第2話

 今から語るのはボクと、幼馴染みの女の子の身に起きた、不思議で最悪な出来事。


 と言っても、別に誰かに聞かせるわけじゃないんだけどね。けどこの秘密を溜め込んでおくのはあまりにしんどいから、たまにこうして言葉にして吐き出しているんだ。


 さて、それじゃあどこから語ろうか。

 とりあえずボクとハルについて、少し話をしておこう。


 ボクの名前は、栗原夏。夏に生まれたから『夏』と名付けられた男の子だ。

 ずいぶん安直な名前の付け方だと思うけどもう一人、似たような名前を付けられた子がいた。

 それが飯島春。その名の通り、春生まれの女の子だ。


 ボクとハルは家が近所で、小さい頃からよく一緒に遊んでいた。

 毎日遅くまで近所を探検したり、小学校に上がってからは、どちらかの家で宿題をしたりして、ボクらはいつも一緒だった。


 クラスの男子からは、女子と仲良いなんて格好悪い。付き合っているのかって、からかわれる事も多かったけど、そんな雑音は全部聞き流していた。

 からかってくる男子なんかより、ハルの方がよほど大事だったから。誰がなんて言ってこようと、ボクはハルの側を離れなかった。


 春になると毎年、神社にある桜の木の下で背比べをしてたっけ。

 桜の木に背中を張り付けて、頭のてっぺんに合わせてペンで線を引いて、身長を刻む。


 いつもボクの方が高くて、ハルは悔しそうな顔をしてた。

 ボクはハルの小さいところも可愛いって思っていたけど、本人は不満だったみたい。


「もうっ、いっつもナツの方が背高くてずるい! いつか必ず、追い抜いてやるんだから!」


 頬を膨らませてそう言うハルは、やっぱりとびきり可愛くて。

「追い抜けたらいいね」って言って頭を撫でると何故か余計に怒ってた。

 励まそうとしただけなのに、女の子って難しいなあ。


 そんな風に背比べをして、一緒に遊んで、勉強して。そんな日々が、いつまでも続くんだって思ってた。

 だけどそんな幻想は、ある日唐突に打ち砕かれる。


 あれはもうすぐ小学生6年生になるという、春休みの日のこと。

 あの日もボクらは、桜の木に身長を刻んでいた。


 やっぱりボクの方が背は高くて、ハルは来年こそは追い越してみせるって言っていたっけ。

 もうすっかりお決まりのセリフ。ハルには悪いけど、きっと来年も同じ事を言うんだろうなーって思ってた。

 けれどその日の帰りに、悲劇は起きた。


 夕暮れの、人通りの少ない道路。

 ボクらは信号が青になったのを確認してから、横断歩道を渡ったのだけど。

 半分くらい渡った時、道路の先からトラックが、ものすごいスピードでこっちに向かって走って来ているのに気づいた。


 赤信号に気づいていないのか、スピードを緩める気配はななくて、ボクは直感的に危険を察した。


 危ない。このままじゃ、ボクもハルもひかれてしまう。

 だけどトラックのスピードは思っていたよりずっと早くて、ハルの手を引いた時には、もう目の前まで迫っていた。


 ダメだ、逃げられない。

 そう思った次の瞬間、ボクはハルを庇うように覆い被さっていた。


 考えて行動したわけじゃない。ただハルのことを守らなきゃって思って、気がついたら体が勝手に動いていたんだ。


 そしてやってくる衝撃。ボクとハルの体は宙を舞って、地面に横たわった。


 仰向けになったボクの目に、夕焼け空が映る。

 ああ、なんて綺麗な夕焼けなんだろう。大変な状況なのにそんな事を思ってしまったのは、意外とあんまり痛みがなかったから。

 最初の衝撃はすごかったけど、その時は不思議なくらい痛みを感じていなかったんだ。


 だけど、指一本動かす事ができなかった。

 声を出す事もできなかった。

 全ての音が遠くに聞こえて、ヤバい事になってるって分かった。


 ボクは死ぬのかなあ?

 トラックに跳ねられたんだから、そうなってもおかしくはない。


 嫌だ。まだ死にたくない。生きていたいよ。

 だってまだ、ハルに好きだって言っていないもん。


 そうだ、ハル! ハルは無事なの!?

 トラックに跳ねられる前、ボクはハルを守ろうと抱き締めた。

 地面に叩きつけられた拍子に放してしまったけど、大丈夫?


 すると、頭の中に声が聞こえてきた。


 ──ナツくん! ナツくん!


 これは、ハルの声?

 不思議なことに、他の音は未だによく聞こえないのに、ハルの声だけは何故かちゃんと聞こえた。


 ──あなた、ナツくんを助けてくれるの?


 とても悲しそうな声で誰かと話している。

 いったい、誰と話しているの?

 そしてまるで、神様にでもお願いするみたいにこう言った。


 ──お願い、ナツくんを助けて! わたしはどうなってもいいから!


 後で思えば、ハルは本当に神様と話をしていたのかもしれない。


 だけど聞くことができたのはここまで。

 ボクはそこで力尽きて、意識を失った。



 ◇◆◇◆




 それから、長い夢を見ていたような気がする。

 生憎夢の内容は覚えていないけど、真っ暗な海の中を漂っていたような不思議な感覚があった。


 きっとボクは死んだのだろう。

 まどろむ意識の中、そう思っていたけど。予想に反して、ボクは目を覚ました。


 まぶたを開くと、飛び込んできたのは初めて見る天井。

 ボクはベッドに寝かされていて、周りには白衣を着たお医者さんや看護師さんがいる。


 ああそうか。ここはきっと、病院のベッドの上だ。と言うことは、ボクは助かったのかな。

 ぼんやりとした意識の中そんなことを思っていると、覗き込む顔がボクを覗きこんだ。


「大丈夫? お母さんのこと分かる?」


 その人は目に涙を浮かべながら、ボクに尋ねてくる。

 もちろん分かるよ。この人は……。


「ハルの、お母さん……」

「ええ、そうよ。あなたが無事で良かったわ、ハル!」


 …………え?


 おばさんはボクの事を『ハル』と言ったけど、何言ってるの? ボクはナツなのに。


 この時ボクは、意識がぼんやりしていた事もあって状況をつかめていなかった。

 だけど落ち着くにつれてだんだんと、否応なしにおかしなことに気づいていく。


 短かったはずのボクの髪は、いつの間にこんなに伸びたの? 

 それに目線がいつもより少し低い気がするし、手が柔らかくてすべすべ。

 そして鏡を見た時、ボクはようやく自分の身に起こっている事を理解した。


 鏡に映っていたのは、ボクの顔じゃない。ハルの顔だった。

 何がどうなっているのかは分からないけど、何故かボクは眠っている間に、ハルになってしまっていたんだ。


 ボクがハルに? いったいどういうこと?


 混乱する中思い出したのは、前に見たアニメ映画。

 あれでは主人公の男の子と、ヒロインの女の子の意識が入れ替わっていたっけ。

 もしかしてそれと同じような事が、ボクの身にも起こったんじゃ?


 突拍子もない考えだったけど、現にボクはハルになってしまっているわけで。

 けど待って。それじゃあ、ハルの意識、心はどこへいったの?

 もしもあの映画と同じ事が起きたのだとしたら、ハルの心は……。


 ベッドの上で呆然としていると、お母さん……ハルのお母さんが話しかけてきた。


「ハル、念のため今日は入院して、色々検査しなくちゃいけないんだけど、大丈夫?」

「う、うん……」


 正直検査なんてどうでもいいって思ったけど、とりあえず頷く。

 いっそここで、ボクはハルじゃなくてナツですって言おうかとも思ったけど、怖くて言えずに。ボクはハルのふりをしながら、おばさんに尋ねた。


「ねえお母……ママ、ナツくんはどうなったの?」


 ボクの名前を出した瞬間、おばさんの顔が凍り付いた。

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