価値ある学びは記憶に残る強烈な一点を刻むこと「Let's study hard!」感想

 神山高校組の進級前イベントは、赤点留年危機。教育学部教員である私とは無縁のように思われるかもしれませんが、高校2年以降の数学はさっぱりだったので、気持ちはよくわかります(赤点が平均点の4割という基準で、文系クラスの大半が数学20点とかだったので赤にはなりませんでした…)。最初から勉強に全く比重を置いていないであろう杏や彰人だけでなく、授業は大真面目に取り組んでいたであろう司も苦手の物理は追試へ。真面目に受けても、ノート写し大会になると全く頭に入りません。今思えば、どうせわからないのだからノートなど無視して1つ1つ理解しようとした方が良かったかもしれませんが、それはそれで怒られるリスクもあるという、授業の存在が学びの足枷になる状態。全く望ましくはないのですが、高校普通科では日常茶飯事ではないでしょうか。


 出席数を科目単位でギリギリに調整していた瑞希は、先生の都合で時間割が変わったとばっちりで追試となりますが、高校生で学校の規定を読み込んで最低限で済まそうとするのは凄い感心します。私自身、大学院修士時代規定を読み込んで「在籍2年の間で所属研究室を変えても、修了時の研究室で1年以上研究指導を受けていれば修了できる」という(多分)ほとんど使われてなかった規定を適応して修士を取ったのを思い出しました。使える規定は全部使って、自分に一番利益がある形にしていく、特にレール通りに生きられない者は色々工夫して何とか生きているのです。


 杏の補習範囲は徒然草「をりふしの移り変わるこそ」。完全初見な感じで一語一語考えていっていましたが、多分授業で扱った文だと思います…。でも、授業で一回ついていけないとなると「あーもうわかんない」と考えることを放棄してしまうのはよくあることです。

 しかし、みんなとの勉強会なら一つ一つゆっくりと疑問を解消しながら進めます。「あはれ」の一語、というよりその役で用いられる「趣」について自分の体験と結び付けながら考えていきます。自分で考えた、みんなと考えた学びの経験、そこでのイメージは一点の強烈な記憶となります。

 迎えた追試、杏が挑む古典の問題は学んだ「をりふしの移り変わるこそ」。皆との勉強会の記憶を思い出して、しっかりと訳していきます。私は国語の教員免許を持っていますが、正直古文を読んで書いた人の「もののあはれを感じる気持ち」を感じたことはないので、杏の方が古典を味わう素養はあるかもしれないと思いました。(そんな子が古典を大の苦手としていたのは、よくあることとはいえ授業として残念でもあります。)


 初めて古典を意味あるものとして自分の中に刻んだ、おそらくこの徒然草の一節は勉強会の記憶と共にずっと訳せるものとなったでしょう。

 古典で大量の単語を覚え、文法を覚え、処理することは正直多くの人に役に立ちません。(なお、単語や文法にも言語学的な変遷を知り現代日本語や言語そのものへの理解を深める意義が、意識して学習すればありますが、そこを念頭に授業を組む先生は稀でしょう。)

 しかし、処理が苦手な人でも、一つの文章として、物語として学ぶことはできます。こんな話があった、この話は共感できた/できなかった、その記憶が1つでも残れば、卒業後全て忘れてしまうより価値があります。みんなと学ぶ勉強会の丁寧さと思い出の力には遠く及ばなくても、多くの生徒に1つでも何か残せるような古典の授業でありたいところです。


★本感想のゲーム画像あり版はnoteで公開中:https://note.com/gakumarui/n/n35b930d264ea

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