閑話 ”暴君”、マリアンヌ

 かつて竜の偉大な王が、たったひとりの女のために、国を滅ぼしてしまったときのお話です。


 赤の国の王は、“威厳王”とあだ名された立派な王でしたが、あるころを境にして、すっかり人柄―――竜柄、というのでしょうか―――が、変わってしまったようでした。


 赤の国では、竜たちはみな優れた狩人でしたが、荒れた土地には獲物が少なく、王は自ら狩りをせず、眷属を遣わせて日に数百頭の動物を糧に得ていました。


 そのために眷属たちは自らの食べる分をも王に捧げなければなりませんでしたが、彼らが貢納を減らしてくれるよう頼んでも、王は色よい返事をしませんでした。


 かつては眷属たちとともに荒野の空を駆け、晩餐の肉が少なくともみなと粗食を分け合った、偉大な王の変わり果てた様子に愛想を尽かした眷属たちは、各々国のあちこちに飛び、その地で人間の部族を従えて、己が王にとって代わらんとしました。


 しかし王は強大で、その力の前に、眷属たちは次々に敗れ去りました。王に楯突くはずの戦いは、いつしか眷属同士の縄張り争いに収縮し、ところが王は王で、ある問題のために小競り合いの内紛を収めることができないでいたのです。


 王にはたったひとり娘がいましたが、彼女は残虐気ままで、暴食を好み、一たび激情に駆られると、王自らが抑えなければ誰も敵わないほど強力な竜でした。そしてその力は年を経るごとに増していきました。王は彼女を愛していたために、愚かな娘を飢えさせることはどうしてもできず、また罰を与えることさえ耐え難く、王宮の一室に彼女を軟禁するに留めていました。


 ある日、竜の姫御子は父王にこう言いました。


「私はいずれあなたの力さえ凌ぐでしょう。しかし、この国に仇なそうとは考えておりません。ただ自由のままに生きていくことができればそれでいいのです」


 しかし父親である竜の王は彼女を野に放つことを許しはしませんでした。


「お前を自由にするということは、つまり国を亡ぼせということだ。他者の食う分まで奪って喰らい、気に入らぬことがあれば暴れ、怒りの鎮まるまで虐殺するだろう。いつか私の力をお前が凌ぐ前に、私はお前に抱く家族の情を消してしまわねばならないのだ」


 姫御子は、父王の冷淡な言葉に憤りました。


「ならば、誰も私の食べたいものを食べたがらず、誰も私を怒らせなければいいだけのことです。あなたも私の食べるはずの肉を食らい、私の自由を妨げる敵でしかありません」


 姫御子は、気ままに喰らい、気ままに暴れるだけの自由を勝ち得るために、恐るべき竜の王に挑みかかりました。


 戦いは七日七晩続き、二頭の竜の巨体は、羽ばたき、地を駆け、或いは互いの攻撃によって弾き飛ばされることによって、国中を飛び回りました。


 当初戦いは、圧倒的に姫御子の不利でしたが、各地の竜の眷属やその傘下の部族たちが彼女に味方して王に立ち向かい、いちいちそれらを斃さねばならなくなった王は次第に疲弊しました。


 反対に、眷属たちが戦っている間に体を休めたり、不意の一撃を食らわせることができるようになった姫御子は、狡猾に王を強力な眷属たちの元に誘導し、着実にその気力を奪っていきました。


 そして国中の竜が王に歯向かい、殺し尽くされた頃になって、彼女はもう一度正面から挑みかかり、満身創痍の王を噛み裂き、嬲って、その首を討ち取りました。


 戦いの後、王に敵さなかった生き残りの竜たちは、姫御子に恭順を誓いましたが、もう彼女のものになった王国の、ヤギや、ヒツジや、ラクダや、ウシ―――それらを奪い合う敵を、彼女は許しませんでした。


 姫御子は、先代の王の眷属たちを一頭残らず殺し尽くし、自らは空の玉座に収まりました。


 こうして彼女は赤の国の王になりましたが、やがて気ままな統治にも飽きてしまい、王の城には寝泊まりのためにしか立ち寄らなくなりました。


 日夜狩りに明け暮れ、暴食に興ずる新しい王を避け、人間たちは国境の近くに居を移しました。


 彼らは王の狩り溢した動物や、わずかしか生えない植物などを奪い合い、そして時には自然豊かな緑の国や、水産物に富む青の国へ侵略するようになりました。


 以来数十年続く争いの火種はここから生まれ、故に、かつては“威信の王国”と謳われた赤の国は、今では蔑まれてこう呼ばれるのです―――『蛮族の荒野』と。


 いつかは、凶悪な“暴君”が英雄によって斃され、世界に平和が齎される日が訪れんことを―――。



 ―――緑の国の司祭、オグウイィトが記す―――

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