第8話

 結局、平日中に水瀬に呼び出される事はなかった。

 脅されている身の上だ、いつでも構わず呼び出されることも在ると思っていたから、拍子抜けではあった。水瀬にも、何か用事や考えでもあるのだろうか。

 再び呼び出されたのは次の土曜だった。一週間前と同じく、前日の金曜に連絡が来た。

 バイクに乗せられて向かった場所は、打って変わって一面の岩場だ。荒崎海岸。その名の通りというべきか、砂場よりも荒々しく尖った岩場が多い。

「というか、けっこうキツい地形だよな……」

 波の浸食を受けた岩場が、牙のように鋭く点在している。まだ身体の軽い子供の頃なら、軽々と進むことができたかもしれない。しかし恐る恐る行くしかない。

 一方で、水瀬はこの間と打って変わって、俺の前をどんどんと進んでいっていた。

「……気をつけろよ。そういうとこ、滑ると結構危ないんだからな」

「私が転んだら、また受け止めてよ」

「いや何でだよ」

「脅されているんでしょう? だったらカーペットになるのも変わらないじゃない」

「発想がろくでもない女なこいつ……」

「魔性の女と言ってもいいわ」

「……その自信はどこから来てるのか、聞いてもてもいいか? それとも顔か? 顔なのか?」

「もちろん。なんだって、私の妹と同じなんだから」

 それは理屈になっているのか? なっているのだろう。水瀬にとってはそれで筋が通っているのだ。胸を張って宣言されてしまえば、本人を見ない限りは迷宮入りになる。

 周りに人はいない。波の音がざばーん、ざばーん、と響いている。あとは鳥の鳴き声くらい。

 今日は夏の日差しが少し帰ってきているけれど、突き出るようにある岩場の影にいれば、風もあって涼しいものだ。

「なあ、今日はどこまで探すんだ? まさか、また何も考えてないって訳じゃないだろ。流石に海辺を隅々まで回るのはキツいっていうか、日が暮れる」

「……とりあえず行けるとこまで行こうとは思っていたけど、それ以外は考えてなかったわ」

「マジかよ」

 薄々気づいていたけれど、想像以上に行き当たりばったりだ、コイツ。ミステリアスなのは、やっぱり顔だけなのかもしれない。

「何か失礼なこと思ってない?」

「気のせいです。頑張って探しましょう」

「……? 変な鳩羽くんね」

 地図アプリで現在地を確認する。やはり、広い。

「二手に分かれるか? そっちの方が効率的だし」

「いえ、一緒に探しましょう。うっかり鳩羽くんが死にそうになったとき、側にいないと助けられないでしょうし」

「俺のことをなんだと思ってるんだよ……まあ、でも、確かにそうだな」

 実際、うっかり怪我でもしそうな地形であることは間違いない。

 眼前に広がるのは、果てしない岩礁地帯。奥に進めば進むほど、つまりは地形の先端へと近づくほどに波が打ち付けてくる。岩の合間に勢いよく波が流れ込むのは、なかなかの迫力だ。

 胸のあたりほど高い岩場が、辺り一面にざらにある。背丈よりも高い場所もある。移動する過程で、足を滑らせて落ちることも考えられる。

 岩場の間にいれば、隣がどうなっているのか見えない。こんなひと気のない場所で、足でも挫いたら身動きが取れなくなるかもしれない。万が一のことを考えれば、水瀬の言うとおりに二人で行動するのが賢明だ。

 意見は一致。二人で、岩場を歩き続ける。

「こういう場所で、なにか気を付けた方がいいことってあるの?」

「あー、まあ、さっきも言ったように岩場で転んだら怪我するから気を付けるように。それ以外だと……フジツボとかウニとか、うっかり触ったり踏んだりしたら危ないから気を付けた方がいい、と思う。そのぐらいかな」

 ここにも、朧気ながら昔来た記憶がある。ただ、子供の頃には、身軽さだけで登って行けた。大きくなってしまったいまは、意識して身体を使う必要がある。よじ登ることも、降りることさえ気を遣う。運動不足が全身に祟っているから、明日は筋肉痛だな、と密かに諦念。

 水瀬は身軽に先へと進む。俺の助言を聞いているのかいないのか。水瀬にあわせて進むのも一苦労だ。安全のために、一緒に行動すると言ったのを覚えているのかさえ、怪しく感じる速度でどんどん先へと向かっていく。

「……まあ、わからないでもないけどな」

 水瀬が既に通り過ぎた道を歩く。正面にも、振り返っても岩場の死角だらけだ。隠れている場所に、何かがあるのかもしれない、なんて思わせる風景だ。水瀬が駆ける気持ちも、理解できた。

 俺は、水瀬が見ていない水辺の方へと歩を進める。といっても、濡れたいわけでもないから、波の強いところにまでは入らない。海を遠目で覗き見る。

 透き通った海がある。綺麗なものだ。汚いものなんてどこにも見当たらない。もっとも人の目には見えていないだけで、顕微鏡越しに見ればプランクトンの死骸やらなにやらで、目に当てられないのだろうけど。

 こんな場所に死体が来ることはあるのだろうか。

 あったとして、どんな姿で発見されるのだろうか。




「……なんでこんな探しにくい形をしてるのよ」

 足を止めた水瀬に追いつけば、不満げにぼやかれた。流石に疲れもするらしい。

「自然の力だな」

 不満そうに睨まれてしまう。お気に召さないらしいので、補足する。

「ここも、昔は深海にあったんだ。火山灰とか、砂とか泥とかが堆積して、そんで海の外に出た。そんでもって、場所によって硬さだとかが違うから、こんな風に抉れた形になってるんだとさ」

「……よく知ってるわね」

「授業かなんかで聞いた。でも、無駄知識だろ」

「少なくとも、よくわかんない者に対しての理不尽への怒りじゃなくなったから、そこは貢献してるわよ。ありがと」

「それならよかった」

 意味があるんだかないんだか、適当に会話を続けている。俺も疲れていた。

「鳩羽くんは水死体って、どのあたりで発見されると思う?」

 雑談にしては、あまりにも重すぎる。こと水瀬が出した話題としては、特にだ。

 聞き間違いかと思い水瀬を見るが、当たり前のような顔をして繰り返す。

「ねえ。どこに流れ着くと思う?」

「いや、別に聞こえなかったわけじゃないからな……流れ着く、って限定してるなら、そりゃあ陸だろ。そうでもないなら、海の底か。魚の腹の中か?」

「もっと面白いことを言いなさい」

「いや無茶振り」

「相模湾は、プランクトンが多いの」

 何の話が始まった、と黙っていれば、水瀬は続ける。

「だから頻繁に赤潮が出る。死体が流れていたら、一週間も経たずに分解されて骨になるのよ。つまりこのあたりは、死体を捨てるのにうってつけってこと」

「……それは恐ろしい話だな」

「ほら、私が話したんだから、今度はあなたの番よ」

「いや、この話、続けるのかよ」

「小粋な海トークをお願いね」

 どういう情緒なのか、到底理解しがたい。というか、水瀬は結局、どこに流れ着くかは話していないのは、卑怯じゃないだろうか。

「別に愉快じゃなくても、起こらないでくれよ? ……漁師の人たちは、水死体のことをえびすって言うこともあるんだ」

「えびすって……あの、福の神の?」

「そうだよ。たぶん、死体が水でふくれてるからだろうな。えびすと死体、どっちが先かまでは、知らないけど。そんで、漁師の間では昔から、えびすを見つけると、幸せになるって言われてる。だからまあ、別の世界で神様にでもなってるんだろ」

 どこかで聞いた気がする、うろ覚えの知識で答える。

「昔は、海の向こうは死後の世界とか言われてた、って聞いたことがある。もしかしたら、そこに妹さんはいるのかもな」

 記憶の出所は分からない。動画で見たわけでもない。覚えていないくらい昔に話を聞いたのだろう。それはもしかしたら、俺のなくした記憶にあるのかもしれない。

「鳩羽くんって、けっこうロマンチストなんだ」

「……忘れてくれ」

「忘れてあげない。福の神よりは、少なくとも夢のある話だから」

 水瀬は海の方を眺める。俺も、同じ方へと目を向けた。

 水平線の向こうを見ていれば、何かがあるんじゃないかと思ってしまう。丘の曲がり角だってそうだ。隠されたその先に、何かを期待してしまう。

 勿論、そんな期待が、日が沈んでいく光景が見せる幻だと、いまの俺たちは知っている。

 昔ならいざ知らず、いまは海岸線の向こうには別の地平が待っていることを知っている。事実に吹き飛ばされて、残されているのは夢も希望もない世界だ。

 それでも、もしかしてという祈りが心を動かすのだ。だから水瀬も、こうして捜しているのだろう。

「今度から、イサナと呼びなさい」

「え? ……え、なんで?」

 水瀬の唐突な発言に、狼狽しながらも問う。

「妹が戻ってきたときに、苗字呼びだと、ややこしいでしょう?」

「いやまあ、それは確かにそうだけど」

 俺達は、妹がいることを前提にしている。その通りではあるのだが、ここで一つ問題がある。

 問題というのは水瀬にではなく、俺に、だ。

 俺は、友達が少ない。教室で話す相手も、聖くらい。当然、女子の友人も皆無といっていい。

 小学生の頃は、男女の関係のない時期もあった。しかし、中学に上がってからはそうも立ち行かない。転校して、誰も知らない地に放り込まれたから、というのもあるだろう。

 つまりは、気恥ずかしい。それが、いくら邪知暴虐の脅迫者である水瀬相手であっても変わらない。俺は女子の名前を呼ぶのが、心底苦手だと胸を張って言える。俺だって、思春期真っ盛りの男子高校生なのだ。

「……わかった、悪かった。これからはそう呼ぶから、許してくれ」

 結局のところ先延ばしだ。俺はいつもそうだ。進む時間だけが解決してくれると思っている。

「そう、ならいいわ」

 水瀬は、不出来な俺の弁解に付き合ってくれた。

 代わりに一言。

「あーあ、不幸せになりたい」

「……そうだな」

 水死体なんて、見つからない方がいい。

 幸せよりも不幸せの方がいい。少なくとも、生きている俺達は不幸せのほうがいい。

 幸せの実感なんて、失ってから気づくものでしかない。

 この日も収穫はなかった。

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