3本目 浅香都景は笑わせたい
3年2組の教室は今日も騒がしい。
絶え間なく笑い声が響き、男女の隔たりなくクラス中が一体となって大きな笑い声となっている。
もちろん、その中心にいるのは鶴ヶ丘さんで、彼女を囲むようにして男たちが一生懸命にトークを繰り広げ、それを見てオーディエンスが騒ぎ立てる。
傍から見れば健全で仲のいい、明るいクラスに映るだろう。
けれど、ある一点、輪の中心にある一点だけは明るさのかけらもない、まるでそこだけ風の吹いていない台風の目のような雰囲気を持っている。
その静寂な一点を発端として笑いの波が同心円状に広がっていき、教室中を飲み込む。彼女は震源地だ。自分自身は笑わずとも、これだけ笑いを大きくできる。
「鶴ヶ丘さん、今のトークどうでしたか?」
野球部にしては髪の毛が長い、我孫子両が鼻息を荒くして、自信満々に問いかけた。
それに対し、鶴ヶ丘さんは長く艶やかな髪をそっと後ろにかき上げ、顎を上向きにして答える。
「話が全然整理されていないわね。もっと組み立て方を変えた方が良いわ。いらない情報はそぎ落として、オチをもっと立たせるようにしなさい。今のトークだと、寄り道が多すぎて、オチがすんなり入ってこなかったわ。より簡潔にわかりやすくする努力をすることね」
我孫子が「おお」と感動したような声を上げている。ありがとうございますっと大きく頭を下げて、鶴ヶ丘さんに命を救ってもらったかのような感謝の仕方だ。いや、落ち込めよ。褒められてないんやぞ。
「次はどなた?」
次の挑戦者は誰かと教室中が周りを伺っている。行きたいけが勇気の出ない者、もうコテンパンにされるのは嫌だと尻込みをしている者、気を伺っている者、皆銘々の考えがある。
「じゃあ、俺いきます」
俺は、あまりやる気を見せないように、少しけだるげに手を挙げた。
俺が立ち上がると、俺の席から鶴ヶ丘さんの席に向けて、モーゼの十戒のように最短の道が開く。
鶴ヶ丘さんの前の椅子に、背もたれを前側で抱えるように座り、真っすぐ目を見つめる。
きれいな目だ。これに笑顔が伴えばどれほど美しいのだろう。
「それでは、どうぞ」
鶴ヶ丘さんが手のひらを上に見せて、俺にトークを始めるよう促す。
「はい。僕の家は貧乏なんですけど、それを感じさせないくらい家族みんな明るいんですよ。中でも、親父がとんでもなくアホで明るくて。どんな嫌なことがあっても全然暗くならない人なんですよ。この間ね、その親父がめちゃくちゃしょんぼりして帰ってきて。見たことのない落ち込みようやったんで、さすがになんかとんでもないことがあったんちゃうかってみんな心配してたんですよ。それで何があったんって聞いたら「財布落とした」って言うんです。そらえらいこっちゃってなって、カードとかは入ってたんって聞いたら「俺カードなんか持ってない」って。大金でも入ってたんかって聞いたら「5円しか入ってなかった」って。じゃあ、そんなにええ財布やったんかって聞いたら「100均で買うたやつや」って。まあ財布落とすのは悲しいんですけど、そんなに被害もないのに、あの親父がなんでこんなに落ち込むことかって不思議に思ってね。それで理由聞いてみたら「財布落とした直後に、俺と同じ財布持ってるやつとすれ違ったけど、そいつがめっちゃ禿げてた。俺もあんなに禿げてまうんかな」って。いや、それ、財布パクった犯人や!って家族みんな大爆笑でね。ほんまにあほな親父ですわ」
鶴ヶ丘さんの顔を見る。全く笑っていない。口角がピクリとも動いていない。
けれど、肩が少し震えている。ほんの少しではあるが、小刻みに振動している。
「今、めっちゃ笑うの我慢してません?」
「してないけど」
食い気味な返答。コンマ一秒もおかない素早い否定。
「してますよね」
「してないけど」
「絶対にしてますよね」
「してないけど」
教室中が笑いで包まれる。鶴ヶ丘さんが笑ったのではないかという疑念ではなく、このやり取りのスピード感に笑ったのだろう。その証拠に男どもは「そんなはずないだろ」とか「うぬぼれるな」といった野次を飛ばしている。
「まあ、他の人たちよりはすこーーーーしだけましだったけれど、決して笑うほどではなかったわ」
「そんなに強調するほどですか」
「ええ、ほんのすこーーーーーーーーーーーしだけだったもの」
「より強調すな」
明るい笑いが教室を満たす。
鶴ヶ丘さんが、こんなにツンとしているのに嫌われないのは、こういうところにあるのかもしれない。口調は強いがどこかユーモアがある。顔立ちが良いから男たちがそれをちゃんと笑いにする。もって生まれた才能というところだろうか。
「次は笑かしますから」
「ええ、かかってきなさい」
腕を組み、笑いではない意味で口角を上げる鶴ヶ丘さんを横目に、座っていた椅子を空ける。
チャイムが鳴った。今日も一日が始まる。
鶴ヶ丘さんを笑わせたい ふぉぐ @fog2323
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