第7話

 水瀬のバイクで家の近くまで送ってもらう。直接家まで行くと、姉さんと鉢合わせるかもしれない。万が一見られた場合、なんと言えばいいのか分からないので、そこはもう先送りする。

 特別やましいことをしている訳ではない。いや、そもそも万引きで脅されているから、やましいことではあるのか。

 バイクから降りる。足が車体に当たって傷がついたりしないよう、慎重に。家に着く頃には、時刻は十七時だった。

「また来週もよろしくね」

「……おう」

 僅かなやりとりをして、水瀬は帰っていく。アパートの自宅の窓には、電気がついている野が見えた。入れば案の定、姉さんがいた。

「今日は休みなのに遅かったじゃん! もしかして……仲のいい友達でもできちゃった?」

「…………まあ、そんなところ」

 あくまで、適当に返す。適当に返したはずなのに、姉さんは予想外に食いついてきた。

「やった! ねえねえ、今度私にも紹介してよ?」

「いや、なんでだよ」

「そりゃあもう、私の大事な弟がお世話になってますって言わないと。あ、別に彼氏が欲しいからって、若い芽を摘もうという気はないので、そこはご安心を」

 頭が痛くなる発言だ。それに一緒に行動していたのは、男ではないのだ。女だと聞いたら、余計にうるさくなりそうだから、黙っておく。

「……姉さんは俺のなんなんだよ」

「そりゃあもう、私はかわいい弟の姉で、保護者代わりよ」

 保護者代わり。

 姉さんは両親が死んでから、そうなろうとしている。

 手を洗う。線香をあげる。姉さんが作ったさほど美味しくはない飯を食べる。

「それでさ、アキはどこに受験するか決めた?」

 ただでさえ美味しくない料理が、更に味を落とした。

 空腹は最高のスパイスだ。一方、ない将来の展望は、最悪のスパイスだ。

「……前にも言わなかったっけ。受験はする気はないって。俺、受験はしないで就職するから」

 回答は、前にしたときと変わらない。

「お金のことなら、心配しなくていいんだって言ってるでしょ。お母さんたちが残してくれたお金もあるんだから。ほら、アキは昔から勉強できるんだし」

 俺の回答に対しての、姉さんの返答も変わらない。

「本当に就職して、働いて、それがやりたいことならいいよ。でも、本当にアキのやりたいことなの?」

 その回答も変わらない。やりたいことなんて、一つもない。

 ただ、そんなことを言えば、余計に火に油を注ぐだけだ。話を逸らす。

「姉さんは行かなかっただろ」

「私はいいの。お姉ちゃんだから」

 この話は、結局はいつも平行線になる。ある日突然思考が変わることもない。

「とにかく、大学には行って貰うから。それが私の責任だから」

 姉さんのいうことも、その意図も正しく理解しているつもりだ。いなくなった両親に代わって、俺の面倒を見ようとしていることも。

 ただ、俺も生きたいこともやりたいこともないのも、事実なのだ。

 目標がないまま、大学に進学する人間が多いことは知っている。それは条件が揃っている、恵まれた人間だからだ。あるいは、今よりよくありたいという強い気持ちを持つ人間に他ならない。

 俺はそのどちらでもない。両親の遺産と、姉さんの庇護下で生きているだけ。

 俺なんかの面倒をみることで、姉さんの人生を食い潰すことに受け入れがたい。そんなことを打ち明けても、姉さんは負担には思っていない、とか言うだろう。

 分かりきっていることだ。だから、打ち明けることに意味がない。

「ごちそうさま。風呂入るから」

「あ! アキ! こら! 逃げんな!」

 駆け足にその場から逃げて、湯舟に逃げる。姉さんといえども、風呂場まで追ってくることもない。

 いまは何も考えたくなかった。なのに、静かにしていれば余計なことを考えてしまう。考えてもどうにもならないことを考える必要はない。考えたくないのであれば、他に何かすればいい。けれども、時間を忘れられるほどのやりたいこともない。

 風呂から上がり、布団の中で眠りに就くまでスマホで適当に流れる動画を流す。もうクリアしたゲームをプレイする。そうすることで、思考のリソースを削っていく。

 脳が疲弊して眠りにつく直前、昼間のことを思い出した。

 死んだ妹を捜す水瀬。無意味以外の何物でもない。ただ、意味の有無の話をするのならば、死ねば何も意味が残らないのだから全てが無意味だ。

 海に近づくのを躊躇う水瀬。無意味なことを無意味だと分かっていながらする水瀬。

 いくら知っても、水瀬は俺とは真逆だ。

 それが少しだけ嬉しい。




 水瀬に脅されてからも、教室で変わったことはなかった。

 もし俺が水瀬と一緒に出かけていた、だなんて知られたら、聖のやつが喜々として話に来るのはまず間違いない。来ていないということは、つまりはクラスにその話が行き渡っていないということだ。幸いにも、誰にも見られずに済んでいるらしい。その事実に安堵する。

 水瀬は教室では話しかけてくることはない。それが必要のないことだからだろう。

 教室にいる水瀬は、俺の思う水瀬のままだ。

 教室の花でいる水瀬の姿からは、彼女の語る背景は見えることはない。妹を亡くしたことも、その彼女を探していることも。あるいは、俺を脅していることさえ、普段の彼女からは見て取ることもできない。

 知ってしまった俺だけが、少しだけ、変えられた気がした。

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