第5話 巨人VSアレン

 町は大パニックに陥っていた。


 悲鳴を上げて、逃げ出そうとする者。

 腰を抜かしたまま、立ち上がれない者。

 家財道具を荷車に積み込み始める者。


「今からそんなことをしても間に合わないぞ! 逃げるんだ」


 必死に荷車と格闘している家族に、俺はそう叫ぶ。


 だが、全力で逃げたとしても、果たしてどれだけの住人がのがれることができるだろうか。


 俺とエリーヌは避難誘導をしつつ、人々の流れと反対方向へ走ってゆく。

 すなわち、巨人の来る北側へ向かって。


 次第に路地が狭くなり、左右に並ぶ家々もみすぼらしい外観に変化してゆく。

 スラム街に入ったのだ。


 この先に門があり、巨人の出現した森へと続く小道が伸びている。

 すでに森は存在しないが……。


 門の前に誰かが立っていた。


 老人とその孫と思しき少女だ。


「あなたたちも逃げなさいっ!」


 エリーヌが叫んだが、老人は首をふった。

 諦めたような眼差しを門の外へ向ける。

 

 彼の視線を追った俺は、思わずぎょっとした。

 巨人がもう町まで半分の地点に迫っていたからだ。


「……攻撃スキル持ちたちは?」

「みな逃げましたよ」


 思わず舌打ちしそうになる。

 いざという時に身を挺して町を守るという約束があるから、特権階級的身分を許されているというのに……。


 ふいに、すぐ傍らでつむじ風が巻き起こった。


 エリーヌが弾丸のように門から飛び出したのだ。


 彼女は北西目指して、全力で駆けてゆく。

 すごいスピードだ。

 俺も追いかけているが、距離が開く一方である。

 

 上位スキルの保有者は基本ステータスもそれに見合ったものなのだ。


 ほどなく、彼女は巨人の真横に到達した。


「こっちを向きなさいっ!」


 そう怒鳴るが、もちろん遥か頭上に存在する敵の耳には届いていないだろう。

 というか、足元のエリーヌに気付いてさえいなさそうだ。


 直進を続ける巨人。

 もう町まであと200メートルぐらいに迫っている。


 エリーヌが意を決した顔になった。

 腰に佩いていた直剣を抜くと、叫ぶ。


「火炎剣!」


 宙に数メートルも飛び上がり、巨人の左足のかかと辺りを切りつけた。


 地に降り立つと、素早くバックステップして、再度叫ぶ。


「氷雪剣!」


 またしても同じところを切りつける彼女。


「雷光剣!」


 三度みたび切りつけた時、初めて変化が起こった。


 それまでどんな攻撃もはじき返してきた巨人の皮膚から、血が噴き出たのだ。


 ギガンテスの足が止まった。


「………………」


 巨大な目が下を向き、自らのかかとを視界に収める。

 エリーヌの与えた刀傷は2メートル近くに及んだが、奴からすれば蟻に噛まれた程度のダメージだろう。


 だが、人間でも蟻に噛まれれば痛いことは痛い。


 そして、それはギガンテスも同じようだった。


 巨人の顔に初めて怒りの表情が浮かんだ。

 金色の目を歪め、口を大きく開く。


「ボオオオオオオオオオオオォォォォォォーッ!」


 咆哮が轟いた。

 叫び声は空気を震わせ、汽笛のように尾を引いて町の煉瓦をいくつも吹き飛ばした。


 さしものエリーヌも奴の眼前で立ち竦む。


 どん、と巨人が足踏みした。


 エリーヌの足元の地面がめくれ上がり、そのまま彼女を直撃する。


「ぐふうっ!」


 俺はようやくあと十数メートルのところまでエリーヌに迫っていたが、彼女の体は俺の頭上を越えて、2、3メートル後方に落下した。


 慌てて駆け寄る。


「大丈夫か!?」

「な、なんとかね…………ウッ!」


 返事があってホッとするが、ダメージは深刻そうだ。

 闘いの継続どころか、立ち上がることさえ不可能そうである。


「……げて」


 唇をわななかせて、必死になにかを伝えようとする彼女。


「どうした!?」

「アレン君…………逃げて……私を置いて………………」

「バカを言うな! 一緒に逃げるぞ」

「…………無理だよ……アレン君だけでも……お願い……」


 こちらを切実な目で見上げるエリーヌを見つめ返す。


「………………」

 

 俺は彼女を地に横たえ、立ち上がった。

 巨人に向き直る。


 ギガンテスは、まだその場に立ち尽くしていた。

 こちらを見下ろす金色の瞳には、なんの感慨も浮かんでいないように見える。

 俺たち二人のことなど、虫けら以下にしか感じないのだろう。


 実際、俺の力など、こいつの前では無きに等しい。


 ――だが、それでも俺は逃げない

 

 小さい頃から一緒だった幼なじみを見捨てるぐらいなら、無駄死にする方が遥かにマシだ。

 来い!


 ギガンテスがゆっくりこん棒を振り上げた。


 巨大な武器に日光が遮られ、俺とエリーヌのいる場所が日陰になる。


 俺はふと、自分が左手になにかを持っていることに気付いた。


 鍋の蓋だ。

 今まで気づかなかったが、家を飛び出した時からずっと抱えていたらしい。


 こんな時だが、ちょっと笑いそうになった。


 こん棒が振り下ろされる。


 俺はエリーヌを背後にかばうように前に踏み出した。

 そうしたところで、俺が潰された一瞬後には彼女も同じ運命を辿るだろうが、そうせずにはいられなかったのだ。


 分厚い木の表面が視界を覆い尽くす。

 まるで壁が迫ってくるようだ。


 さすがに恐ろしくなってくるが、もう回避不能である。


 こん棒が当たる寸前、俺は半ば反射的に左手で頭上を振り払う仕草をした。


 

 ドン!

   

 

 凄まじい音が響き渡った。


 眼前に迫っていたギガンテスのこん棒がうなりをあげて横に流れる。

 幅10メートルに及ぶ物体が至近距離で高速移動したため、ものすごい突風が巻き起こった。


 全身に風圧を受けた俺は、踏ん張り切れずに吹き飛ばされる。

 小石を盛大に蹴飛ばしつつ、数メートルも地を転がった。


 慌てて顔を上げると、弾かれた巨人の武器がそのまま左手にあった小高い丘を吹き飛ばすのが見えた。


 巨人は半身を仰け反らせ、大きく体勢を崩している。


 俺にも、おそらく巨人にもなにが起こったのかわからなかっただろう。


「……………」

 

 ――まさか……


 ふと、俺の蹴り飛ばした小石がコロコロと転がってゆくのが映った。

 ゆるやかな下り坂になっていたため、小石の一つは巨人の足元にまで到達する。


 コンと軽い音を立て、石が巨大な足の指に触れた。

 瞬間――


 

 バァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァン!!!!!


 

 巨人の全身がはじけた。


 細切れになった肉片が四方に飛び散り、町の建築物になにかが大量に降りかかる。

 まるで、特大の霧吹きで赤いペンキを吹きかけたように、建物の北側だけが血の赤に染まった。

 

 ヒュウウウゥーッーー


 尻餅をついたまま呆然としている俺の耳に、遥か頭上から風切り音が聞こえてきた。


 金色の丸い物体が空から落ちてくる。

 それは町外れの尖塔のてっぺんに落ち、深々と突き刺さった。


 巨人の目だった。


 時が止まったような静寂が降りた。


 町の住人たちはあんぐり口を開き、奇怪なオブジェと化した金色の単眼を眺めている。


「勝った………………のか?」


 俺はぽつりと呟いた。


 まるでそれが合図になったように、町の方から歓声が響いてきた。

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