第9話 この方

 目が覚める鮮やかな朱、ヴァーミリオンの髪は、癖毛なのかふわふわと綿毛わたげのように揺れる。瞳は、タンザナイト色。対照的な髪色と目色は、華美かびであった。顔立ちは非常に整っているが、ユークリッドとは違う、どこか柔らかな印象を持たせる。気軽に話しかけたら、花がほころぶ笑みを向けてくれそうな優しげな雰囲気がある。そんな美貌とは相対的に、体格は大きい。雪白と朱色を基調とした正装の騎士服をまとっているため、彼は騎士であることが窺える。そして何より、彼から香る甘く優しい匂い。一回目の人生の最期に、ロゼが嗅いだ匂いだ。

 ロゼは一度瞳を伏せたあと、緩慢かんまんに開眼する。

 目の前の男、僅か19歳にしてメルドレール公爵こうしゃくの爵位を持つ、フリードリヒ・ゲルト・エルレ・メルドレールは、ロゼを庇い死した男だ。そして今世、最後の最後にて、ドルトディチェ大公の前に立ちはだかる男である――。断言できる材料は揃っていないが、そう推測することはできるだろう。

 一回目の人生では、フリードリヒとは比較的親しい仲であったような、気がする。そうでなければ、ロゼを庇い死すことなどないだろうから。

 フリードリヒと視線がかち合う。アジュライト色とタンザナイト色が混じり合い、さらなる深みのある夜を生み出した。


「第六皇女殿下に拝謁はいえついたします」


 ユークリッドがそう言って頭を垂れる。ロゼもそれに続き、深々と頭を下げた。


「かしこまらなくていいと何度も言っているのに……。相変わらず真面目な性格ね」


 アンナベルは、どこか困った様子で笑みをこぼした。それを見たロゼはようやくアンナベルに視線を向ける。

 青色の髪と瞳と統一されたドレスは、まさしく「お姫様」であった。デコルテは控えめだが、どことなく色気を漂わせる。スカートは腰元からふわりと広がっていた。帝国一美しい女性と言われても大いに納得できる風貌は、数多くの令息方をとりこにしていた。その呼び名も、社交界デビューを果たしたロゼの登場により、激しく揺らいでしまうかもしれないが。

 アクアグレイの目と視線が合わさった。


「ユークリッドの姉君にあたるドルトディチェ大公家のロゼ嬢、ですね?」

「はい。ロゼ・ヴィレメイン・リーネ・ドルトディチェと申します。第六皇女殿下にお会いできたこと、心より光栄に思います」


 完璧に挨拶をして見せたロゼに、アンナベルは度肝を抜かれながらも、微笑みで返した。ロゼは微笑み返すことはしない。色味のない無表情でアンナベルを明視めいしする。曇りなきロゼの瞳に、アンナベルはどう反応したらいいか分からず、じっとりと冷や汗を浮かべた。


「ロゼ嬢、お初にお目にかかります。フリードリヒ・ゲルト・エルレ・メルドレールと申します。以後、お見知り置きを」


 フリードリヒは、胸に手をあて頭を下げた。腰に携えた剣のさやがカチャリ、と不気味な音を立てる。ヴァーミリオンの髪がふわりとなびいた。


「ロゼ・ヴィレメイン・リーネ・ドルトディチェと申します」


 ロゼはそう言って、手袋に包まれた手の甲を差し出す。フリードリヒは、可愛らしさを感じさせる大きな目を瞬かせる。ロゼの意図に気がついたユークリッドが口を挟もうとするが、それよりも先にフリードリヒがひざまずく。やけに血が映えそうな雪白のマントが宙を舞い、遅れて地面に着地する。そしてロゼの手を取り、軽く額に押し当てると手の甲に口づけを落とした。一枚の絵画とも言えるその光景に、貴族たちは固唾かたずを呑む。

 近くに寄ったフリードリヒから、甘い薫香くんこうが香ったことに、ロゼは満悦まんえつした。


「あら……。随分とお熱いわね?」


 アンナベルは口元に手を当てて、ロゼとフリードリヒを交互に見遣みやる。そしてユークリッドにも同意を求めようとするが、彼の面様を見て小さく震え上がった。愕然とするほど、彼の美貌には無が浮かべられていたからだ。ロゼとフリードリヒの神々しい光景を断じて認めない、と言いたげである。

 ユークリッドはロゼとフリードリヒの間に入り、ロゼを背に庇った。


「失礼、メルドレール公爵」


 ブラッドレッドの双眸がフリードリヒを静かに見下ろす。フリードリヒは、一滴とて血を飲まされていないのにも関わらず、錯乱してしまう錯覚を覚えたが、なんとか自我を保ち、立ち上がる。


「姉上。参りましょう」


 ユークリッドはロゼの手を取る。エスコートとは無縁、半ば強引に歩き始めた。ロゼは彼の大きな背中を見つめたあと、フリードリヒに視線を向ける。フリードリヒは、呆気に取られた様子であった。その隣、アンナベルがうれいを帯びた顔をしていた。

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