第3話



「あなたのお悩みは、娘さんのことですね」



 蒼が言うと、女は血相を変えて身を乗り出した。



「なんでわかったんだい……!」



 女の反応に、見物客たちからはどよめきが起こる。


 どうにかこうにか身なりを整え、手品団の舞台に上がった蒼の出し物は、『サトリ』。


 サトリとは、人の心を読む妖怪の名前だ。蒼の担当する出し物は、相手の心や過去を読む、というものなのだ。


 舞台に上がった女の悩みを当てた途端に、芝居小屋には「不思議だねえ」「あやかしの術だよ」「本物かい?」などという声が飛び交う。蒼からすると不思議でもなんでもない。全部、見えるのだ。見ればわかる。そういう力が、蒼の目にはある。


 幼いころから親戚に『気持ちが悪い』と言われてきたのも、おそらくはこの力のせいだったのだろう。超能力、読心術、テレパシイ。様々な呼び方があるけれど、団長は蒼の力を『サトリ』と名付けて、舞台上での演出方法を教えてくれた。


 蒼は派手な化粧をした目を細め、とうとうと喋り出す。



「見えます。亡くなった娘さんはあなたの後悔ゆえに、あなたのそばから離れられない」


「おお……!」



 目の前の女は感極まった様子で口を覆った。


 年の頃は四十前か。容貌はすっかり疲れ果てており、心はここにない様子。目の焦点は定まらず、いかにも何かを失ったひとの表情をしている。肌つやは悪く、吹き出物あり。呼気の匂いからしても胃腸が悪そうだ。そんなひとが手首に人毛を編み込んだひもを巻いているのだ、年頃の娘を亡くした母親だろうというのは想像に難くない。


 蒼は素早い観察の結果と推理を、雰囲気たっぷりに語る。



「切っても切れない縁とはいえ、あの世は誰しもいつか行く場所。娘さんにはしばしあの世で待っていて頂いて、あなたは強く生きねばなりません」



 教え込まれた物言いと、風の奇妙な装束が蒼の言葉にしんぴよう性を付け足す。さらに横には団長がたたずんで、肝心のところを盛り上げる。



「なんと! 『サトリ』がまたも、哀れなご婦人の悲劇を言い当てた! ここには哀れな娘さんが、母を心配してさまよっておりますぞ!」



 団長が怒鳴る横で、女がほろほろと涙を流すのを見て、蒼はほっと一息いた。


 今日の客は目の前の女で三人目。見ればわかるとはいえ、『サトリ』の力を使うには気力も体力も使う。一度に三人は、今の蒼にとっては限界の人数だ。みっともない姿を観客にさらすのも苦痛だし、早く舞台袖に引っこみたい。


 そんな蒼の気持ちも知らず、団長は囁きかけてくる。



「おい、蒼。もうひとり舞台に上げるぞ。身なりがいいから、おひねりをくれるかもしれん。嫁入り前に荒稼ぎしていけ」


「そう、ですか。ありがとうございます」



 蒼は一瞬絶望で目の前が暗くなるのを感じ、必死に拳を握った。団長がやると言ったら、蒼の意思など関係ない。やるしかないのだ。蒼は手のひらに突き立てた爪の痛みで、最後の気力を振り絞る。その横で、団長は派手に声を上げている。



「さて! 今日は特別にもうお一方、『サトリ』の見術をお試しいただけます。いかがでしょう? 希望される方はいらっしゃいませんか? そちらの立派な殿方は?」



 客席の中でも身なりのいい二十代後半くらいの男を指さし、舞台に上げようとしている。団長は金持ちから搾り取りたいのかもしれないが、蒼は十代後半から三十くらいの男女を見るのは苦手だ。彼ら、彼女らの悩みは色恋沙汰が多い。まだ恋をしたことのない蒼には解決方法がわからず、上手く場を収められないことが多いのだ。



「では、頼もうか」



 涼やかな声がして、男が座布団から身を起こす。


 すっくと立ち上がったそのひとは、周囲がざわめくほどに長身だった。それこそ『電信柱』などと呼ばれそうな背丈だが、彼は見るからに品がいい。無地の着物とおりは織りも仕立ても素晴らしく、骨張って瘦せた長身に美しく寄り添っている。


 彼は音もなく舞台に上がると、蒼と向かい合わせで座った。



「では、お願いするよ」


「はい……では、拝見します」



 仕方なく蒼は言い、赤い布をかけたテーブルから、目の前の男に視線を移す。


 そのひとは──不思議なくらい、美しかった。蒼はびっくりして目に力をこめる。見間違いかとも思ったが、そうではない。目の前のひとは美しい。


 それも、たかしゆんげんな山並みのような美しさだ。秀でた額にやや落ちくぼんだがん。目は切れ長で、芝居小屋のライトに照らされるとぎらりと光る。高い鼻の下には薄い唇が横たわり、失笑にも微笑みにもとれるものを含んでいた。


 胸に染み入るような美しさに、蒼はじっと男を見つめる。


 男も蒼を見つめる。


 ばちん、と視線があう。


 ほのかに青く澄んだ白目の真ん中で、蒼を見返すハシバミ色の瞳。


 温かい色だが、見た感じはひどく冷たい。


 この目は、なんだ? この人は、何を考えている? このひとは蒼を疑っているようで、好意を持っているようでもある。何かに苦しみ、悲しんでいるようで、すべてを笑っているようでもある。何もかもが不確かで疑わしい。



「おい、どうした、蒼! 間が持たんぞ」



 団長が横からかしてくるが、蒼は何も言えなかった。


 蒼の背中に、たらり、と冷や汗が垂れる。


 困った。どうしたらいいのかわからない。わからないが、視線を逸らすこともできない。このひとは一体どういうひとなのだろう。


 知りたい、と思った。


 蒼が誰かのことを心底知りたいと思うことは滅多にない。だって、知りたいと思う前に見えてしまうから。ひょっとしたら、他人を知りたいと思うのは、これが生まれて初めてなのかもしれない。



「わたしが誰だか、わかるかい」



 男が声を発する。皮肉な響きを持った美声であった。


 このひとに、からかわれている。不思議と嫌な感じはしない。


 蒼は口を開いた。



「わかりません。わかるのは、あなたが病気だということだけです」



 男の、役者みたいな形よい眉毛がぴくりと動く。



「なんということだ! 『サトリ』はこの美丈夫が病だと見抜いた!」



 団長の派手な叫びに、芝居小屋は再びどよめく。



「病気?」



 首をかしげて、男が言う。蒼はうなずく。



「はい。今まで私が見たことのない病気です。一体何が悪いのか、どうしたら治るのか、私の手には余ります。どうか、一刻も早くお医者に行かれてください」


「この御仁は謎の病か!?」



 団長は叫びながら、いらいらした視線を蒼に投げてくる。



「……!」



 その視線に、蒼は我に返った。病だと言うだけでは、これ以上場は盛り上がらない。


 いっそうその余命宣告をするか、この病気には因果があって、という話をでっちあげなくては。でも、なぜだろう。ちっとも噓が浮かんでこない。困った。団長のためにも、手品団のためにも、立派に噓をつき通さねばならないのに。


 たらり、たらりと冷や汗が流れていく。



「ああ」



 不意に男が声をあげる。なんだろう、と見ると、彼は不意に微笑んだ。


 険しかった顔が穏やかにゆるみ、よく光る目が細められる。



「君は『サトリ』でもなんでもないな。ただ単に、非常に観察力に優れた女性だ」


「え……」



 蒼は息をんで凍り付いた。男は気にせず、身を乗り出して言う。



「ある程度は鍛錬もあるのだろうが、基本は天賦の才。いいかい? 君は、天才だ」



 説得力のある美声が、よくわからないことを言っている。


 天才? 誰が? 自分ではないはずだ。自分は気味が悪くて、みっともなくて、無能なだけの人間なのだ。だからこそ、ここでこうして噓を吐き続け、団長たちに恩返しすることしかできないのだ。


 蒼が返事をできずにいると、横から団長が口を出した。



「旦那、すみません。ここは『サトリ』ってことにしといていただかないと……」


「営業妨害だったか。すまない、すぐに終わるよ」



 男は団長に素っ気なく言い、蒼に向き直る。



「いいかい、君。そのをもっと有効に使う方法を教えてあげよう。せっかく病を見抜けるのだから、もっとうまいこと相手を脅しつけなさい。脅して、金を巻き上げるんだ」



 急な話に、蒼はぎょっとして声を取り戻した。



「そんな! めっそうもない」


「思うより簡単な話だよ。偽薬でもお札でもいい、病に効きますと言って売ってやれ。効かないと言われたら追加で売りつけ、相手が死ぬのを待てばいい。もうかるぞ。こんな生活とはすぐにおさらばだ。なんならわたしで練習しなさい。さあ──」


「いたしません!!」



 声を限りに、蒼は叫んだ。


 しん、と静まり返った周囲に、自分の声が木霊する。


 ──やってしまった。蒼は真っ青になった。お客を怒鳴りつけるなんてあり得ない。


 しかし、目の前の客の言うことは、もっとあり得なかったのだ。ひとをだまして得た金を握って、お世話になった手品団を出て行けだなんて! そんな恩知らずなができると思われたのが、あまりに悲しい。自分はそんな真似をしたくて、客の病気を言い当てたわけではない。


 蒼は普段の弱気を忘れ、震えながら強く拳を握った。



「わたしはひとを騙してまでお金は要りません。手品団を裏切る気もございません。ただ、生きてほしかったのです! 私は、あなたをお助けしたい。それだけなのです。もちろんわたしは無力です。あなたのような立派な方から見れば、地を這う虫と思われても仕方がございません。それでも私は、あなたをお助けしたいのです!」



 言い終えると、ひどい緊張でめまいがする。


 男は黙って蒼を見つめていた。その目からは相変わらず何も読めない。



「…………」



 彼はそのまま立ち上がると、あとは静かに舞台から下りていった。


 客はざわめき、団長は適当にまくしたてる。



「おそろしきは『サトリ』の力! どうぞお体にお気をつけください、旦那さま!」



 客の背中が遠くなる。座布団に座った客達の間を通り抜け、ぐに出口のほうへと向かって行く。その姿を見ているうちに、蒼は体が端から崩れていってしまうような気分になった。もうだめだ。自分はひどい失敗をした。


 あのお客さんは、二度と小屋には来てくれないだろう。そのことが、悲しくて、悲しくて、まるでこの世の終わりのように感じられた。



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