実は変わらない。聖も焼きそばパンを咥えたまま固まっている。
いや、まだ取り返しがつく。まだ他人のフリで挽回できる。
「水瀬さん、な、何か用かな?」
目で訴えかける。他人の振りをしてくれと、必死で訴えかける。
水瀬は言った。
「私のことは名前で呼びなさいと言ったはずだけど」
俺は頭を抱えた。
どうやら水瀬イサナは超能力者ではないらしい。
「水瀬、お前の思考回路を知りたい」
昼休みの中庭は、始めて来たが意外と空いていた。
「そういう風に告白をされたのは初めてよ。ごめんなさい、その気持ちには応えられないわ」
「告白じゃねえよ。そして振るな」
水瀬イサナという人間の注目度から考えて、教室では既に広まっているに違いない。
こうなった以上、もう諦めるしかないのだが、それはそれ。毒づきたい気持ちは仕方ない。
「というか、考えなかったのかよ。これまで学校でつるんでなかったのに、いきなり話してるのを見られたら……俺もお前も、なんかこう、変に思われるだろ」
「イサナ」
「……イサナさん」
「よろしい」
イサナは足を組んで、納得したように頷く。いや、頷かれても。
「とにかく、もっと自分が注目されていることを自覚してくれると嬉しいんだけど……」
「他の人なんて、どうでもいいじゃない」
お前はそうだろうけども、と思わないでもない。堂々としている姿に憧れてはいたが、巻き込まれるとこうも困るものか。
「それに……イサナはさ、違うだろ」
違う、という抽象的な言葉に、イサナは不可思議なものを見る目を向けてくる。まっすぐに。虚偽なんて許されなさそうな瞳だった。
なんて言えばいいのだろうかと、自分の内側から、言葉をひねり出す。こんなときに限ってイサナは律儀に待っているから、頭に浮かぶままに話す。
「……学校で一人をものともしない。周りになんて言われようとも顔色一つ変えない女。水瀬イサナは、そういうやつだろ?」
「ふうん、鳩羽くんは私のこと、そういう風に思ってたんだ」
「……あくまで、そういうイメージを持たれてるって話だよ」
咎めるみたいな言葉に、言い訳のように返してしまう。でも、俺だって少し前まではそう思っていたのだ。完全には否定できない。
「そういうやつ、なんて思われていたままの方が、楽だろ。なのに俺を巻き込んで、なんだ、嫌がらせか?」
わざわざ声をかけてきたのだ。よっぽどの理由があってしかるべき。そう思って毒づいてしまったが、
「別に、話しかけたっていいじゃない。私は私のしたいようにするの」
「いやまあ……うん、もういいよ」
覆水盆に返らず。もう手遅れなのだ。諦めて折れるしかない。
「というか、イサナって見た目ほど取っつき辛い方じゃないんだよな」
「……急に何よ」
「いや、なんつーか……お前、クラスのやつらともっと仲良くできるだろ……悪いやつではないんだし」
行ってから、俺のことを脅しているけど、とは思った。が、それはそれ、これはこれ。
人の話を意外と聞いてくれる。服もまあ、必要経費として出してくれた。妹捜しの最中は、気を遣ってか自分から会話もしてくれる。
人付き合いが下手、というのも異なる気がする。今回のこともそうだ。真面目にやる気がない、とも言うべき挙動。
そうした想定は、あながち間違いではなかったらしい。
「私には、別に楽しむ権利がないから」
「……権利? なんだそれ」
「妹がどうなっているのかも知らないで、私だけが楽しんでいていいはずがない。少なくとも、私はそう思って行動してるつもり」
水瀬イサナは、そう吐露する。
生きている自分が幸せになっていいのか。これはそういう個人的な問いだ。赤の他人が、勝手に正しい答えを類推しても、いいことではない。
出してもいいのは、前提くらいだ。
「んなこと言っても……もし妹が帰ってきたときに、姉が不機嫌そうな仏頂面してクラスで孤立してるのも、それはそれで嫌じゃないか?」
「それは……」
「いやまあ、俺は別に、やりたいようにやればいいと思うけどさ」
俺は人のことを好き勝手言える立場ではない。だから結局、個人の自由という、口当たりのいい言葉で誤魔化してしまう。
「補足するなら、俺に迷惑がかからない範囲で好きに生きてくれよ」
「……それは無理ね。鳩羽くんには、迷惑をかけると決めているから」
「なにそのそのすっげえ嫌な宣言」
「冗談よ」
イサナはほんの少しの笑みを浮かべて返してくる。冗談かどうかは、本人しか分からない。
でも、さっきよりは幾分、マシな顔をしている気がした。
「で、本題はなんだ? 早くしないと休み時間、終わっちまうぞ」
「……ええ、そうね。今日は作戦会議をするために呼んだの」
「作戦会議?」
そういって、スマホの画面を俺に見せてくる。
ところで、ここは中庭にあるベンチだ。そんな場所で見せるからには、肩と肩が当たる距離になってしまう。警戒心がないのか、肩が触れそうな距離まで詰められている。
なんだかよく分からない、甘い香りがする。悪いことをしている気分になって、少し距離を取る。
「ちょっと、なんで引いてるの。ちゃんと見ないとわからないでしょ」
「いや……いやうん、ごめん」
「変な鳩羽くんね」
呆れたように言ってから、水瀬は距離を詰めてくる。やはり無防備すぎるんじゃないだろうか、こいつ。
いや、そもそも、知り合ったばかりの男女が、ひと気のない海の入り江に行くのもいかがなものかと思う。これがろくでもない男だったら、万一のことだって考えられるだろう。
水瀬が誰かと付き合ってうるというのを聞いたことがない。自罰的な発言や、距離の近さを踏まえると、ある考えに思い至る。
「イサナって、もしかして彼氏とかいたことない?」
「え? ……ああ、ごめんなさい。私、鳩羽くんの気持ちには応えられないわ」
「だから人を勝手に振るな、勝手に」
「冗談よ」
「……お前のボケは分かりにくい」
「前向きに努力するわ」
「ちょっとは後ろも振り返ってくれ」
「その件についても前向きに検討するわ」
「その言い方、もしかして気に入ってる?」
「ちょっとだけ……それで、次はここに行こうと思うの。どう?」
「どうとは」
突然尋ねられても困る……と思ったが、地図に移る地形とその名前には見覚えがあった。
「……ちょっと待ってくれ。たしかこの道なら近道できると思う」
先日行った海岸の南側。この前と同じように岩場もあるけれど、随分と落ち着いた平らな場所のはずだ。そして、向かう道は一つだけではない。外側から向かう場合と、丘の上から降りる場合。バイクで行くのだから、そちらのほうが先端まで迎えていいかもしれない。
「やっぱり、けっこう詳しいのね」
「まあ……この辺ならそりゃ、昔に駆け回った場所だし」
昔は街中を歩き回っていた。この街全てが自分のもの、みたいな感覚で生きていた。
勿論そんな認識は幻想で、今は少しだってそんな気持ちにもなれやしない。いくら歩こうとも、入れない場所がある。この年になって、みたいな心理的なハードルだってある。ディスプレイの中のオープンワールドゲームの方が、自由度はよっぽど高い。
大人になる、というのがこういうことなら、随分とつまらない。それとも、働けばまた新しいステージが開けるのだろうか。
今の俺は、どっちつかずだ。どっちつかずの中では、推測しか出来ない。自分たちの延長線上が、果たしていいものなのか、悪いものなのか。
とりあえず、いまは目先のことを考える。
「またバイクで行く予定だよな?」
「そのつもりだけど……別の方法がいいなら、それでもいいわよ」
「いや、バイクで大丈夫だ。丘を登ってから進むから徒歩も自転車もキツいし、バスもこの辺には通ってないはずだから」
「そう、なら、その道で行くわ」
思ったよりも、すんなりと素直に提案が受け入れられる。
やはりイサナはこういうところがある。周りを拒絶しているようでいて、無防備で、無警戒。
こいつは俺のことをどう思ってるんだろうか。
あるいは、自分のことをどう思っているのか。
昼休みの終わり間際を告げる予鈴が鳴る。音を聞けば、水瀬は用事は終わったとばかりに立ち上がる。
「それじゃあ次もよろしくね、鳩羽くん」
言うことは言ったと駆け足で去る。俺と並んで戻るわけではない。別段、仲良しこよしでというわけでもないわけで。
とりあえず、聖になんて言って誤魔化そうか。授業開始ギリギリに教室に戻って、それから授業中に考えるとしよう。
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