第3話
栗原夏は意識が戻らず、ベッドで寝ったまま。
トラック事故からハルを守った時に全身を強く打っていて。何とか危機は脱したけど、いつ意識が戻るか分からないし、一生戻らないままかもしれない。
それが後で聞いた、ボクの状態だ。
ボクの体は同じ病院の別の部屋にあって、ベッドの上で眠るボクを、ハルの体に入ったボクは不思議な気持ちで見た。
ボクの体はそこにあるのに、どうして心はハルの中にあるの?
それにハルの心は? もしかして意識の無い、ボクの体の中で眠っているんじゃ。
根拠の無い推測だったけど、あり得ない話じゃないと思う。元々ボクがハルになっているのだっておかしな事なんだ。代わりにハルがボクになっていたとしても、あんまり驚かないよ。
だけどそれより、意識が戻らないことの方が問題だった。
もしもハルの意識が眠っているボクの体の中にあるとして、このまま目を覚まさなかったらどうなるの?
考え出すと怖くなって。本当ならすぐにたたき起こしたかったけど、危機は脱したとはいえボクの体を乱暴に扱うことはできない。
何よりボクの体の側にはいつも、ボクのお母さんがいて、しっかりガードしていたから。
ハルの体は順調に回復して、その中に入っているボクは度々、栗原夏の病室を訪れた。
そしてナツだってバレないようハルのふりをしながら、お母さんと話をした。
自分で言うのも変な感じがするけど、ハルからすればトラック事故でボクに助けられた事になっているから、助けてもらったお礼と謝罪をして。するとお母さんは今にも壊れそうな悲しい顔をしながら、「気にしないで」って言ってくれた。
だけどそれから二日が経って、ハルの体に入ったボクの退院が決まると、お母さんは今まで見たことの無い冷たい目をして言ってきたんだ。
「ハルちゃんは良いわよね。一人だけ助かって。あなたのせいで、ナツは眠ったままなのに」
それはまるで、心臓をえぐるみたいな呪いの言葉。
違うよお母さん。ボクが寝たままなのは、ハルのせいなんかじゃない。
それに、ボクの心は何故かハルの中で生きている。むしろあの事故で犠牲になったのは、ハルの方なんじゃないか。
ハル、君の心は今、どこにあるの?
頭の中がぐちゃぐちゃになって、お母さんとはそれ以上何も話せなかった。
ボクのお母さんなのに、向けられた冷たい目が、とても怖かったから。
そしてこの時見たお母さんの冷たい目は、ボクの心に恐怖を植え付けた。
ボクは退院した後もハルのふりを続けたけど、もしも中身がハルじゃないってバレてしまったら。今は優しくしてくれるハルのお母さんやお父さんは、ハルを消してしまったボクを許さないんじゃ。
あり得ない話じゃない。だってボクのお母さんだって変わっちゃったんだもの。ハルのお母さんやお父さんが冷たくなる可能性は十分にある。
そう思うと、恐怖が込み上げてきた。
だからボクは、ハルのふりをし続けた。おじさんやおばさんを、騙し続けた。
だけどそれは言うほど簡単なことじゃなくて、いくら幼馴染みでも細かな仕草や言動を完璧にコピーできるわけじゃない。何より今まで男子だったのに、女の子として生活していかなきゃいけないんだ。分からない事だらけで、度々ボロを出してしまっていた。
けどそれらの多くは事故のショックで少しおかしくなってしまったと云うことで乗りきって、何とか誤魔化していくうちに、だんだんとハルのふりをするのも板についてきた。
それでも、ふりはふり。いつか本当のハルが戻ってきてくれれば、ボクはこの体を返す。
戻ってくるって、どうやって? 体を返すには、もうすれば良いの等、正直分からないことだらけだったけど、それでもいつか元に戻る日が来るのを信じていた。
だけどいくら待ってもハルが戻ってくることはなくて。そして病院で入院している栗原夏も、目を覚ます事はなかった。
そうしているうちに、気がつけば小学校を卒業。ボクはハルの体のまま、中学生になった。
あの事故からもう、一年以上が過ぎたことになるのだけど。この頃ボクは、自分がどう生きるべきか悩んでいた。
この一年、秘密を抱えながら生きるのが辛くて、命を絶とうと考えた事だってあった。
周りに嘘をついて、ハルの体を奪って生きている事が、とても申し訳なかったから。
だけどもしもボクが死んでしまったら、それは同時にハルの体も死ぬことになる。それはダメだ。
この体はボクのじゃない、ハルのものだ。いつかはハルに、返さなきゃいけないんだもの。
そして一つの結論にたどり着く。
ボクはハルの体で、ハルのために生きていこう。
いつか奇跡が起きてハルが戻ってきた時、良い人生を送れるようボクが頑張っておくんだ。
だから中学では勉強にも運動にも力を入れて。そしてもう一つ、ハルが小さい頃からずっと言っていた、夢を叶えなきゃって思った。
ハルの夢。それは大きくなったら、プロの画家になること。
昔からお絵かきが好きで、事故に遭うまでは度々賞を取るくらいの腕前だった。
対してボクは絵が得意なわけじゃないから、大丈夫かって心配だったけど、もしかしたら体が覚えていたのかな。画用紙を前にすると自然と手が動いて、ハルが描いていたような絵が、ボクにも描けたんだ。
これならやれる。ハルが戻ってきた時のために、人生のレールを引いておこう。
そうして絵を学び初めたボクは、それから中学を卒業して、高校時代を経て、画家になるという夢を叶えたくて、美大に入った。
ただしそれはボクの夢じゃない。ハルの夢だ。ボクはハルのために生きているんだから、自分の夢なんか見ちゃいけない。
そんなわけで、ボクはハルの夢を叶えるべく、日々絵の勉強をしているわけだけど。
……海外留学。
やってきたその話を聞いて、ボクは戸惑った。
夢を叶えるためなら、やっぱり行った方が良いだろう。ハルの両親も賛成してくれていたし、何も問題はないのだけど。
心に引っ掛かっているもの。それは栗原夏の体と、遠く離れてしまうこと。
ボクの体は今も、町の中央病院で眠っている。
面会もできずに、長らく会っていないけど、それでも同じ町にいるって思うと、まだ僅かな繋がりを感じられた。
だけど海外に行って、遠く離れてしまったら。元々何ができるというわけじゃなかったけど、物理的に距離ができてしまうというだけで、不安な気持ちになる。
もしも栗原夏の体で、ハルの意識が眠っているのだとしたら。なんだかハルのことを見捨てて行くような気がして、それがたまらなく怖かった。
はたして行くべき? それとも、この町に残るべき?
ねえ、教えてよハル。ボクは君の、望むようにするから。
君が行けと行ったら行くし、残れと行ったら残る。
お願いだから教えてよ、ハル……。
たくさん迷ったけど、ボクは結局留学することを決めて、大学に届けを提出した。
ハルならきっとこうするはずだ。
ボクはハルなんだから、こうしなきゃいけないんだ。
ボクはハルだからハルのためにできることは何でもするでないとハルが戻ってきた時にハルが悲しむからボクはハルから体も時間も家族もたくさんの物を奪っているからこれくらいやらなきゃでなきゃハルに申し訳ないボクは決してハルから離れるわけじゃないよ遠くに行ってもずっと一緒だよハルは喜んでくれるかなハルは分かってくれるかなハルはハルはハルはハルはハルはハルはハルはハルはハルはハルはハルはハルはハルはハルはハルはハルはハルはハルは……。
そうして願書を出したその日。
ハルの家に帰ったボクを待っていたのは、栗原夏が亡くなったという知らせだった。
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