第07話 おっさんとちゃんこ鍋(前編)
「はぁ、疲れた……」
魔術で構築した黒い翼を広げ、宵闇を切り裂く。
ここずっと習慣と化していた夜空の散歩だけど、今日はしばらくぶり。
連日の激務で全身に疲労感がのしかかっているけど、ようやくシンの料理が食べられると思うと楽しみでしかたがない。
逸る気持ちそのままに、いつもより早いスピードで往路を急いだ。
「シン、来たぞ。冷えたエールと鶏の唐揚げ! あとオススメを」
「オウカさん!」
驚きから喜びを映し、そして微笑みに変わるシンの顔。私も自然と頬が緩む。
しかし席に着くと一転、シンは心配げな表情を向けてきた。
「元気……というより疲れてそうだな。大丈夫なのか?」
「ごめん、心配かけてるよね。状況は知ってる?」
「ああ」
季節が移ろい暖かくなったこの頃、ニグラス魔帝国と人類連合の間で大規模な戦いが繰り広げられていた。
発端は腹黒聖女とバカ勇者。
とある地域の小競り合いにて、勇者一行が突如戦場に乱入。
両軍消耗したことから戦を切り上げようとしていたところ、なにやら理由をでっち上げて一行は魔族軍へと襲いかかり、それを殲滅した。
正規兵はもちろん逃げ惑う農兵の背中を撃ち、さらに砦を占拠するとそこにいた非戦闘員までも惨殺し尽くす……
その地名をとって『エルデーイの惨劇』と呼び、ニグラス魔帝国は人類連合を厳しく非難。
人類連合は謝罪を申し入れるかに思えたが、教会勢力が先んじて声明を発表。
“悪神を奉じる魔猿どもの下品な
「教皇の言葉とされてるけど、調査ではあのクソ聖女によるものみたいね。教皇もあんなガキに手玉取られるなんてボケてんじゃないの? ほんとにさ!」
エールをひと飲みし、吐息と共にグチを言い放つ。
「確かにあの声明は酷いな。あれをきっかけに教会を見限った貴族勢力も多いらしいぞ」
「らしいわね。戦争しつつも教会派と王権派に別れて、国内はしっちゃかめっちゃかみたいね」
「結局、人類連合内でも争って……前にオウカさんが言ってたとおり、人間は救いようがないな」
あの魔王城での語らいの時の話だ。
結果戦う意思を失ったシンは聖剣を呼べなくなり、勇者を引退したわけだが。
「シンもだいぶ分かってきたわね。よし、前に言ってた世界の半分、今からでもどう?」
「悪いけどそれはいらない。俺にとっては、このこじんまりした店が丁度いい広ささ」
気負うことなく言い放つ彼に、返す言葉もない。
気持ちは分かる。本当は私も魔王なんて……
「はい、唐揚げ。あと砂肝とピーマンの塩ダレ和えだ」
「やった! しかし、メニュー札が随分と伏せられてるね」
「ああ。食料は国が買い上げてて、市場に出回るものが少ないんだ。それに厳戒令も出てるから、この店もやってないことになってる」
「えっ? 休みだったの?」
「
「あっ、そういえば……」
「それでも入ってくるのはオウカさんとあの人くらいだからな」
なんか失礼なこと言われてる気がする。
あれ? でもこの唐揚げと料理は……
「もしかして、これ私のため用意を? 毎日?」
「連絡取れる訳じゃないからな」
ってことは、私が来なかった日も毎日こうして料理を用意して、待っていてくれたってこと?
「なにそれ……しゅき」
「ん?」
「あははは、なんでもなーい! それより今日は休みなんでしょ? はい、ここ!」
私は隣の席の座面をパンパンと叩く。
シンは少し呆れたような顔をしたけど、料理をいくつか仕上げると、ビールを片手に座ってくれた。
「乾杯!」
「ああ、乾杯」
ジョッキを両手で抱えながら、ビールを片手で煽るシンの横顔を眺める。
震える喉仏。
半分飲み干すと私の視線に気づいたかこちらを向いて微笑むから、私はなんだか恥ずかしくなって、まだ温かい唐揚げを口に放った。
◇ ◇ ◇
たわいもない話をして、厨房に入れてもらって、料理をするシンの筋張った手を間近で眺めたり、エールを注がせてもらったり、“もっきり” をこぼしたり、あーんしてもらったり……
ここ最近頭を悩ませ続けている戦争のこともこの時ばかりは忘れ、ふたりで楽しく過ごした。
あー、なんだか久しぶりに酔いが回ったなぁ。
「ねぇ、シン?」
「ん?」
カウンター、隣に座る彼の肩に頭を預ける。
「シンは今幸せ?」
「ああ。オウカさんのおかげでな」
「ふふふ、私も。今日くらい、いいよね」
「……ああ。今日と言わず、ここに来たときはいつでも幸せでいていいぞ」
「うん……じゃあさ…………ずっといようかな」
「……」
……返事がない。
そっか、そうだよね。
シンは私のことをわかっているから。
私はニグラス魔帝国の王として魔族のトップに立ち、力を示し、国を動かす。そして民を脅かす人類連合と戦い、勇者を討ち、人々を導かなければならない。
今の言葉は、そんな私が守るべきものを全部、無責任に投げ捨てようと言っているようなもの。そんなの誰も許しちゃくれないし、なにより私自身が許さない。
きっとそれをわかっているから、彼はなにも言えない。
「ごめん、変なこと言った! あー、ちょっと酔いすぎたかも。ごめん、夜風に当たってくるね」
「まっ、待って」
なぜか涙が浮かんでくる。
なんでなの。別に悲しくもないのに……
そうして引き戸に手をかけたとき、ガラッと戸が勝手に開いた。
「
「おっさん……」
「シン、貴様という奴は! 見損なったぞ!」
「待って、シンは悪くないの。ほら、私だって別になんともないから」
「む、しかし」
「いいから座って。ほらシン、いつもの出す!」
「あ、ああ」
シンも心配げな顔をするけど、大丈夫だと身振りで伝える。
訝しむおっさんを無理やり席につかせ、シンから受け取ったニホン酒を注げば、とたん嬉しそうな笑顔を見せた。
「うーーーたまらん! もう毎日これが恋しくてのぅ。仕事はあったが放り出して、こっそり抜け出て来たわい」
「だから今日はお付のお兄さんいないんだ」
「バレたら叱られるだろうがな」
ニヤリと笑うおっさん。私も似たような立場だから、ひとごとじゃないけど。
「オウカさんも今日は久しぶりなんですよ」
「ほう! 毎日いると豪語しておったオウカ嬢がな……
「まぁね。おっさんとこはどんな感じなの?」
「ふむ……幸い今は膠着状態じゃからな。嵐の前の静けさと言うべきだろうが、こんな時でなければ時間も作れぬからな」
「それもどっかの腹黒聖女とアホ王太子とガラの悪い勇者のせいだけどね」
あれ、どこからかビキビキッと音がするんだけど。
「内々の話なのだが……目付け役にしていた王太子は
据わった目で語るおっさん。
曰く、家庭教師をつけて性格含めた再教育の最中らしい。
やらかした勇者に対しても国からの支援は全て解除し通行手形も差し止め。 聖女もろとも身柄を拘束しようとしたらしい。
「でも、上手くいかなかったんでしょ?」
「うむ。教会が邪魔をして手出しできなんだ。今も二人は教会と、教会に同調する抗戦派貴族どもに匿われておる。まぁ勇者に限って言えば、武力という意味で捕らえるのは不可能なのだがな」
おっさんはお酒を煽ると、大きなため息が漏れる。こっちはこっちで苦労してるみたいね。
一騎当千を現実にする勇者の存在は味方であれば心強いけど、敵対すれば面倒この上ない。それは私も身をもって知っている。
「前の勇者が魔王城に単独攻め入った時も、だいぶ肝を冷やしたんじゃない?」
シンに流し目を送りながら言うと、彼は気まずそうに視線を逸らす。
「はははは、オウカ嬢は意地が悪いのう。さて、どう答えたものか」
「勘弁してください……」
言いつつ串焼きの皿を差し出し、私の隣の席へと腰掛けエールを傾けるシン。
「二人は仲が良いのぅ。もしや付き合っておるのか?」
「おっさんもたいがい意地が悪いよね」
「今ごろ気がついたか?」
「シン、この人今日はもうお酒いらないって」
「今度から水しか出しませんから」
「息ぴったりよのぉ」
おどけて見せるおっさん。
私とシンもつられて笑いが漏れる。
楽しくて、美味しくて、こうしているのが申し訳なく思うくらい幸せで、ずっとこうしていたいと思えてくる。
シンがなにもかも捨て去ってまで作りたかったのも、こういう小さな幸せだったのかもしれない。
彼の屈託のない笑顔を見ていると、私たちが過去刃を交えたことすら嘘のように思える。
でも、そんな幸せな時間も、実は薄氷の上に成り立っている。
私は、おっさんが一転して見せた鋭い視線と唐突な話で、それを思い知ることになった。
「ところでオウカ嬢。人間族に限らず、魔族も大変らしいな」
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