第06話 聖女と勇者と天ぷら蕎麦(後編)

「お待ちください!」



 聖女の差し迫った声に皆が振り向く。



「シンさんはこれをソバと言いましたが、もしかして “グレーチカ” のことではないですか?」


「グレーチカ? そんな名だったような」


「三角錐の形をした黒い実です」


「それなら間違いなく同じものです」


「やっぱり……黒っぽい色から、もしかしてと思いましたが」



 シンは疑問顔だけど、その名に心当たりのある私とおっさん、そして王太子が表情を曇らせる。



「なにか問題なんですか?」


「ええ。グレーチカ……ソバと言いましたか。これは教会により禁制品とされている、魔族の食べ物です」


「魔族の? 禁制品? 市場で買ったものですが」


「困ったことに、稀に出回ることがありまして。しかしそれを、恐れ多くも王太子殿下と勇者様に食させるなど……」



 聖女による咎めるような視線に、戸惑いを隠せないシン。



「これは正に神への冒涜です。シンさんは教会の裁定にかけなければなりませんね。残念です」



 言葉とは裏腹に、口角を吊り上げる聖女。

 こいつ、ほんと性格悪い。


 でもこの状況はまずいかもね……今のシンの立場で教会に反するのはとても難しい。なにしろ相手は国教だし、信者も非常に多い。教会から異端認定などされたら、この国にいることすら難しくなる。


 ……しかし、それはこの私が困る。



「鞭打ちか、投獄しての再教育か、投石か……この国に居られなくなるかもしれませんね。うふふ」



 底意地の悪い笑顔だ。


 私の隣に座ってるおっさんも我慢ならないのか立ち上がろうとするけど、それを制して私が先に声を上げた。



「随分と楽しそうじゃん。性悪聖女……いや、悪女ファム・ファタールと言った方がいいかな?」



 ピタリと動きを止め、貼り付けた微笑みそのままに、ゆっくりとこちらへと振り向く青髪に法衣の少女。



「そこの方、今なにかおっしゃいましたか?」


「性悪って言ってんの。まったく、ばかばかしい」


「ばかばかしい? それは教会の教義がばかばかしいと言っているのですか?」


「そうよ。禁制品がなに? くだらなすぎて笑いも出ないわよ」



 ぎょっとする勇者と王太子はさておき、微笑みを消し真顔になった聖女。



「ご自分が何を仰っているか、分かっていないですよね。教義の否定、それは異端ということです。それに人類の宿敵、魔族の象徴たる黒色の殻に包まれた蕎麦グレーチカは魔族の主食。それを人族が食すなど……」


「は? 何言ってんの。魔族の主食は小麦、米、じゃがいもで、グレーチカはそれに次ぐもの。魔族の主食がダメってなら、あんた小麦食べるのやめなさいよ」


「なっ!」


「それに人族だって、グレーチカを食べてる地域もあるでしょ。グレーチカはね、冷涼で荒れた場所でも育つ貴重な穀物なの。それで食いつないでる人もいるの知らないの?」


「グレーチカなど……それならじゃがいもを育てればよいでしょうに」


「じゃがいもはね、課税対象なの。それに売り物にもなるから貧しい農村にとっては貴重な収入源でもある。麦も米も同様よ。だからね、グレーチカを食べざるを得ないの。あんたはその教義ってやつのために、そんな人達に飢え死にしろっての?」



 聖女は眉根に深いシワを刻み、ギチリと奥歯を鳴らす。



「だ、だったら、それ以外の非課税の作物を食すべきです」


「なら、あんた達が農業支援でも食料支援でもしなよ! 教義だからやめろ? 飢え死にしろって? それが弱者を救うべき教会の言うことなの!?」



 大声を出してカウンターを叩く。



「もしここでシンを咎めると言うなら、密かにグレーチカで食いつないでる貧しい地域丸ごと断罪しなさい! それが出来ないってのなら、その歪んだ口を閉じときなさい! それにそこの王太子も! この女の暴言に黙ってないで、王族らしく民のことを知って、考えて、いさめなさいよ!」



 俯き、ワナワナと震える性悪女。王太子もバツが悪そうに顔を背けている。

 ちょっと言い過ぎたけど、これであいつらがさっさと店を出てくれれば……



「……うるさい」



 ん? あれ? 聖女の様子がちょっと……



「うるさい、うるさい、うるさい! この店でグレーチカを出した、それで十分です! この店は人類の宿敵たる魔族に肩入れし、おぞましくも王太子殿下や勇者様にグレーチカを食べさせた、悪しき異端者の店です!」



 真っ赤な顔で、両腕を振り下ろしながら叫ぶ聖女。



「あれ、なんか嫌な流れね」


「オウカさん、俺覚えあるんだけど、これ聖女がキレてとんでもないこと言い始めるやつ」


「へ、へー……」



 言うが早く、聖女が現勇者に向けてピッと指さす。



「勇者様、この店を破壊し尽くしてしてください!」


「は? ええと、本気か?」


「これは断罪です! 」


「マジか……ま、聖女様が言うならしかたねーな」



 立ち上がって小上がりから降り、ブーツを履く現勇者。気乗りしないかに見えたけど、その顔は好戦的に歪んでいる。



「教会がスポンサーだからな。それに実はよ、興味あったんだ。居酒屋なんて開いてる、歴代最強の元勇者の実力ってやつがよぉ!」



 口角を吊り上げ、牙を剥く。

 そして右手を前に突き出すと声を張り上げた。



「嫌なら抵抗してみせやがれ、魔王に敗れた元勇者さんよ! 来いッ、聖剣アロンダイト!!!!」



 床面にフラクタル模様の魔術陣が浮かんで光を放ち、そこから剣の柄が、鍔が、鞘に収まった刀身が現れ、やがて掲げた右手で柄が握られる。



「お願いです、やめてください!」


「それは聖女に言いな!」


「聖女様、どうか剣を納めるように……」


「うるさい! 勇者様、異端者に罰を!」


「だとよ!」



 シンの制止を聞かず、広くない店内で鞘から抜き放たれた刃。勢いあまってカウンター席の一番奥、そのテーブル部分に切れ目を入れ椅子を破壊する。



「一枚木のいいカウンターだがよ、悪ぃな! 怪我したくなきゃ逃げ出すんだな!」



 言葉とは裏腹に、嬉しそうに剣を構える現勇者。

 話が通じない奴ってことね。仕方ない。この店に来れなくなるのは困るけど、ここは私が……


 そう思った時だ。

 現勇者が再び剣を振るおうとした刹那、白い人影が目の前を過ぎる。



「うがっ!!」



 うめき声、そして遅れて剣が床に転がってカランと金属音を鳴らした。



「えっ?」



 聖女が漏らした声。

 その目の前では、料理人姿のシンが現勇者を組み伏せていた。



「なんだ、今なにを……クソッ、てめぇ、離しやがれ!」


「これ以上暴れないと言うなら離すが、まだ暴れると言うなら、この目を潰す」


「なっ!」



 冷静に言い放つシンだけど、確かにその片手の指が相手の瞼に触れていた。



「潰された眼球まで再生できるとは思わないことだ」


「チッ、マジかよ……」



 観念したらしい彼だが、一方聖女と王太子はそうもいかないらしい。



「あ、あははは! だったら、この店を壊すくらいの魔術!」


「勇者殿から手を離せ!」



 シンはあいつを押さえるので手一杯。

 ってことは、私の番よね。



「バカやってないの!」



 剣を抜きシンに刃を向けようとする王太子の腕を取り捻り上げる。そうして奪い取った剣に魔力を流し、聖女が編んだ魔術陣を切り裂けば残光が散る。


 私は振った剣を切り返すと、刃を聖女の首に当てた。



「ひっ! た、助け……」


「あんたの悪評は聞き及んでるわ。懺悔するならその首繋げておいてあげる」


「わ、私は、懺悔することなんて……」


「なら、死後の世界で女神様に土下座するのね」



 青い顔でカタカタ震える性悪聖女。



「オウカさん!」


「こいつはシンを侮辱した。私は躊躇わない」


「……やめてくれ。俺は、オウカさんにもっといろんな美味しいものを食べて欲しい」



 シンの言葉に、胸を焼いていた熱が他の熱に置き換わっていく。


 ――暖かな、優しい熱だ。



「二度とこの店に来ないで」



 剣を下ろし、怯えた様子の王太子へと放る。



「帰って」



 私の言葉に、悔しそうな顔をした聖女が無言で足早に店を出ていく。そして王太子が、勇者が後に続くが、勇者は去り際足を止めると、その猟犬のような目でシンを射抜く。



「元の世界で、俺の家は蕎麦屋だった。あんたが魔王を倒してさえいりゃ、こんなところに……今回は油断したが次はこうはいかねえ。テメェに勝って、魔王を殺して、俺は元の世界に戻る。絶対にだ!」



 ◇ ◇ ◇



「すまんかった、代表して私が謝る」


「いえ、頭を上げてください。貴方が悪いことなんて……」


「ある! この件は儂の責任だ。オウカ嬢も本当にすまんかった」


「いいって。おっさんに謝られてもあれだし、むしろあんな風に追い返しちゃって大丈夫か心配」


「その点も儂が責任を取ってなんとかする故、安心めされ」



 事が済んでから、大人しくしていたおっさんが平謝り。修繕費やアイツらの飲食費も負担するとのことだけど……まぁ、私が焚き付けた気もしないでもないのよね。



「まったく、ボンクラ息子め……」


「陛下」


「おっ、すまんすまん」



 お付の騎士さんに諌められてるけど、聞こえてるわよ。知らんぷりするけど。



「はぁ、疲れたのぅ。あるじ、先のソバと言ったか。あれ儂にもくれんかの」


「いいんですか? 禁制品では……」


「あれは教会が勝手に言ってることで国は禁止しとらん」


「そうなんですか?」


「ああ。魔族がどうのこうの言っとるが、オウカ嬢の言う通り人間族でも食っとるところは食っとる。それに教会とて本気で取り締まる気がないからこそ、市場に流れるのだ」



 呆れ顔を見せるおっさん。

 教会も状況は理解してるのかもね。それにしたって、あの性悪……



「聖女の口ぶりからだと、シンはハメられたみたいだね」



 私の言葉に、シンとおっさんがきょとんとした顔を向ける。



「多分シンの元にグレーチカが回ってくるように手を回したんでしょ。それであわよくば難癖つけようとした。で、シンはまんまと “ソバ” を出して、聖女は王太子が食べるのを確認してから声を上げた。なんのための嫌がらせなのかねー」


「おい、調査部に裏を取らせろ」


「はっ!」



 店を飛び出るお付の騎士さん。



「彼女は……俺のことが嫌いなんです。共に旅をしている時から、表面は繕ってましたが裏で色々嫌がらせをしてきて」



 シンがソバを用意しつつ暗い顔をする。



「馬鹿な俺はずっと気づかなかったんですけど、後から知って裏切られた気になって、それで単身魔王城に攻め込んで……」


「そうであったか……」


「すみません」


「いや、こちらこそ悪かったな」



 私は知ってたけど、おっさんは聞いてなかったみたいだね。


 すると調理場で鍋の吹く音が鳴って湯気が立ち上る。



「おっと!」


「シン、大丈夫?」


「すまない…………お待たせしました。天ぷら蕎麦です」



 コトンと置かれた器。そこには黒っぽい麺と醤油色のスープ、小口切りのネギ、そして海老の天ぷらが乗っていた。



「美しいではないか……どれ。む、美味い! このつるしことした香り高い麺と、魚出汁の効いた汁!」


「海老の天ぷらも合う! サクサク部分も汁を吸った部分も、どちらもたまらないわね。グレーチカは結構食べたことあるけど、こんな美味しいの初めて!」


「蕎麦――グレーチカの挽き粉を水のみで練り上げました。生そば、十割とわりそば、生粉打ちきこうちとも言います」



 お酒の入った身体に染みるし、寒い季節にこの温かい汁はたまらない。



「そういえばおっさん、北方の寒冷地の作物、グレーチカ……ソバがいいんじゃない?」


「おお、そうじゃな。既に地域によっては作っておるし、技術支援もやりやすかろう」


「初夏に種まきすればよかったと思うから、今からなら試作の調整も出来るんじゃない?」


「そうじゃな! 主よ、他の調理法はご存知か?」


「ええ、俺でよければお手伝いしますよ」



 じゃがいもも過去には悪魔の食物なんて呼ばれたりしたけど、今では貴重な食物だ。

 思い込みや勝手な決めつけで悪魔だとか異端だとか、本当にばかばかしい。


 魔族と人間族も結局のところ差異の範囲で、決め付けで拒絶するものではない。


 私はそんな想いとともに、シンの故郷の味だというつゆを飲み干した。




 ―――――――――――――――――――――――

《作者より》

近況ノートに聖女のイメージイラストをアップしました。よろしければご覧ください!

https://kakuyomu.jp/users/wasanbong/news/16817330655866722862


 蕎麦は日本特有と思ってらっしゃる方もいるようですが、実は世界のあちらこちらで食べられています。蕎麦のクレープ『ガレット』は有名ですが、蕎麦のパスタや、『蕎麦がき』的な食べ方などなど。『グレーチカ』というのも、実はロシア語です。

 そんな訳でいろんな食べ方があり健康効果も高い蕎麦、今回のテーマに選んでみました。


 次回『第07話 おっさんとちゃんこ鍋(前編)』。

 オウカ、デレます。

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