第8話 注目の的

 皇城に到着した頃には、すっかり日は暮れていた。夕闇を吸い込んだ夜空には、満月が輝く。星々は満月の光でかすんでしまっており、今夜は月の独擅場どくせんじょうだ。

 馬車が特定の位置で停止をする。開かれた扉から、先にユークリッドが降りた。刹那せつな、歓声が湧き上がる。やはり彼の美貌は、どこでも通用するらしい。彼の姿を一目見るために、わざわざ馬車の待機場所で彼を待っている令嬢方もいるようだ。

 ロゼの中では、ユークリッドの評価は高い。五年前、よそ者であるロゼを温かく迎え入れてくれたのは、ドルトディチェ大公とユークリッドであったのだから。今でもユークリッドは、ロゼを「姉上」と呼んでいる。したってくれているかは、分からないが。

 ロゼは、ユークリッドの手に自身の手を乗せる。転ばないよう細心の注意を払って、馬車から降りた。先程まで空間を支配していた拍手喝采はくしゅかっさいは消え、たちまち沈黙の時間が訪れた。歓声を上げていた令嬢方は、凍りつく。ユークリッドに嫉妬しっとと羨望の眼差しを向けていた令息方は、頬を赤らめる。ロゼの社交界デビューは、鮮烈せんれつなものとなった。

 ユークリッドの手に導かれるがまま、ロゼはできるだけ背筋を伸ばして歩く。舞踏会の会場である宮に入り、間の直前で止まる。扉の両端に佇む騎士たちが、ロゼに見惚れ、己の役目を一瞬忘れる。しかしユークリッドに睨まれた途端、ぴゃっと我に返り、早急に扉を開け放った。シャンデリアの眩い光が世界を埋め尽くす。徐々に鮮明になる視界の中、広々とした間にいた数多くの貴族たちが一斉にロゼとユークリッドを見遣った。ふたりは共に、間に足を踏み入れた。清閑せいかんとした空間を切り裂くヒールの音が鳴り響く。

 貴族たちは、黙るほかなかった。なんと表現していいか分からない。天使、女神、薔薇など、様々な褒め言葉を並べようとも、どれもロゼの美しさに見合っていない気がするのだ。ただひとつ、分かるのは、社交界で最上級の人気を誇るユークリッドさえも、彼女の前では装飾品と化してしまうということだけ。


「姉上。ダンスは踊らずに、料理が並ぶ場所まで参りましょう」


 耳元でそうささやかれ、ロゼは大人しく頷く。

 ロゼは、社交界に姿を現すのはこれが初めて。一応、ダンスの基礎、舞踏会でのマナーは、リエッタにより頭と体に叩き込まれているが、不安は尽きない。できる限り、壁の花となりたいものだ。そのため、ユークリッドの提案に内心喜悦きえつを感じたロゼは、王者たるオーラの中に可愛らしい花を混じえた。途端、柔らかくなった彼女の雰囲気に、未婚の令息方は簡単に胸を打たれる。

 料理がずらりと並ぶ場所まで辿り着いたロゼは、黄金の繊細せんさいな柄に縁取ふちどられた皿を手に持ち、マイペースに料理を乗せていく。芸術性を感じさせる盛りつけをして、それをユークリッドに手渡す。二皿目を盛りつけて、テーブルまで運ぶ。そして皆が見守る中、優雅に食事をし始めた。どう考えてもひとりで食す量ではないのにも関わらず、ロゼはそれを平らげてしまった。


「おかわりはいりますか?」


 ロゼは頷く。ユークリッドは新しい皿に食事を盛りつけ、彼女に差し出す。傍から見たら執事のような役目を担っているユークリッドであるが、彼はまったく不満そうではなかった。

 ロゼはまたもペロリと食す。量にして四人前ほどを平らげてしまった彼女は、口元を布で拭う。

 ロゼの食事を貴族たちが見守る、という異質な空間ができあがってしまった。貴族たちは、あの細い体にあれだけの量が入りきってしまった、と愕然がくぜんとしていた。

 ロゼは、皇城の一流シェフたちによる食の共演に大満足した様子である。ユークリッドは、彼女が意外にも大食いということを知っていて、ここまで連れてきたのだろうか。


「ユークリッド」

「はい」

「……お手洗いに行きたいのですが」

「かしこまりました」


 ユークリッドはロゼの手を取り、立ち上がらせる。そして来た道を戻ろうと歩き出した時、数メートル先に佇む人がいることに気がついた。ユークリッドを取り巻く雰囲気が一気に変わる。それを見逃さなかったロゼは、彼にとってよからぬ人なのだと瞬時に理解する。その時、懐かしい香りが漂う。ほんのりと甘く優しい匂い。しっかりと嗅いだことがある匂いに、ロゼは弾かれたように顔を上げる。


「ユークリッド」


 哀苦あいくにじませた猫なで声で、ユークリッドの名を呼んだ女性。腰元までのアクア色の長髪に、アクアグレイの大きな双眸。全体的に優しげな印象を抱かせる美貌は、悲哀に染められていた。

 女性の名は、アンナベル・イシース・ラウーラ・ルティレータ。ルティレータ帝国第六皇女。ユークリッドと同い年の帝国一美しい女性と謳われる方だ。

 ロゼの視線は、アンナベルではなく、彼女の隣に立っているひとりの男性に、一心に注がれていた。

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