第05話 聖女と勇者と天ぷら蕎麦(前編)
「うー、寒い寒い。よ!」
「いらっしゃい、オウカさん。悪いけどこっちに」
冬のある日、シンに言われて座ったのは、普段居座っているカウンター一番奥の席ではなく、一番手前、出入口に近い方の席だった。
すると、店の奥の方から高笑いが聞こえてくる。
見やると普段使わない小上がりの席に、二人の若い男と法衣を着た若い女が座っていた。
「お偉いさん? それにあの女、見た事ある」
「ああ……女性は聖女様だ。そして金髪の男がこの国の王太子様で、赤茶色の髪を逆立てた男が今代の勇者様さ」
エールとお通しを差し出しつつ、眉根に皺を寄せるシン。
なるほど、面倒な限りだ。
以前シンが勇者として魔王城に来た際、聖女の話を聞かされた。
治療魔術や補助魔術を得意とし、その腕前は世界最高峰。シンとともに旅をし、怪我をした彼を優しく介抱するとともに危機を何度も救ったと言う。
正直ちょっと好きだったと、彼は言っていた。
しかし、実態は教会の犬で教皇の女。
才能は確かなものの権力が大好きで、教皇を利用して好き勝手やっているとか。
勇者に同行したのも聖女として箔をつけ、魔王を倒し聖人として歴史に名を記すためらしい。腹黒にもほどがあるっての。
まぁそれより問題はもう一人の男の方。
「勇者か……シンと同じ異世界から無理やり呼び出されたんでしょ? 哀れなものね」
「教会のやることだからな。大義の前には人ひとりの人生なんてどうでもいいのさ。でも今回の勇者は、当時の俺以上にやる気らしい」
「そうね。既に何度かうちの子たちと戦ってるみたいだけど、どんどん力をつけていってる。今後厄介なことになりそうだし、今殺しちゃおうかしら?」
「……」
「冗談よ。この店無くなって困るの私だし」
半分本気だったけどね。
「おい、店主! 酒とつまみだ。なんでもいいから持ってこい」
「シンさん、私には果実酒を」
「あー、俺唐揚げ頼むわ。こっちの世界じゃまず食えねぇからな」
シンが返事を返すけど、いつもの威勢が無い。
「シン」
「なんですか?」
「元気だして。ね!」
ウィンクを飛ばす私。
「からかうなよ……ありがとう」
やだ、なんか顔真っ赤になってる! 可愛い!
って、こっちまで恥ずかしくなってくるんだけど……
「あちっ!」
シンは珍しく、跳ねた油に狼狽えていた。
随分と騒がしい三人に辟易しつつジョッキを傾けていると、引き戸がガラガラとなり二つの人影が現れる。
「
暖簾を潜り開口一番、いつもの台詞。
「おやオウカ嬢がここに座っているのは珍しい。隣失礼するぞ。今日はやけに賑やかだな。どうしたの……だ……んッ!!」
シン、それといつものお供の男性が青い顔をする中、遅れておっさんも驚いた顔をし、慌てて顔を逸らす。
「なぜあやつがおるのだ
「どうやら聖女様がここを聞きつけ、王太子殿下と勇者様を連れて来られたようです」
「なんとも、あの女狐め……」
「今日はお早くお帰りください」
「む、そうだな。いやしかし、久々に来れたというのに……」
小声で話し合う二人だけど、小上がりからの声がそれを邪魔する。
「おい、シンっつったっけ? コーラハイだ!」
「すみません、あいにくコーラは無くて」
「ああん? 用意しとけよ、シケてんな」
「店主! こんな妙な安酒じゃなく、年代物のワインは無いのか?」
「いえ、当店には……」
「なんだと! この私の注文が聞けぬのか?」
「殿下、こんな場末のお店には無理がありますわ。安酒で我慢くださいませ。店も店主もご覧の通りしょぼくれておりますので。シンさん、どうせ無理なのわかってますので、気にしないでくださいね……キャッ、勇者様! もう、こんなところでお触りはお控えくださいませ」
「いいじゃねーか、減るもんじゃねーしよ。今夜も頼むぜ」
「もう……エッチなんですから」
言いたい放題の勇者一行。
ヤバい、凄く腹立つ……
「
おっさんが席に着くと、こめかみに血管を浮かび上がらせながら注文を入れる。
「いいので?」
「変装しておるからバレまい。愚行は
「俺のことはどうぞお気になさらず」
湯で温めたニホン酒を受け取るとすぐにおチョコで一杯煽り、熱い息を吐いていた。
◇ ◇ ◇
「不作ねぇ……それで最近来なかったのね」
「ああ。代わりになる、寒冷地でも育つ作物があればいいのだが」
疲れた様子のおっさんに話を聞けば、北方の寒冷地での食料生産について、随分頭を悩ましている様子だった。
なるほど、私も昔そのことでかなり頭を悩ませた経験がある。ニグラス魔帝国は領土が全体的に冷涼だから、食料問題は常だ。
「じゃがいもは?」
「無論扱っているが、それだけではな。夏の間に栽培出来るものがあればと思う」
「あ、それなら……」
言いかけたとき、小上がりの方からギャーギャーと声がひびき、話が中断される。さっきからうるさい!
私がイラついた目を向けていると、不意に赤茶髪の勇者が声を上げた。
「おいシン、〆のラーメン」
「すみません、あいにく用意していなくて」
「ったく、ほんとやる気あんのかこの店よ! 用意しとけよ!」
小皿を投げつける
さて、そろそろぶん殴ってやろうかな。
「ラーメンはありませんが、別の麺なら」
「は? だったらとっとと用意しろよ。ったく、使えねーな」
「すみません」
黙って調理を始めるシンだけど、見かねて声をかける。
「シン、大丈夫? なんなら私がぶん殴ってあげるから」
「大丈夫。それに、
「っ!!」
は? え? 女の子? 私が?
えっ、だって、私、魔王だよ?
年齢だって、まぁ魔族ではまだまだ若い方だけど、シンより年上だし、それに、だって、女の子って……
なんだろ、顔が熱くなってきた。
それに心臓がドキドキと……
するとおっさんが声を潜めて話しかけてくる。
「オウカ嬢、顔が赤いぞ」
「うっ、うるさいわね」
「照れおって。若いのう」
「もう、おっさんは黙ってて!」
◇ ◇ ◇
「どうぞ、天ぷら蕎麦です」
「こりゃ……」
シンが用意した器からは湯気が上がっていて、店内は芳醇なダシの香りに包まれている。
あれ私の分もあるわよね?
「ったく、あんだよ。ここにまできてかけ蕎麦かよ……クソっ」
小上がりでは勇者が不満気な顔をしつつも、器を眺めて瞳の色を変えていく。
「ま、しょっぱいもん食いたかったしな」
「勇者殿、それは?」
「俺の住んでた世界でよく食われてた蕎麦って食いもんだよ」
勇者が箸を手に、真剣な顔でそれを「ズズッ」と啜りはじめる。その音に王太子が顔を顰めるが、もの欲しくなったのか顔をシンに向けた。
「おい店主、私にも同じのを」
「はい、少しお待ちを」
想定済みだったのか、麺と海老の天ぷらを手早く用意するシン。
「どうぞ」
「ふむ、地味な見た目だな。一見美味そうには思えんが……おお、これはなかなか」
そうこうしているうちに、蕎麦を食べ終え汁まで飲みきった勇者が顔を向ける。
「王太子様よ、どうだ?」
「酒が入った体に染みるな。それに蕎麦と言ったか。この麺の独特の香りと香ばしさも、田舎臭くもあるが悪くない」
どこか嬉しそうな勇者と、舌つづみを打つ王太子か笑顔を浮かべる中、突如涼やかな声が響く。
「お待ちください!」
突如、眉をひそめた聖女が深刻そうな表情で声を上げた。
「シンさん、あなたなんてことを」
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