第04話 杜氏と濁り酒(後編)
翌日、シンの店に向かう私にひとつの人影が近づいてくる。気配を殺し、闇に紛れ、常人なら気づくことはできまい。
「調べはついたの?」
その人影は私の問いかけに返事を返すこともせず、紙束を差し出しそのまま気配を消した。
「へー」
書かれた内容にニヤりと嗤う。
今夜は美味い酒が飲めそうだ。
◇ ◇ ◇
「よっ、来たぞ」
「いらっしゃいませ。なんだか機嫌良さそうだな」
シンの言葉にまーねと返しながら、他に客のいないカウンターについてエールを頼む。
すぐに液体が注がれたガラス製のジョッキが置かれるけど……
「今日のは普段と違う?」
普段は明るい黄金色だけど今日のは随分と赤く、
それに香りもなんだか甘い。
返事を待たずにジョッキを持ち上げ口をつけると、酸味のある甘みが口いっぱいに広がった。
「木苺の香り!」
「どうだ?」
「エールの苦味とコクに果物の甘みと酸味が加わって、ジュースみたいなんだけど全然クドくない! 美味しいよこれ!」
「よかった。シズクさんの新作だよ。ぜひオウカさんにって」
「そ。今日はいないんだ」
「彼女、忙しいからな。納品ではいつも顔合わせるから、例の件も調べがついたら呼び出すよ」
中間報告しようと思ったけど……仕方ない、明日最終報告することにしよう。
「はい、料理も」
シンが差し出した皿には、なにかを刻んだ和え物が低い円柱状に積まれていた。
「これは?」
「当ててみて」
円柱の一角を箸で崩して口に運ぶ。
するとプリプリとした触感ととも、魚介の旨味と爽やかな酸味、そして香草の香りのマリアージュが全身に広がった。
「んんーーー、美味しい! なにこれ!」
「海老のタルタルだ。いい海老が手に入ったんだけど、フルーツエールに合うだろうと思ってマリネにしてみた」
「確かに、この甘酸っぱいフルーツエールとよく合う! この海老って生だよね。生食はじめてかも」
「そういえば刺身でも出したことなかったかもな。用意しようか」
「ええ、お願い。生の魚介を食べれるのって、王都でもここくらいじゃない? 魔帝国でも聞いたことないな」
鮮度管理の問題から、港から多少距離のある王都やニグラス魔帝国の首都では、生魚を食べることはまずない。
「生食文化は今ひとつ広がってないよな。俺の場合は直接市場に出向けるから、まぁ、転移魔術さまさまだな」
「何度も煮え湯を飲まされた転移魔術に、こうして感謝する日が来るなんてね」
異世界から召喚された者が稀につかえる
ちなみに私の場合、ニグラス魔帝国からここ王都までは毎日空を飛んで通っている。
ま、この魔王の全力なら四半刻もかからないから、散歩のような感覚ね。
――
「例の件、だいたい調べがついたわよ」
「本当か? というか早いな」
「優秀な部下が一晩でやってくれました」
「一晩でって……人類連合、大丈夫か?」
戦争を終わらす気が無いからいいけど、もし私が本気になったら人類連合が全然大丈夫じゃないくらいには色々やってる。
「あくまで下調べだから、ここからが本番だね。シズクちゃんのためにも頑張るわよー。だーかーらー、海老!」
「なにが “だから” か分からないが……お待たせ、海老の刺身だ。それと、これも」
一緒に供されたのは、フルートグラスに注がれた、小さく泡浮かび上がる透明な液体。
「これも新作で、ぜひオウカさんにって」
「へーどれどれ?」
発泡ワインに見えるけど、少し違う甘い香り。
口に注ぐと、優しい甘さが口いっぱいに広がった。
「これ、ニホンシュってやつの発泡仕込みじゃない! なんなのもうシズクちゃんったら、私を懐柔する気ね!」
「魔王をこれで懐柔できるなら安いもんだよ」
「海老のお刺身も美味しい!」
「世界は平和だな……」
そんな風に過ごしていると、ほかの常連や客も姿を見せはじめたので調査の話はここまで。
見知った顔の人たちで盛り上がる店内で、私は上機嫌で酒と食事を楽しんだ。
◇ ◇ ◇
夜も深けた頃、シンの店を出た私はひとり書斎にいて、デスクに腰を預けていた。
ランプのオレンジのあかりが照らす中、紙をめくる音だけが響く。
しばらくそうしていると、不意に扉のノブがカチャリと鳴り、ナイトウェア姿の小太りな男が現れた。
「賊かと思えば……私の書斎になにか用事ですかなお嬢さん」
警戒を残しつつ、僅かに気の緩んだ様子。
男はショートソードの刃を光らせ、不敵に嗤う。
対する私はオフショルダーのニットにスカートという町娘の姿。彼が多少強気になるのも頷けるが。
「二重帳簿ね。隠すならもっと上手く隠さなきゃ」
「……何者ですか」
男の身がこわばり、緊張が高まる。
「ま、多少小狡いことする程度どうでもいいんだけど、君は踏み込んではいけない領域に足を踏み出したのよ、パタータ男爵」
「なんのことでしょうか……いえ、いいです。すぐに口を割るのですからね!」
剣を手に踊りかかるパタータ男爵。しかし。
「口を割るもなにも、殺す気じゃない」
「なっ!?」
振り下ろされた剣を、指で摘んで受け止める私。
ビクともしないそれに男爵の顔が驚愕に塗れるも、彼はすぐに手を離し懐のナイフを抜く。
反応がいいわね。調査通り決して無能ではないみたい。
「おのれ人外め!」
「失礼ね。一応ヒトよ」
ナイフを手に突き出された手首を掴みつつ、彼の側面に踏み込みながら目元を手で払って一瞬視界を奪う。
そのまま腕を捻り上げつつ背後に周り、奪い取ったナイフを首元に当てた。
「死か隷属か。選んで」
「た、助けてくれ。い、い、命だけは」
「いい返事ね」
男爵を解放しつつつ、その手の甲を浅く裂く。
そしてナイフについた血の一滴を、私の手のひらに垂らした。
「これはね、古くに用いられた
男爵の足元にフラクタル模様の魔術陣が現れ、そこから鎖が伸びる。それは小太りな身体を這い上がり、全身を縛りつけるとすぐに消え去った。
「い、今のはいったい」
顔を真っ青にした男爵が怯えたような声を上げる。
「これで君は、私の言うことに逆らうことが出来ない」
「なんですと!? さ、逆らうと?」
男爵に指を向けると、その全身を青い稲光が這う。
「ぎゃっ!!」
彼は座り込み、荒い息をする。
「君の命は私が握っている。そのことを忘れないで」
「ひぃっ! わ、わかりました。それで……あなたは私になにをさせようと」
「簡単なことよ。まずひとつ、酒造り職人の “シズク” から手を引きなさい」
「へ? あ、それはなぜ……ひぎっ!!」
小さく電流が走り、彼が小太りな身体をビクつかせる。
なんか動きが気持ち悪いわね。
「わ、わかりました。手を引きます」
「よろしい。それともうひとつ」
「はひっ、もうひとつ?」
じゃがいもに似た顔の男爵が、青い顔で問う。
「それはね?」
私はニヤリと嗤って答えを返した。
◇ ◇ ◇
翌日シンの店を訪れると、シズクちゃんが、例の商人が謝罪を入れてきたことを嬉しそうに報告してきたので、少し事情を話した。
「んなわけで、嘘の隷属魔術で脅したの。男爵ったら、日に当たったジャガイモみたいに真っ青!」
「凄いです、さすがオウカさんです!」
「まーねー!」
シンが呆れたような顔を向けていたけど、私なにかやっちゃいました?
「オウカさん、あまり危険なことはしないでくれよ」
「誰に言ってんのかしらー。それに、どっかの誰かが影ながら見守ってくれてたみたいだし」
「……気づいてたのか」
「まーね。勇敢な騎士様」
私の笑顔に、シンは気まずそうに視線を逸らした。
そうこうしているうち、しわがれた声と共に店に姿を見せたのは、常連の偉そうなおっさん。
なぜか私の隣に座り、酒を
「ようやくそなたのことがわかったぞ、オウカ嬢。いや、オウカ・パタータ
「あら、ようやく。遅かったじゃん」
「男爵も、よくこの儂から隠しおおせたものよ」
私は笑みを返すと、手元の陶器の器を口に寄せた。
そう、私がパタータ男爵にさせたかったもう一つのことは、私を不貞の庶子として認め、男爵家に迎え入れさせること。隠れ蓑ってやつね。
しかし手続きを始めさせたばかりだというのに、さすがおっさん。情報が早いわね。
「エールでないとは珍しいな。それは?」
「濁り酒。シズクちゃんから頂いたの。私のボトルキープってやつよ」
「荒絞りの酒といったところか。
「あいにく、その一本しかありませんよ」
「なんだと! オウカ嬢、一口分けてくれぬか。お代は払う」
「嫌よ。だっておっさん、
「は、なんのことだ?」
「ねー、シズクちゃん」
「え? なんのことですか?」
目をぱちくりさせるシズクちゃん。悔しがるおっさん。肩を寄せ上げるシン。
元凶……そう、元凶なのだ。
今回の調査資料で、王城で開かれた晩餐会にシズクちゃんの酒を持ち込み、パタータ男爵にその存在を知らせてしまった
本当は調べるつもりもなかったし、知らない方が良かったとまで思うが……今更仕方ない。
濁り酒を求めてシズクちゃんに詰め寄るおっさんの横顔に、私は冷めた目線を送った。
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《作者より》
近況ノートでは、オウカやシズクちゃんのイメージイラストを公開していたりしますので、ご興味あればぜひ覗いてみてください。
https://kakuyomu.jp/users/wasanbong/news
次回『第05話 聖女と勇者と天ぷら蕎麦(前編)』。
オウカ、剣を振るいます。
オウカイラスト①:
https://kakuyomu.jp/users/wasanbong/news/16817330655687030612
シズクちゃんイラスト:
https://kakuyomu.jp/users/wasanbong/news/16817330655731383052
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