自分の想いを殺さない「あの日、奏でた音色を」感想

 イベスト書き下ろし曲「25時の情熱」。情熱というニーゴらしくない語が出たことに驚きましたが、聞くとちゃんとニーゴの、そして奏の曲でした。ストーリーとバッチリ繋がっています。「ちゃんと綺麗に人を救えるかな」このフレーズがビタッとはまる人物は、奏しかいないのではないかと思います。

 音楽で誰かを救うことに全てを捧げるため通信制高校を選んだ奏、3年に進級し(物語では描写されませんが"質問箱"の回答からおそらく勉強は順調のため)後1年で卒業となる中、祖母に自分が「どうしたいか」今後のことを考えてほしいと言われます。奏の一貫した「音楽を作り続けるしかない」ではない奏自身の道を考えてほしい、祖母も瑞希も絵名も同じ思いを持っていました。


 「私にとっての音楽」とは何か、なぜ大切にしているのか、奏は音楽を始めたきっかけを振り返ります。お父さんの誕生日に、お父さんを喜ばせるために曲を作ったこと、お父さんもお母さんも喜んでくれたからまた作るようになったこと。親に喜んで欲しいという動機はとても素朴で、ある種まふゆとも通じますが、「やりたいこと」を見守ったか、「しなければならない」「してはいけない」ことを求めたかに大きな違いがあります。温かい家庭から生まれた、誰かを想う温かさが奏の音楽の芯にはあります。


 そのお父さんを自分が壊した、だからお父さんの分まで作り続けないといけないし、温かい日々が戻ってきてほしいと想うことも許されない。誰も奏を悪いとは思わないし、責める人もいませんが、自らに科した罪の意識は中々消えるものではありません。

 絵名は自分を責める奏も受け入れ、でもそれと奏の幸せは別、私は奏が幸せにならないと嫌だと伝えます。この対応、とても絵名らしい優しさで好きです。おそらく「あなたは悪くない」という言葉を今まで奏は沢山聞いてきて、それでも頑なに持ち続けている罪の意識は言葉一つでは変えられません。罪の意識を否定せず寄り添って支える絵名の姿勢は、今の奏にとても重要な意味を持つ気がします。

 自分のことを大切にしてほしいというメッセージは、カイトも共通しています。「本当に望む想いがあるなら、自分で殺すな」厳しくも多くの人に刺さる言葉です。逃げようが何しようが自分と向き合うしかない、カイトの姿勢は本当に一貫していて清々しいです。


 おそらく「ちゃんと綺麗に人を救える」ことは現実的にはなかなかない気がします。何度も救われた絵名がもがき続けているように、救われたと感じるくらい苦しい状況に一度置かれた人は、その苦しみが綺麗さっぱり消失とはいかないものです。でも、綺麗に救われなくても、また苦しんだりすがったりしながら、前に進めればいいのだと思います。

 でも、「ちゃんと綺麗に人を救う」ことを願うくらいならいいじゃないか、とも思います。「もし、元に戻れるなら」と考えることもいいのです。自分のことをわからなくなったお父さんに、昔みたいに褒めてほしいという望み、まだ高校生の子どもが望んではいけないなんてことがあるはずありません。

 奏が自分の「幸せを愛せる」日が来ること、ニーゴの、家族の、読者の願いだと思います。


★本感想のゲーム画像あり版はnoteで公開中:https://note.com/gakumarui/n/nf4ee63a05122

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