幼き空虚な"優等生"の反抗 ~自身の意志と価値がわかる日まで~「仮面の私にさよならを」感想

 ニーゴはプロセカ2周年の後に、自己紹介の修正が行われました。その中にまふゆの自己紹介動画から「だって優等生だもん」という台詞が無くなった、という変更がありました。

 印象深い台詞ゆえ惜しむ声もありましたが、私はこの変更にとてもしっくりきました。彼女は仮面の裏に野心や恨みなど強い感情を抱えて優等生を演じているわけではなく、本当に望まれた振る舞いをしてきただけ。自身の武器として二面性を上手く使っているわけではなく、その自覚もないからです。良い外面を目的のためにうまく使える彰人とは全然違うものだと思います。ニーゴと出会い、何もない何も感じない(と思っている)自分から感情や好きなものを少しずつ見つけていく、操り人形になり心を育てられなかったどころか完全に固めた少女が、よちよちと歩き出したところ。そんな姿を描くうちに、最初の台詞違うなとなったのだと思います。


 お母さんにテストの点が悪いのを知られたらみんなと連絡が取れなくなる、だからテストのことを聞かれたら、採点が終わってないとごまかす。今回のように母が面談まで行くことは想定できずとも、1日2日で綻ぶことは容易に想像できる幼い選択です。ごまかしたいという気持ちだけあっても、定期テストの点が少し下がってもミスなだけで内容はわかっている、入試には直結しないなど言い訳の仕方は色々ありますが、思いつきもしない。お母さんの期待に沿う形以外の仮面の作り方などわからないし、大学入試の目標も全く主体的なものではなく自分の現在地もわからないから。

 カイトとミクが支えるいい役割でしたね。母に思いを伝えなければ始まらないと押すカイト。壊れてほしくないから伝えてほしいと押すミク。厳しさと優しさとも言えますが、自分を守るために行動しろというカイトの姿勢は一貫しています。終了後エリア会話の「結果はどうあれやるべきことをした、今はそれでいいだろ」という言葉が、とても良いと思いました。


 仲間と音楽をしたいという意志。借り物の夢ではなく、自分の選択を見つけたいという思い。説得として上手な言葉ではありませんでしたが、とにかく懸命にぶつけました。自分の理想通りに歩んでほしい母からは「変わってしまった」残念な変化だったかもしれませんが、その変化は立派な精神的成長です。

 文字通り決死の想いは伝わらず、家を飛び出し、駆け付けた奏に抱えられて絞り出す言葉は「全部、私が悪いのかな」。今はまだ自分の価値をゼロだと思っていますが、今後まふゆには自分の価値に気づいていってほしいです。まだニーゴにしか見せられない思ったことをそのまま口に出すそっけない姿も、「迷い子の手を引くその先は」で見せた優しい姿も、そして優等生の仮面を被り愛想よく振る舞う姿も含めて。色んな自分を認めるカギは、ニーゴのみんなだけでなく、雫・えむ・類といったニーゴとは違う関わり方をして、それぞれ朝比奈まふゆという人物の違った魅力に触れてきた人達にもあるのではないかと思います。


 自分の中心に確かな意志を持った時、空虚な自分には意味のなかった仮面は大切な人を守る道具として使えます。その時、まふゆは本質的にもつ優しさで誰かを救える存在になっているのだと思います。強くなった彼女がなおそう願うなら母も含めて…わがままに進んでほしいです。

 険しい道のりですが、奏、絵名、瑞希、セカイのみんなが必ずついています。自分の歩む道を自分で決めて堂々と歩けるようになるのか、見守っていきたいです。


★本感想のゲーム画像あり版はnoteで公開中:https://note.com/gakumarui/n/nbfdd15e366aa

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