想像・創造という共通項「君が主役の物語を」感想

 ステージを飛び出したワンダショ武者修行編の始まりは老舗劇団春名座。主役の似合う未来のスター天馬司に、台詞が3つしかない平凡な人間である「中山」役を現実に存在していると思わせる、という難題が課せられます。

 細かい所ですが、春名座の演出家、ツテで外部からインターンを受け入れて適切に各人の成長につながる課題を出すのは、流石若手育成もしっかり行う劇団というのを感じました。


 司が演じる場面の話し相手は、台本を軽く読むだけで脇役を自分のものにし、劇団の中でも一際存在感を放つ演技力を持ちながら、決して主役を演じようとしない男、獏野歴。演技の秘訣を尋ねる司ですが、特別なことはしていないという返答で手がかりを掴めません。


 陽と陰、対照的な面もある二人ですが、獏野さんの「人間観察ノート」(司の呼称)の話から共通項が見えてきました。道行く人を見て、その物語を考えて綴る。小学生の頃、寂しさを紛らわすため「話し相手を作る」、想像して物語の(人)物と会話することから生まれたこの習慣は、確かに演技の糧となっていました。

 ただ、司は人間観察ノートと称しましたが、この行動は観察に主眼が置かれてはいません。あくまで物語の創造がメインであり、観察はその素材集めのようなもの。想像・創造した物語が本当に正しいかどうか確かめる必要はないし、外れていてもいいのです。プロファイリングのように相手の次の行動を予測して対策を打つ等目的があって推測を誤ることが失敗となる、といったものではありません。


 大きく括れば、読取・分析のための観察と、想像・創造のための観察があると言えます。今回、色々な可能性を考えるのは、より面白い物語を作るため。正解を導くため、正解を取りこぼさないために選択肢を広げているわけではないのです。

 読書を楽しむなら想像・創造もとても良いですが、文章の"読解"としては読取・分析が正しく、勝手に創造することは誤読に繋がります(国語教員としてはこの分別は重要と思いますが、特に小学校ではどうしても読書を楽しんでほしい教員の思いが先走って混同しがちですね)。しかし、演劇は台本の読解だけではありません。極端にいえば、誤読でも魅力的ならアリです。もちろん、状況や設定に合わない想像・創造では違和感が魅力を掻き消してしまい(ゆえにえむ発案「宇宙からやってきて地球のことを調べる中山さん」は残念ながら棄却されます)、想像力がゼロでは誤読に気づきづらかったり情報が欠けたら行き詰ったりと読取・分析にも支障が出るので、どちらに軸を置いても両者とも同じようなことはするのですが、軸が違えば仕上がりも変わってきます。演劇のことはほとんどわかりませんが、おそらくどちらのアプローチもある(その他の方法もある)のだと思います。


 司はセカイで自身の原点であるうさぎのぬいぐるみの言葉で、ぬいぐるみが主役の物語を沢山つくっていたことを思い出し、中山を主役にした物語を考えればいいという結論に至ります。獏野さんと一緒に中山の物語を考える様は、まさに意気投合と呼ぶに相応しい光景でした。


 演技は浮いてしまったものの、役に存在感を与えることに成功した司。「脇役に光を当てたい」と主役を固辞していた所から、区別なく全ての役に光を当てることとした獏野さん。互いが大きな影響を与え合う存在となりました。獏野さんが主役の物語もみたいと思わせる、今回に限らず(メインはもちろん)サブキャラの描き方の丁寧さがあるプロセカに相応しい話だったと思います。


★本感想のゲーム画像あり版はnoteで公開中:

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